原民喜

 お仙の夫は今朝、橋から墜ちて溺れたが、救助されたのが早かったのでまだ助かりさうだった。手当は姑や隣りの人にまかせて置いて、お仙は町まで医者を迎へに走った。医者は後から直ぐ来ると云ふので、お仙はまた呼吸を切らせて山路を走った。すると家の近くの淫祠まで来たところで、隣りの主人とばったり出逢った。お仙は顔色を変へて唖者になった。隣りの主人はこれも二三秒唇を慄はせたまま、ものが云へない。が、やがて彼は頓狂な声でかう叫んだ。
「死んだ、死んだ。」
 お仙の顔は暫く硬直したままであったが、ピクリと頬の一角が崩れると、妸娜っぽい微笑に変った。それからお仙はともかく隣りの主人と一緒に家へ急いだ。
 家へ戻ると、お仙は直ぐに夫の顔を覗き込んだ。お仙の夫は蒲団に寝かされたまま、頭が低く枕に沈んでゐるので、何か怒ってゐるやうな表情であった。その顔を見てゐると、お仙はふと夫が生きて来さうな気がした。と、その時、お仙の夫は急に「うう……」と声を放って眼をひらいた。
「あなたや、あなたや……」とお仙は大声で泣き喚いた。

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