星野光世

もしも 魔法が使えたら
四畳半ひと間の家でいい
どんな貧しい家でもいい
父さん 母さんがそばにいる
ふつうの家庭に行ってみたい

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2 Responses to 星野光世

  1. shinichi says:

    もしも魔法が使えたら

    戦争孤児11人の記憶

    by 星野 光世

    **

    戦争孤児12万3000人、彼らがどう生きたか、知っていますか?
    東京で、山形で、神戸で、空襲により孤児となった11人の少年少女たちの「生きるための戦い」。

  2. shinichi says:

    孤児だった過去、隠し続けて…ごめんなさい

    J-CAST BOOKウォッチ

    もしも魔法が使えたら 戦争孤児11人の記憶
    by 星野光世

    https://books.j-cast.com/2018/04/29007230.html

     1945年3月のある日、空から大量の燃えカスのようなものが降ってきました。空一面を覆うほどでした。東京から直線距離で40キロほど離れた千葉県君津郡小糸村に集団疎開していた東京の子どもたちは、お寺の庭に出て「何だろう」と見上げました。本書『もしも魔法が使えたら』(講談社)の著者星野光世さんも、そんな中の一人でした。

     何日かたって、顔に大やけどをして焼け焦げた服を着た男の人がやってきました。いっしょに疎開していた友だちのお父さんでした。東京の下町が空襲で焼け野原になったというのです。道路は黒焦げの死体で埋め尽くされているというのです・・・。

    両親と兄と妹の1人の計4人が亡くなった

     親が迎えに来た子は幸いだった。そのうち、子どもたちの親戚が来るようになった。「お父さんもお母さんも、亡くなったよ」。一人、また一人と子どもたちは迎えの人に連れ出され、半分がいなくなったころ、星野さんのところにも親戚のおばさんが来た。とうとう自分の番だと思った。両親と兄と妹の1人の計4人が亡くなったと聞かされた。もう覚悟ができていたから涙は流れなかった。本当の悲劇と不幸が始まるのはそれからだった。

     1933年生まれの星野さんは当時11歳。国民学校の5年生だった。千葉県内の別の場所に預けられていた8歳の妹と4歳の弟の3人だけが生き残った。まもなく母の実家、新潟の父の実家などを転々とする生活が始まった。みんな食べるのに苦労していた。3度の食事はお湯の中にご飯粒が少し浮いているだけだった。

     新潟でのある日、隣村の叔父さんのところに連れて行かれた。「今日からお前たちは、ここの家の子になるんだ!」。この家にはすでに6~7人の子どもがいた。この先、いったいどうなるんだろう。きょうだいは不安でいっぱいになった。翌朝、3人で逃げ出した。暗い森を夢中で走り抜け、湧水を笹の葉のコップで飲んだ。見晴らしの良い場所に出たが、帰るべき家はない。そのとき、こらえていた悲しみがどっと噴き出した。「お父ちゃん、お母ちゃん、どうして私たちを残して死んじゃったの・・・」。3人は声をあげて泣いた。

    「あの嫁さん、どこの馬の骨や」

     先の戦争では12万3500人余りの戦災孤児が生まれた。中でも東京大空襲の被害者が多かった。子どもたちはすでに集団疎開していて、残っていた親たちがB29の焼夷弾の犠牲になった。星野さんのきょうだい3人はやがて切り離され、弟は新潟、妹と星野さんは千葉の伯父の家に世話になった。農繁期になると1か月近く学校を休み、農作業を手伝った。義務教育も満足に受けられなかった。「このままで人生を終わりたくない」。20歳になるころ、周囲の反対を押し切って、東京に出た。

     住み込みの店員や事務の仕事で頑張り、28歳の時、いす職人と結婚した。結婚式で、夫の親戚が「あの嫁さん、どこの馬の骨や」とささやいていたという話を後から聞いた。夫は無欲の誠実な人で10年前に亡くなった。新しい墓には「無」と刻んだ。

     何年か前、たまたま新聞記事で、大学生が「真珠湾はどこにありますか?」と聞かれて、「三重県」と答えたという話を読んで驚いた。戦争体験がすっかり忘れられている。戦争では、子供たちの身の上にも大変なことが起きるということを伝えなければと思った。2013年、すみだ郷土文化資料館の戦災孤児企画展をきっかけに色鉛筆で素朴なスケッチを描き始めた。自身と10人の戦争孤児の体験を絵と文章にしたのが本書だ。「ここに登場する子どもたちの話は、作り話ではありません。わたしたち孤児の体験をもとにつづった本当の話です」。

    優しかった夫に謝る

     精神科医の野田正彰さんが「解説」を書いている。「書かれている体験は、あまりに悲しく、そしてあまりに残酷だ」。

     本書に登場する金子トミさんは、45年間添い遂げた夫に、浮浪児だったことを打ち明けられなかったことを謝罪する。「お父さん、ごめんなさい、結婚する前、東京の上野で、浮浪児生活をしていた過去を、とうとう隠し通して・・・」。17年前、夫の呼吸が止まった瞬間、わあっと泣き伏して、優しかった夫に謝った。

     話すことも、思い出すこともつらい体験。野田さんは2008年には東京大空襲の被害者、16年には重慶大爆撃の被害者の精神鑑定をしてきた。孤児になって極限状態を生き抜いた人々には、どこか共通する人格があると気づいた。「真面目で几帳面、自己を犠牲にしても家族のために黙々と尽くす生き方である」。

     本書の11人の一文の最後に、タイトルになった詩が掲載されている。「もしも魔法が使えたら」。

     もしも 魔法が使えたら
     四畳半ひと間の家でいい
     どんな貧しい家でもいい
     父さん 母さんがそばにいる
     ふつうの家庭に行ってみたい!
     …

     蛇足だが、本書を読むときは電車の中や、家族がいる場所は避けたほうがいいと思う。その理由は…ご推察のとおりだから。

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