中村俊介

室町幕府8代将軍、足利義政(1436~90)が造営した銀閣寺(京都市左京区)で知られる東山山荘の当初の予定地が、現在地より約1キロ南だったことが、古文書の調査で新たに明らかになった。大阪大谷大学が23日発表した。応仁の乱(1467~77)を境に計画が変更されたとみられ、専門家は、幕府が弱体化に向かう過程をうかがわせる史料として注目する。
東山山荘は、義政が営んだ隠居後の屋敷。1465年、南禅寺の塔頭(たっちゅう)だった恵雲院(えうんいん)の所在地に計画されたが、応仁の乱で計画が頓挫。82年に再開された造営で現在地に変更された。恵雲院が戦国時代に消滅したため、当初予定の具体的な場所は不明のままだった。

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1 Response to 中村俊介

  1. shinichi says:

    銀閣寺、当初の予定地は1キロ南 幕府弱体化で変更か

    編集委員・中村俊介

    https://www.asahi.com/articles/ASN3R6668N3LPLZU001.html?ref=mixi

     室町幕府8代将軍、足利義政(1436~90)が造営した銀閣寺(京都市左京区)で知られる東山山荘の当初の予定地が、現在地より約1キロ南だったことが、古文書の調査で新たに明らかになった。大阪大谷大学が23日発表した。応仁の乱(1467~77)を境に計画が変更されたとみられ、専門家は、幕府が弱体化に向かう過程をうかがわせる史料として注目する。

     東山山荘は、義政が営んだ隠居後の屋敷。1465年、南禅寺の塔頭(たっちゅう)だった恵雲院(えうんいん)の所在地に計画されたが、応仁の乱で計画が頓挫。82年に再開された造営で現在地に変更された。恵雲院が戦国時代に消滅したため、当初予定の具体的な場所は不明のままだった。

     古文書は16世紀の証書で、個…

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    銀閣寺、当初予定地は1キロ南 「幕府の衰退、物語る」 古文書調査で判明

    朝日新聞デジタル

    https://www.asahi.com/articles/DA3S14413939.html

     室町幕府8代将軍、足利義政(1436~90)が造営した銀閣寺(京都市左京区)で知られる東山山荘の当初の予定地が、現在地より約1キロ南だったことが、古文書の調査で新たに明らかになった。大阪大谷大学が23日発表した。応仁の乱(1467~77)を境に計画が変更されたとみられ、専門家は、幕府が弱体化に向かう過程をうかがわせる史料として注目する。

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    銀閣寺予定地は1キロ南だった

    長年の謎、古文書で特定

    京都新聞

    https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/192561

     室町幕府8代将軍・足利義政が建立した銀閣寺(慈照寺)の当初予定地は、現在地から約1キロ南の京都市左京区南禅寺北ノ坊町だったことが分かり、大阪大谷大の馬部隆弘准教授(日本中近世史)が23日発表した。馬部准教授は「義満をまねて寺が集中する場所で隠居政治をしようとしたが、応仁の乱をきっかけに政治から逃避し、予定地も東山の外れとなる現在地に変えたのだろう」と話している。

     馬部准教授によると、1465年に義政が南禅寺の子院の一つである「恵雲院」に銀閣寺となる東山山荘を設置すると決めたことや、2年後に始まった応仁の乱の影響で予定地が変更されたことは分かっていた。

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