五木寛之

60歳から90歳までの30年間は、いや応なく生きなければいけない時代です。今までの延長でなく、別の人生が始まると考えねばならない。世代で三つに分けると、学生・若者、壮年の勤労者、そして60〜90歳の第3の世代とに分けられる。第3の世代は、まず経済的に若者・壮年の世代に負担をかけないように生きることを目指す。若い人は若い人で頑張って生きてくれ、こっちはこっちで生きていくからと。
金のことじゃないですよ。全然違う。カルチャーが変わる、変える。生活を単純化、簡素化するんです。おいしいものをたくさん食べるグルメ生活は、もう第1、第2世代に任せて、違う喜びを見いだす。食べるものも着るものももっと簡素化する。社会的な付き合い、社交もいらない。
今までの社会では、人間は等しく同じように語られてきた。読んだらいい本、聞いたらいい音楽、学ぶべき哲学など人間一般論として画一的に語られてきた。でも、健康法でも大人一般の健康法などあるわけないし、血圧にもすべての世代に通じる標準数値などあるわけがない。一般化しちゃいけないんです。

One thought on “五木寛之

  1. shinichi Post author

    嗜好と文化:第37回 五木寛之さん「第3の人生を創造しよう」

    毎日新聞

    2014/04/07

    https://mainichi.jp/sp/shikou/37/01.html

    第3の人生を創造しよう

    趣味は養生です

     「さらばモスクワ愚連隊」「蒼ざめた馬を見よ」「青春の門」などの小説や、「風に吹かれて」「ゴキブリの歌」などのエッセー。団塊の世代の青春時代は、作家デビューしたばかりの五木寛之さんの、清新で力強い作品群に魅せられた若者が多かった。その団塊の世代も、今年でほぼ全員が65歳以上の「老人」領域に入る。超高齢社会の到来では世界の先頭を行く日本は、何を残して人類に貢献できるのか。「60歳から90歳までいや応なく生きざるを得ないのだから、この30年間を第3の世代として、まったく今までと異なる生き方を創造するときだ」。静かだが熱っぽく語る五木節に、聴き入ってしまった。

     こうしてお会いすると、相変わらずお若いのでびっくりしています。健康の秘訣ひけつなど教えてください。

     「いや、そんなことないですよ。年齢相応にガタがきていますし、記憶力も知力も徐々に衰えてきています。人間の機能というものはナチュラルに経過していきますから。だから無理してアンチエイジングなどしません。昔の先輩作家の中には、わざとご隠居さんのようにして年寄りじみた言動やポーズを取られる方もいましたけど、私はナチュラルです。もう今年で82歳になります」

     ずっと健康なイメージがありますが、今まで大病を患って入院したという経験はありますか。

     「気づきませんでした。というより少々悪くてもそのままできました。僕は大学に入る時に強制的にレントゲン写真を撮られただけで、その後一回もレントゲン撮影していませんし、病院にも一切行かないで生きてきました。多くの人は手遅れにならないように医者に診てもらうのでしょうが、医療への依存心が強いのはダメ。僕は普段から気を付けていて、自分の直感に従って、動物のようにちゃんと生きていますよ」

     だんだん年を重ねてくると、50歳ごろから人間ドックで定期的にチェックする人が多いのですが、五木さんは人間ドックには……?

     「先ほど言ったように、大学のとき一度だけレントゲンを受けただけで、一切病院には行っていないんです。人間ドックも受けたことがありません。リスクを覚悟して生きていかなければなりませんけど。歯医者にだけは行っています」

     それでも80歳代までお元気で。長寿の家系なんですか。

     「いやいや、母は40代、父は50代で亡くなっていますし、弟も姉も若死にでした。僕だけこんなに長く生きるとは思いもしなかった。もうお釣りがくるくらいです。いくら体のケアをしても早く亡くなる人がいるのをイヤというほど見てきました。熱心に歯を磨いても虫歯になる人が多いように、人さまざまですね。だから、あくまでも私の生き方は私のものであって、けっして他人や仲間に勧めるものではありません。この方が自分に合っている、と頑固に僕の生き方をやっているだけです。ひと様はひと様。おせっかいなことはとても言えません」

     動物のように、自分の直感を信じて生きる。いつごろからそういう生き方を意識したのですか。

     「子どもの頃から、教師をしていた父のまねをして岡田式呼吸法というのをやっていました。趣味なんですね。そう、趣味は養生です」

     では、早寝早起き?

     「僕の原稿執筆時間は夜中の0時から朝の5時まで。昔から今まで変わりません。今も新聞連載を2本持っていまして、毎日書いています。多くの健康本には必ず『早寝早起きがいい』と書いてありますけど、もう50年この生活を続けています。朝6時から午後1時までが睡眠時間です。不規則が規則的になっています」

    これからは三つの世代別の三つのカルチャーが生まれてくる

     私も好きで見ていたテレビ番組「五木寛之の百寺巡礼」では、全国各地のお寺を訪ねていました。山寺が多くて結構長くきつい階段もありましたが、よくお上りになっていましたね。

     「はい、大変でした。でも、何百段の階段も、上るときに、例えば真っすぐに上ったり、斜めに稲妻形に上ったり、膝を緩めながら上ったほうがいい場合もあるなど、そういうことを楽しみながら上るんです。僕は今も1カ月のうち15日は旅に出ています。講演や対談やシンポジウムもあります。それがもう趣味になっています。だから階段は確かに大変ですけど、西洋流に歩くか、リズミカルに歩くか、日本の伝統的なナンバ歩きで行ってみるか、などエンジョイしながら、興味を持ってやっていると、一つ一つが楽しみになってくるんですね」

     歩くことも楽しみに変えていくんですね。

     「毎年いろいろな関心テーマを持っていまして、去年は『転倒』でした。いかにつまずかないように歩けるか、どんな動作がいいのかを考える。今年は『嚥下
    えんげ
    』です。高齢になると、食べ物をのみ込むのが難しくなって、喉につかえて、誤ってのみ込んで肺炎になる誤嚥性肺炎で亡くなる高齢者がものすごく多い。胃ろう手術もこの誤嚥性肺炎を予防するためのもの。だから、どうスムーズに安全に自然に嚥下できるかを、一生懸命に試しているんです。これも面白いですよ」

     毎日の生活の基本、例えば歩く、立つ、座る、食べる、飲むといった一つ一つが研究対象になる。面白そうですね。

     「咀嚼そしゃくもそう。胃は鉄も溶かすくらいの強い消化力を持っています。僕は週のうち5日はよくかんで食べますが、残り2日はあまりかまないでのみ込むようにしています。というのも、よくかんで流し込むと、胃はあまり働かなくていいから怠けるんですよ。だから2日ほどはかまないで、怠けている胃を刺激して、野性的な消化力をよみがえらす。食べることでいえば、1日3食は江戸時代から始まったようですが、はたして体にとっていいのは3食か2食か、と考えていると、尽きせぬ興味がわいてくる。こうしていると、一日一日面白くないことがないですよ」

     私は団塊の世代の一人ですが、リタイアした仲間がそのように楽しみながら日々生活するようになれば、退屈しないでしょうね。

     「およそ800万人いた団塊の世代も、いよいよ60代から70代になだれ込んでくる。日本の今は超高齢社会です。老人という言葉は、もうとうに過去のものになりました。高齢者が大多数を占める社会が今後どうなるのか、日本がこの問題にどううまく対応していくかは、最大のテーマです。優れた技術と知恵を持つ日本が、もし、いい対応策を見つけて、グローバルスタンダードを作る先進的な役割を果たせれば、21世紀に残すことができる。それを今、世界が固唾かたずのんで見つめている。とくに超高齢社会で日本に続く中国、インド、アメリカは」

     社会制度などの問題もありますが、高齢者一人ひとりの考え方を変えなければならない時に来ているように感じます。

     「60歳から90歳までの30年間は、いや応なく生きなければいけない時代です。今までの延長でなく、別の人生が始まると考えねばならない。この30年間を第3の人生として、まったく新しい生き方をする覚悟を持つ。別の人生が始まると考えた方がいい。世代で三つに分けると、学生・若者、壮年の勤労者、そして60〜90歳の第3の世代とに分けられる。第3の世代は、まず経済的に若者・壮年の世代に負担をかけないように生きることを目指す。世代間の争いにならないよう、自立した生き方をする。若い人は若い人で頑張って生きてくれ、こっちはこっちで生きていくからと」

     年金や生活資金など、お金の問題は結構難しいのでは?

     「金のことじゃないですよ。全然違う。カルチャーが変わる、変える。生活を単純化、簡素化するんです。おいしいものをたくさん食べるグルメ生活は、もう第1、第2世代に任せて、違う喜びを見いだす。食べるものも着るものももっと簡素化する。社会的な付き合い、社交もいらない。生活は切り詰める……」

     お金をかけずに喜びを見つける。そう簡単にできますか。

     「例えば、水をいろいろ飲み比べるという優雅な遊びはどうか。ふだん我々が飲んでいる水道の水を、長野の水、東京の水、京都の水、大阪の水などあちこちの水を味わいながら、違いを語るというのは優雅な遊びになるでしょう。楽しみながら味わい語るのは、別に金のかかることじゃない。生活そのものを質的に変えていく。そうすると逆に精神的に豊かになっていく方向を目指すしかない。革命的に価値観を変えていかないと」

     今までとは違った高齢者独自のカルチャーを生み出さないといけない、ということですか。

     「今までの社会では、13歳以上の人間は等しく同じように語られてきた。読んだらいい本、聞いたらいい音楽、学ぶべき哲学など人間一般論として画一的に語られてきた。でも、健康法でも大人一般の健康法などあるわけないし、血圧にもすべての世代に通じる標準数値などあるわけがない。一般化しちゃいけないんです。均一の文化として語れない。第3の世代はまったく別のジャンルだと考えた方がいい。これからは三つの世代別の三つのカルチャーが生まれてくると思う」

     では、どうすべきか。

     「第3の世代のための、読むべき本、聞くべき音楽、学ぶべき哲学、ライフスタイルを生み出していくしかない。好むと好まざるとを問わず、30年間生きていかざるを得ない。この30年は長いですよ。そう簡単にこの世を退場させてくれません。このまま少子化が進むと、少数の若い世代が多数の高齢者を支えるいびつな構造になる。そうすると、嫌老感、えん老感が湧いてきて、世代間の対立が起こってくる。そうならないように、第3の世代は他の世代に養ってもらおうと考えないで、これから負担をかけずに自立して生きる準備をしなくてはいけない。60〜90歳は独立した階級の人間として考えた方がいい。今までとは違う別の人生観が求められてくると思う。なによりもまず若い人たちに頼らずに、できる限り自立して生きる。これにつきます」

    下山の過程で文化が成熟していく

     世代間の対立もさることながら、同じ世代の間でもいろいろ違いがあります。

     「もう一つは同世代間の格差も大きな問題になってくる。体力、健康面、仕事の有無、経済力など60〜90歳の間では格差が出てくる。例えば、今でも5億円のマンションをポンポン買える人がいる一方、生活費ぎりぎりで生きている人も少なくない。そこでこれからは、第3の世代内の相互扶助を考えねばならない。格差を減らしていくためには、世代内で解決するしかない。高収入の人は資金を同世代の貧しい人たちに再分配する仕組みを作る。財産の2分の1か、3分の1を寄付する。それをメディアが顕彰する。第3の世代で働ける幸せな人は、同世代の働けない人にどんどんお金を回せばいい。同世代内相互扶助です」

     さて、五木さんは50歳の頃から仏教の勉強をされて、高齢期の生き方についての本を幾冊も出されています。「大河の一滴」「林住期」「下山の思想」など、今おっしゃる「第3の人生」をいかに生くべきかのヒントが詰まっています。

     「僕は常にフリーの立場でやってて、仏教だけでなく、神道もキリスト教もイスラム教も、いろいろ接してきました。ただ、日本人のライフスタイルに一番大きな影響を与えたのは仏教だと思っているので、仏教の登場が多いだけです。『21世紀・仏教への旅』というテレビ番組で、インドからブータンまで訪れたこともあります。新聞の連載小説で親鸞、蓮如を書きました。

     3年前出した『下山の思想』という本では、あちこちから叱られました。そんな希望のない話なんか書くなと。でも、下山とは登山の後半の締めくくりではなくて、いいことなんだ、下山の過程で文化が成熟していくんだ、これは歴史が教えてくれているんだと言っているんですが。無敵艦隊のスペインも、大英帝国も、アメリカも、ロシアもそうで、今日本もいいところに来ていると思います」

     さて、東日本大震災が発生して3年が過ぎました。どんな思いですか。

     「ちょうど地震が発生した時は、山陰地方で講演をしていて、後から知りました。その後、東北には講演などで何回か訪れました。寺田寅彦の『天災は忘れたころにやって来る』という言葉は名言です。真実だと思います。いつかまた来ると、みんなが枕元に懐中電灯やヘルメット、リュックサックを置いて寝ているうちは不思議に大丈夫、来ないんです。ところが人間は必ず忘れる。平安末期から繰り返し大地震が起こっていますが、みんなが忘れたころに来ている。不思議です、皮肉でもありますね。戦争もそうです。敗戦も忘れてしまう。忘れたころにまた戦争が起きている。歴史がそれを示しています」

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