家庭画報


木々や花に囲まれて過ごす至福のひととき。風の音、鳥の声が心地よい。白樺をはじめとする木々も草花も姜さんが自身で植えた。傍らに立つ木は当初からこの庭の中心にあり、姜さんが「この庭の守り神」と呼ぶミズナラ。

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  1. shinichi Post author

    軽井沢へ移住した姜尚中さん。心の豊かさをもたらしてくれる暮らしとは?

    作家の家を訪れて
    姜尚中さん(東京大学名誉教授)

    家庭画報.com

    https://www.kateigaho.com/home/52288/

    ここ数年、別荘地としてだけでなく、定住の地としても注目される軽井沢。6年前に東京から移住した、政治学者の姜尚中さんのお宅に伺い、時間を重ねても飽きることがない軽井沢の魅力についてお話しいただきました。

    軽井沢と聞いてすぐに思い浮かぶのは、「ハイソな」人たちの、日本有数の別荘地というイメージではないでしょうか。

    私もそうでした。どこか近寄りがたい、しかしどんなところか、一度は訪ねてみたい。軽井沢は、私にとってはそんな所でした。

    ただ還暦を迎え、同時に家族の不幸や東日本大震災などが重なり、私は妻と一緒に何かに吸い寄せられるように夏の軽井沢にドライブすることになったのです。

    伏線はありました。生前何度か対談の機会に恵まれた評論家の故・加藤周一さんの自伝的な『羊の歌』を通じて高原の豊かな自然に触れていたからです。

    『風立ちぬ』で有名な堀 辰雄との淡い交流などを綴った加藤さんの名著は、夏の束の間のひと時の美しい思い出を描いて出色でした。

    木漏れ日が悪戯っぽい妖精のように踊りながら、キラキラと深緑の木々の間から顔を覗かせる光景は、印象派の描く世界以上に鮮やかだったのです。

    ただし、反骨精神の塊だった加藤さんがこよなく愛した世界一のアジール(自由な聖域)は、軽井沢ではなく、追分でした。戦前、加藤さんの目には軽井沢は、帝都・東京の夏の延長のような場所に映っていたのでしょう。

    確かに今では戦前以上に軽井沢は、ミニ東京が夏の間引越してきたような風情がないわけではありません。

    でも仕事柄、東京や九州に移動する機会の多い私にとって、それはむしろ逆にフットワークの良さになっています。

    それでも、ちょっと大通りの脇道にそれ、森の道に入れば、そこは別天地、『羊の歌』の世界が再現されているのです。

    夏、踊る木漏れ日に誘われるように森の道をそぞろ歩くと、心が癒やされていくのがわかります。また酷寒の季節、木々にへばりついた細雪が「冬の桜」のよう風に吹かれてひらひらと舞う光景に心もほっこりとした気持ちになります。

    そして大通りに出れば、ここかしこにレストランやカフェ、小さなお店に至近距離で足を運べる、そうした場所が軽井沢なのです。

    加藤さんが生きていれば、きっと俗っぽいと眉をしかめるかもしれませんが、ミニ東京のような都会っぽさと、自然の聖域のような空間が接近している点で軽井沢は際立っています。

    軽井沢の良さ、それはそうした「あれもこれも」を兼ね備えていることです。「姜くん、君は欲張りだよ」と、加藤さんからお叱りを受けるかもしれませんが、軽井沢は私にとって終の棲家になっているのです。

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  2. shinichi Post author

    姜尚中を追い出した聖学院大・阿久戸光晴

    Media Literacy--メディアリテラシーと現代の風景

    http://blog.livedoor.jp/mediaterrace/archives/52580439.html

     大学の入試シーズンが終わり、合格発表も終わって入学金の支払いも終わった3月末、プロテスタント系のミッションスクールである聖学院大から、ウェブサイトで学長の姜尚中が3月で辞任することが発表された。もともと、この聖学院大に姜を熱心に説得して招いたのは、それまで学長だった阿久戸光晴(一橋大・社会卒、東京神学大修士)。聖学院大の宗教主任、助教授、教授、副学長、院長、学友会会長、理事長までを歴任した生粋の聖学院内部者であった。

     http://www.seigakuin-univ.ac.jp/scr/faculty/index.asp?pg=sengyou&uu=m_akudo&sort=&slct=&ppflag=1

     基礎・総合教育部長、聖学院大学総合研究所副所長、後援会理事、同窓会顧問も務めている。

     近時、少子高齢化の影響で大学の入試受験者や入学者は大幅減になっており、中堅以下の私学がとりわけ厳しい状況に。聖学院大も例に漏れず苦戦しており、知名度が高い姜尚中の学長就任で大きな広告塔の役割を果たしてもらう予定であった。姜尚中は2012年から聖学院の全学教授として講義は担当し続けており、学生からも非常に人気が高かった。

     ところが、阿久戸や聖学院の人たちは「姜尚中」という人間についての理解がまるで浅かったため、学長に就任した直後から軋轢が生じた。「姜尚中」は上に飾られて担がれるだけの御輿の飾り役になることがない人物。是を是と、非を非とはっきり態度を示す人物で、諸問題についての個別の考え、その当否、適否、是非はともかくとして、曖昧な位置づけと責任の取り方を強く嫌う。間違っても人寄せパンダとして座っているだけの人間ではない。

     
     聖学院は付属の幼稚園、小学校、中・高一貫校も持つ総合学園であるが、教育界のご多分に漏れず非常に閉鎖的、官僚的な性質があり、そうした内部の現実を目の当たりにした姜学長は、就任直後から大学運営に積極的に発言し始めた。これが姜と入れ替わりで学長から理事長になっていた阿久戸との間に対立をもたらした。姜の改革提案は多面に渡って多くなされ、トイレの改装などにも及び、これらは学生から好評であった。

     姜学長は今年に入るまでわずか1年で学長職を辞する気持ちを持っていなかった。だからこそ、自分が学長であることを大きな選択理由の一つとして受験してくるであろう、多くの入学希望者、受験者に対して入試シーズン前にも何一つ、辞任を伺わせる言葉は周囲の人にも残していなかった。昨年夏に進学を検討している高校生向けにサマースクールが開催されて出てきた時にも、参加した高校生に向けて積極的に大学のPRに務めている。

     http://www.news2u.net/corporations/CR20111819/releases/

     2014年、最初で最後になった入学式での学長挨拶。

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     ところが、2015年1月、学長の姜尚中に宛てて文部科学省から郵送されていた文書を、阿久戸理事長の意向を受けた職員が約5カ月間、渡さないまま手元に置いていたことが発覚。姜尚中を大いに憤慨させることになった。これは郵便法、信書の秘密の観点からも重大な違法行為に該当する。さらにとどめの一撃として、阿久戸理事長が、学長の統治権限を強める学校教育法改正に基づく学則改正作業を、何と学長である姜尚中本人を抜きにして勝手に進めていたことが露見するに至って姜学長の怒りは頂点に達した。
     

     もはや収拾のつかない事態になった聖学院内部。姜に反感を持つ教員、職員が動き始め、姜学長解任を求める「発起人不明」の文書が3月9日の臨時理事会に出されるに至った。解任を求める文書すら実名で出せない人物は、2ちゃんねる入り浸り人間と変わらない。ここまでの泥仕合となった以上、姜が聖学院内に敢えて留まる理由はどこにも残っておらず、解任される前、2日後、3月11日の教授会で辞任を表明。3月16日の臨時理事会でそのまま了承されて3月末での電撃辞任に。その後、急遽、学長選任が行われ、現在は清水正之が学長を務めている。

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     http://www.news2u.net/corporations/CR20111819/releases/

     この事件を報じた朝日新聞が、聖学院大広報課を通じて阿久戸理事長に姜氏の評価などを尋ねたが、

     「理事長としてお答えすることはございません」

     と文書が返ってきただけで、回答を拒否。公の説明や回答は現在もない。この超がつく上から目線の偉そうな物言いは何だろうか。

     
     この聖学院大、阿久戸光晴(前々学長、理事長)の姿勢は、この市民社会において許容されない。キリスト者としてどうこう言う以前に、教育者として、学問に携わるものとして、市民社会に生きる一般国民として、到底、許されるものではない。18歳になるかならないかのフレッシュな新入生たちは、皆、憧れの「姜尚中」学長の大学で、折に触れて姜の講演や挨拶、講義に触れることができると期待して希望を胸に入学している。それらを全て土壇場になってキャンセルしたも同然の行為で、入学金の返還に例え応じたとしてもすでにこの時期、進学先を決めてしまった新入生たちに他の選択肢は残されていない。若い世代の一生に大きな躓きをもたらす打撃をもたらしたのは、他ならぬ阿久戸ら姜を学長から叩き出した聖学院の人たちにある。ここまで開き直るのであれば、国庫から拠出されている何億円にもなる私学助成金を全額返還し、公的支援から独立して運営されれば良いのではないだろうか。

     

     鳴り物入りの学長の実質的な電撃解任を、見苦しい「大人の事情」による泥沼内紛の末、間際になってのどたばた騒ぎにしてしまった。下手をすればこれで一生を台無しにする人生の転倒を経験させられた学生も少なからずいたはずである。金額はそれほど大きくならないかもしれないが、民事訴訟で賠償請求を受けた場合、聖学院大は少なからず責任を認定されて問われることになる。姜が一筋縄で収まらない言論人であることは初めからわかっていたことで、だからこそ今まで多くの著作を残し、知名度も抜群の存在感を持ってきたわけであり、聖学院がそこに期待して東京大教授の定年を待たずに前倒ししてもらってまで学長に招きいれた理由でもあった。

     阿久戸光晴らのとった一連の行動は極めて薄汚い策略と評価されてしかたがなく、まるで霞ヶ関の官僚か、自民党の派閥領袖の如き仕打ちであり、いかにも一橋大、東京神学大を出た自称エリート神学者がやりそうな「作戦」でもあった。政治経済学部長、政治政策学研究科長を務めた阿久戸の「政治」や「政策」とはこういう事をする能力だったようである。このような人間が「牧師」を名乗り、

     「専制と偏狭を永遠に除去するために 主権者であるあなたへ」

     「新しき生」

     などと「民主主義」や「神学」を口にする資格がいったいどこにあるのか、甚だ疑わしい。

     
     聖学院大には、日本基督教団の関係者が今も多く関わっている。藤掛明牧師もそうであるし、吉岡光人(青山学院大卒、東京神学大博士課程修了、吉祥寺教会牧師、元西東京教区議長、信徒の友編集長)も講師として教鞭を執っている。こうした官僚的なやり方という点では、阿久戸牧師も藤掛牧師、吉岡牧師も非常に良く似ている。同じ学院内で「奉職」している共通項である。

     聖学院高からはあの大川従道が卒業生に名を連ねる。大川は静岡が故郷だったが、東京の聖学院高へ親元を離れて進学。その後、ホーリネス系の東京聖書学院を経て、青山学院大の神学部(今は廃部)を卒業し、単立・大和カルバリーチャペルを設立している。その後の目も当てられない醜態は再論しないにしても、聖学院が生んだ最悪の拝金主義者は今なお現在進行形でデタラメ牧師道まっしぐらの状況にある。この大川の大和CCが15周年を迎えた記念礼拝に、日本基督教団の元議長、山北宣久(前青山学院院長、聖ヶ丘教会)が説教を依頼されて列席したことは、教団の内外のみならず一般社会からも強い批判を浴びた。

     大物を学長に招いた事案としては、亜細亜大に学長として一芸一能入試を導入するなど辣腕を発揮し、毀誉褒貶が激しかった昭和の重鎮にして反動的な学者、衛藤瀋吉も、存命中は吉祥寺教会の長老であった。衛藤は戦後日本有数の牧師、竹森満佐一時代からの信徒であった。亜細亜大の一芸一能入試は、現在、慶応大など一流大を含めて全国的に広まったAO入試の先駆けであったが、亜細亜大の現状を見ればそれが必ずしも成功だったとは言いきれない。
     
     
     聖学院大も1学年の定員が500人を割る状況にあるならば、University とはいえない。そもそも内部の人間の思想に、人権や適正手続き、民主主義といった普遍的な=universalな近代思想が乏しいのであれば、専門学校へ切り替えた方がよい。

    「諸般の事情」姜尚中氏、聖学院大学長辞任のわけは

     
     河原夏季2015年4月9日05時10分

     政治学者の姜尚中氏(カンサンジュン、64)が3月末、学長就任から1年で聖学院大を去った。就任前から世間の注目を集めた「スター学長」。活動が軌道に乗り始めた矢先に、なぜ?

     「諸般の事情で大学を辞めることになりました」。姜氏が突然、同大HPに辞任のメッセージを載せたのは3月20日。14日の卒業式で学長として式辞を述べたばかりで、姜氏は取材に「いろいろありますが、今は『諸般の事情』以外に答えられない」と話した。

     姜氏は2013年4月、東大大学院教授から聖学院大教授に転じ、昨年4月に学長に就任。5年の任期の予定だった。キャンパスがある埼玉県上尾市は1981年に独留学から帰って住み、キリスト教の洗礼を受けた地で、「私にとって第二の故郷」と語っていた。そんな縁を知ってラブコールを送ったのが聖学院生え抜きで前任学長の阿久戸光晴理事長(64)だった。

     姜氏は学長に就くや「改革」に乗り出す。財務状況など大学運営の問題点を洗い出し、70歳定年制の見直しや非常勤職員の勤務時間短縮に着手。古いトイレの改修は学生に好評だった。

    ■「広告塔」のはずが…

     だが大学関係者は「『広告塔』のはずが、大学運営に口を出し始めたことで、理事長との間に溝が生じたのではないか」という。

     さらに今年1月、姜学長宛ての文部科学省の文書を、阿久戸理事長の意向を受けた職員が約5カ月間、渡していなかったことが発覚。理事長側が、学長の統治権限を強める学校教育法改正に基づく学則改正作業を姜学長抜きで進めていたこともわかったという。

     学長解任を求める発起人不明の文書が3月9日の臨時理事会に出されると、姜氏は先手を打つ形で2日後の教授会で辞任の意向を表明。16日の臨時理事会で了承され、月末での辞任が決まった。

     聖学院大広報課を通じて阿久戸理事長に姜氏の評価などを尋ねたが、「理事長としてお答えすることはございません」と文書で回答があった。

    ■動揺する学生たち

     学生は動揺を隠せない。今月入学した政治経済学部の男子学生(18)は「説明会で姜学長の話を聞き、いい先生がいるなと思っていたのに」。先月卒業した女性(22)は姜氏との意見交換会を振り返り、「大学が変わっていく様子が目に見えて分かった。後輩たちをうらやましく思っていただけに残念」と肩を落とした。

     創立27年とまだ歴史が浅い聖学院大のキャッチフレーズは「面倒見のよい大学」。入学前から就活まで手厚いサポートが売りだ。だが少子化もあって志願者数は年々減り、13年に初めて定員割れ。姜氏を招いた後の今年度の入学者も定員を約100人割り込んだ約470人だった。

     教育ジャーナリストの小林哲夫さんは「大学がスター学長を呼ぶ一番の理由は学生募集。役割は広告塔でいい」としつつ、「成功=志願者数の増加」だとすると、学長のネームバリューは志願先を決める理由にはなりにくいという。

     小林さんによると、ノーベル物理学賞の江崎玲於奈氏(筑波大など)、数学者の広中平祐氏(山口大)ら著名な学者を招いた例はあるが、学長として目立つ功績があるわけではない。

     一方、一芸一能入試を導入した故衛藤瀋吉氏(亜細亜大)、秋田発の人材育成で知られた故中嶋嶺雄氏(国際教養大)は、「積極的に大学をアピールし、全国から志願者を呼んだ数少ない成功例だろう」。

     京都精華大はマンガ学科を創設した00年、少年同士の恋愛をテーマにした漫画「風と木の詩(うた)」で知られる漫画家の竹宮恵子氏(65)を専任教授に迎え、14年に学長に就けた。京都造形芸術大は07~13年に作詞家の秋元康氏(56)を副学長に据えた。同大学関係者は「学生に刺激を与えたとは思うが、高校生の進路選択に影響したかは分からない」。

     小林さんはスター学長の役割についてこう話す。「しっかりした教育理念を持って学生と接し続けること、とりわけ新設大学は、生き残るためにどんどんメディアに出てアピールすることだ。ただあらかじめ経営陣との間で役割と権限を明確にしておかないと、同じようなことがまた起こるのではないか」

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