四本裕子

駒場の1年生の心理学の講義で、最初にやるんですよ。血液型性格判断がいかに正しくないか、科学的じゃないか。でも、結構な数の子があれでショックを受けちゃうんですよね。今まで信じてましたって。でも、サイエンスとしての心理学の講義をとる以上、そこのところはちゃんとしてほしいです。血液型性格判断は、もう100パーセント非科学的なんですけど、ただ、血液型性格判断を信じてしまう人の心理っていうのは、おもしろい研究対象ではありますね。

3 thoughts on “四本裕子

  1. shinichi Post author

    研究室に行ってみた。
    東京大学 認知神経科学・実験心理学 四本裕子
     第1回 錯視から入る不思議な知覚の世界
     第2回 錯視から脳の新たな働きを解明
     第3回 ヒトの脳はどのように時間を知覚しているのか
     第4回 「分離脳」だから分かった感覚のつながりとは
     第5回 「男脳」「女脳」のウソはなぜ、どのように拡散するのか

    **

    第5回 「男脳」「女脳」のウソはなぜ、どのように拡散するのか

    https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/web/17/020800002/021400005/?P=1

    目で見ているものが「実際」とは違って見えてしまうことを指す「錯視」。この錯視を含め、見たり聞いたり考えたりしているときの脳の活動を測定して、「時間の知覚」「多感覚統合」「脳の性差」など、人間の内なる活動のメカニズムを探る四本裕子先生の研究室に行ってみた!(文=川端裕人、写真=内海裕之)

     日本錯視コンテストの入賞者に、毎年、東大に所属する人が複数いることに気づいて、東京大学大学院総合文化研究科の四本裕子准教授の研究室にたどりついた。

     そこから、「時間の知覚」や「多感覚統合」といったスリリングなお話を伺ってきた。

     最後にとりあげるテーマはもっと日常的な文脈に引きつけやすい「脳の性差」、つまり、「男の脳」「女の脳」の話だ。

     まず、お断りしておくと、お酒の席で「だから男は●●で、だから女は◆◆だ」というふうに盛り上がる話にはなりそうにない。むしろ、これまでこうだと言われてきた神話を剥ぎ取るような話になる。

     四本さんは東大の教養学部がある駒場キャンパスの准教授なので、大学に入ってほやほやの1年生の講義を受け持つことがある。その時のエピソードをもって、まず想像してほしい。

    「駒場の1年生の心理学の講義で、最初にやるんですよ。血液型性格判断がいかに正しくないか、科学的じゃないか。でも、結構な数の子があれでショックを受けちゃうんですよね。今まで信じてましたって。でも、サイエンスとしての心理学の講義をとる以上、そこのところはちゃんとしてほしいです。血液型性格判断は、もう100パーセント非科学的なんですけど、ただ、血液型性格判断を信じてしまう人の心理っていうのは、おもしろい研究対象ではありますね」

     血液型性格判断については、もう信奉する人が度を越していて、ぼくもうんざりなので、四本さんのこの姿勢には大いに共感する。それが「正しくない」「科学的じゃない」理由については、本稿のカバーする範囲ではないと思うので触れないが、学問的にまったく支持されていないという事実はゆるぎなく、これまで信じてきた人は、そんな変な枠組みに自分自身や他人を鋳込むのはやめておいた方がいい。

     さて、脳にかかわる世間の関心は強く、さまざまなことが語られる。科学的な根拠がなかったり、あったとしても曲解、拡大解釈して、結果、誤った理解を広めてしまうことが絶えない。たとえば、2009年、OECD(経済協力開発機構)が公表して、有名になった「神経神話」“Neuromyths”には、「人間の脳は全体の10%しか使っていない」「右脳人間・左脳人間が存在する」「脳に重要なすべては3歳までに決定される」「男性の脳と女性の脳は違う」などが挙げられている。

     脳の性差は、まさにこの「神経神話」の代表的なもののようだ。四本さんは、そこにどう切り込むのか。

    「間違った心理学で、男性がこう、女性がこうとか、世の中ではよく言われていますね。例えば、男女の脳の違いとして、男性の方が左右の脳の連携がよくないとか。これには、元になった論文がありまして、1982年に『サイエンス』誌で発表されています(※)。

    (※)(C DeLacoste-Utamsing, RL Holloway (1982) Sexual dimorphism in the human corpus callosum Science 1982;216:1431-2.)
    http://science.sciencemag.org/content/216/4553/1431

    男女それぞれ、脳梁の太さを測ったら、女性のほうが太かったと。でも、この論文のデータは男性9人、女性5人からしかとってないんです。それだけで、女性のほうが左右の脳の連絡がよくできてるっていう結果にしている。そもそも信頼性がないし、その後、いろいろな研究者が再現しようとしたんだけど、結局できてません。今さすがにこれを信じている脳科学者はあんまりいないんですよ」

     現在の知見では、少なくとも形態上、男女の脳に違いはない、ということになっているそうだ。しかし、「男女の脳」「脳梁」といったキーワードで検索すると、驚くほどたくさんの結果がヒットして、「脳梁が太いから女性はおしゃべりで、感情的」みたいなことが平気で書いてある。

     では、「脳の性差」を研究する四本さんは、「性差がない」と見越した上で研究を進めているのだろうか。もちろん、「ない」ことを証明するのは難しいし、科学的な議論としては、検出できる違いがあるか、あるならどの程度か、ということになるのだろうが、それでも、見通しがどの方向なのかというのは知りたい。

    「私、別に男女の脳に差がないとは全然思ってなくて、絶対あると思ってるんです。でも、じゃあ、それがどんな差なんだろうっていうときに、気をつけてもらいたいことがあります。たとえば、これを見てください。メンタルローテーション課題というんですけど、立体図形を頭の中でクリクリッと回して、一致するものを探す課題ですね。これって、世の中にある諸々の課題の中で一番、男女差が出しやすいっていわれてます」



    メンタルローテーション課題の例。


     これはぼくも聞いたことがある。「女性は地図が読めない」という理由付けに使われていた。それ自体、神話の香りがする説だが、そこはスルーして、四本さんの説明をさらに聞く。

    「じゃあ、この課題での男女差ってどのくらいだろうっていうときに、横軸に点数をとって、縦軸にその点数をとった人の人数をプロットしたヒストグラムを作ります。右にいくほど成績がいい人で、左にいくほど成績が悪い人で、平均あたりに一番人数が多いという形になった時、男性と女性のプロットを比べると、女性はちょっとだけ全体的に左にずれている。これは統計的にはめちゃめちゃ有意なんです。確実に男女差がある。でも、有意だというのと、大きな差があるかというのは別で、男女のヒストグラムがこれだけ重なって、男女の平均の差よりも、個人差の方が大きいよねってくらいのものですよね。一番、はっきり差がでるものでもこれくらいですから」



    最も差が出るテストでも、男女の平均の差よりも個人差のほうが明らかに大きい。


     すごく大事なのは、集団Aと集団Bの間に差があると分かった時、それが統計的に「有意」であったとしても、それだけで、集団Aの構成員はこうで、集団Bの構成員はこうだ、とは決めつけられないことだ。集団間にある分布の違いを明らかにすることと、構成員の個々の特性を明らかにすることは全く違うことなのに、しばしば混同される。

     さて、それでは、四本さんが、以上のような前提に立って、また、手持ちの武器である高性能なfMRI装置を使って分かってきたことは?

    「先にも言いましたが、最近の男女差研究って、スキャンして見たら、この部分が男女で形態的に違うみたいなことはもうないんです。では、何が違うのかというと、脳内部でのつながりの強さなんです。私たちの研究では、脳の中の場所を84カ所に取り分けて、そのつながりの強さの違いを、84×84の組み合わせで考えてます」

     これは四本さんが自家薬籠中の物とするfMRIの面目躍如たる研究だ。脳の形態も血流もすべて考慮して、84×84の組み合わせ(正確には2で割って3500くらいの組み合わせ)を総当り的に見ている。様々な部位が、別の部位とどれくらい強くつながっているかを丹念に確かめ、その結合の強さで色分けすると、ちょっと訳のわからない模様が浮き上がってくる。

    「84×84の組み合わせの表を男女別に作って、女性と男性の差を計算してあるんです。84カ所、それぞれ脳の場所の名前がついています。それで、皆さん、関心があるのは、こういった組み合わせで何が言えるだろうってことだと思うんですけど、それはわからないです。ただ、こういったもののパターン認識は、最近の機械学習が得意なので、パターンの違いを学習したAIに分類させると、約92%の精度で男女を見分けることができる、くらいのことは言えるんです。でも、これって、たぶん男女じゃなくても、これくらいの差は出るんですよね。例えば、20代の人と30代の人、というふうに比べてもやっぱり差はでると思います」

     違いはある。見分けることも9割以上できる(1割は間違う)。

     男女という分け方だけでなく、年齢差やほかの分け方でも、ネットワークの結合パターンの違いは見えてくる。

     今わかっているのは、それくらいだ。

     ここから新たな神話を引き出すというような話ではないらしい。

     やがて、男女の認知とか行動とかの違いとの関係が分かる日が来るかもしれないが、それも、おそらくは「ローテーション課題」の場合と同じで、集団としての分布の違いは言えても、個人の差をはっきりと語るものにはならないだろう。

     それでも! 相変わらず、神経神話は量産され続けている。四本さんは、同じくfMRIを使って、男女の脳のネットワークに統計的な差を見つけたとする論文が、その後、どのように伝わっていったか追跡した論文(ややこしい!)を見せてくれた。

    「これ、2014年の『プロスワン』誌に科学コミュニケーションの研究者たちが書いたものです。まず、注目した論文というのが『PNAS(米国科学アカデミー紀要)』に出たfMRIを使った脳研究で、脳の中のネットワークが、女性は半球“間”のつながりがやや強くて、男性は半球“内”のつながりが強い傾向があるというものでした。その後、論文からプレスリリースになり、ニュースにとりあげられてブログの記事になり、ニュースのコメント欄、ヤフコメみたいなところにいくにつれて、本来は『結合パターンに統計的な差が見つかった』って話なのに、『女性はマルチタスクにすぐれていて、男性は難しい課題に集中することができる。だから女性は家にいて家事をやるのが得意で、男性は外で仕事をするのがいいということがわかり、報告された』になってしまうと。いかに細心の技術と知識を使って、2群の差をあらわそうとして、単純化できないような差を見つけたとしても、そんなのは社会に必要とされていないんだなあと思い知らされます」

     四本さんは、「自分にとっての赤が、他人にとって赤だと証明するためにはどうすればいいか」と考えるような子どもだった。たぶん、現時点でも、その回答はない。今後のことはわからないけれど、目下のところ、サイエンスが適切な回答を与えることができない、哲学上の問いになっている。

     けれど、目の前にある面白いことに夢中になるうちに、ここまでやってきた。視覚の研究から始まり、我々が時間をどう知覚するかという難問に真正面から取り組み(時に、退屈な会議を短く感じる方法に思いを馳せ)、いくつもの知覚をまとめあげる多知覚統合の仕組みを解明しようとする。

     科学的であろうとすると、大風呂敷を広げるの自制して、地味になる。にもかかわらず、こと脳神経については、自分の研究がすぐに「神話」に組み込まれてしまう可能性と常に隣り合わせだ。では、どう伝えればいい?

     四本さん自身もジレンマを抱えているわけだが、何時間もお話をうかがって、今、この原稿を書いているぼくにしてみても、やはり大いなるプレッシャーを感じざるを得ない。

     さて、ここまで読んでくださったみなさん。

     この連載は、地味だけど充分に知的好奇心を刺激しましたか? それとも、「はっきりした結論を出さない」がゆえに、もどかしく不親切なものだったでしょうか。

     前者なら、いいなあと、心から願う。

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  2. shinichi Post author

    血液型性格分類

    ウィキペディア

    https://ja.wikipedia.org/wiki/血液型性格分類

    血液型性格分類とは、血液型によって人の性格を分類したものを指す。一般的にはABO式血液型によって性格特性を分類し、A型は~な性格、B型は~な性格、などといった具合に言及される。1971年以降、大きな影響力を持った能見正比古(1925年 – 1981年)と能見俊賢(1948年 – 2006年)の親子が提唱したのは血液型人間学であり、新たな学問であるかのように提唱していたが、正比古の死後、1980年代には日本の心理学側からこれを否定した研究結果が登場するようになった。本項ではそれ以外の判断法も広く話題として扱う。

    血液型性格判断も広く血液型占いと呼ばれることがあるが、占いの方の記事では、血液型同士の相性や運勢、血液型の星座との組み合わせの占いを扱う。

    概要

    日本の心理学が出した結論として、血液型性格分類と血液型には統計的な関連は認められていない(ただし、自己成就現象についてこの注釈も参照)。血液型性格分類が広まっているのは、日本とその影響を受けた韓国といった一部地域だけであり、それ以外の地域では性格と血液型を関係づける習慣がなく、日本の血液型性格分類は奇妙に思われている。そもそも血液型への関心自体が無く、その大半が自分の血液型を知らない(輸血や献血が必要な時は、その場で血液型検査が行われる)。

    能見の血液型人間学について、心理学側からの検証が行われた理由には、大衆娯楽的なほかの著者とは違い、著名人の血液型の統計分布を比率として示し、データを中心としていたことが挙げられる。一方、単に占いであれば学術的な検討の土壌に上げることは躊躇される。1970年代から2000年代前半にかけて、多くのテレビや書籍が根拠なく分類を広めた。

    血液型性格分類の受容

    日本の心理学では、血液型性格分類が人々の間どのように受容されているのかということも心理学的探究のテーマのひとつとなっており、コミュニケーションのためということや、この考え方を取り入れることで役立っていると解される。

    誰しもに血液型はあるため、話題にしやすく、会話も弾みやすいという利点がある。

    血液型性格分類を信じる心理状態

    心理学者の大村政男が、1984年(昭和59年)にNHK総合テレビジョンでも実施した実験では、気質と血液型の説明を別の血液型とで入れ替えても、90%前後の人々が自分に該当すると答えたという。血液型性格分類以外の様々な性格テストや占いにおいて生じる現象だという。

    大村政男の実験例では、学生(対象:四年制大学生・短期大学生279人)を対象にアンケートの形で「質問紙のA・B・AB・O型それぞれの欄に性格特性と呼ばれるもの(能見正比古のあげたもの)が列挙したものを学生に渡し、『あなたの実際の性格はどの血液型のものに当てはまるか?』と質問した」ところ、どの型の学生も「自分の実際の血液型の欄にある性格特性が一致している」と回答した者が多かったが、このとき意図的にOとA・BとABの血液型のラベルを入れ替えた(つまり「A型の性格特性があてはまる」と答えた人は実際にはO型が一致していると回答していた)にもかかわらず、このような結果が出ていた。

    大村はこういった分類法が当たっているように感じる理由として、以下のFBI効果を上げている。こうした効果によって血液型性格分類が人々に受容されると、大村は考えている。

    • フリーサイズ効果(Freesize):「誰もが着られるフリーサイズのTシャツ」のように、各血液型の特徴として挙げられているものが誰にでも当てはまるものである汎用性がある。「堅実な暮らしを望む」「マイペースな暮らしを望む」という特徴では、どの血液型でも70%、80%と多くの人が該当すると答えたということで「フリーサイズ効果」だとしている。バーナム効果とも言う。
    • ブラックボックス効果(Blackbox):2012年にBにはこれを当てはめ、人の心もとても理解できないブラックボックスで、しかしどの血液型をここから取り出して見てみようとしても実際にあるのは自分自身であるというよくわからない文章である。1992年では、ラべリング効果(Labeling)として「張られたラベルを信じ込む」ように、「これがA型の特徴」といわれると実際に合ってなくてもそう思ってしまうとしていた。
    • インプリンティング効果(Imprinting):暗示性が強い人が当てはまってしまいやすい、「刷り込み」のようにいったん信じ込むとその印象がずっと残る。

    サトウタツヤによれば、複雑に考えることを避けるために「権威に従う」という心理が、背景にあると考えた。

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  3. shinichi Post author

    能見正比古

    ウィキペディア

    https://ja.wikipedia.org/wiki/能見正比古

    能見 正比古(1925年 – 1981年)は、日本の文筆家。人の血液型と気質とを統計的に関係付けたと称し、「血液型人間学」や「血液型性格分類」という占いを考案した人物。

    血液型人間学

    経緯

    血液型と気質の因果関係について独自のデータを集積し、対象者の思考パターンや行動パターンと絡めて独自に関連づけようとした。能見正比古は多くの書を出版し、テレビ出演を積極的に行ったことにより、彼の提唱する「血液型人間学」は70年代後半にマスコミに注目され、現代にまで続くブームを巻き起こした。彼の死後、息子の俊賢が遺志を引継ぐ。

    なお、多くの日本人が血液型性格分類に関する内容や話題を肯定的にとらえている。場合にもよるが、概ね60〜80%程度の人が血液型性格分類に肯定的な態度を示しており、最近の社会心理学者が行った調査では、大学生の多くは血液型性格分類が好きであるために「相応の知識を持ってよく話題にし」「血液型と性格の間には多少の関係があり」「自身の血液型についてもある程度当てはまる」という結果が示されている。

    概要

    「血液型人間学」は、能見正比古によって創出された造語である。血液型を理解することによって、よりよく人間を理解しようというのが当初の目的であった。現在の血液型占いでは、気質や性格をやや固定的に捉える傾向があるが、血液型人間学は必ずしもそうではない。彼が一貫して主張していたのは、血液型をグループとして見た場合に、気質や性格に傾向があるというものである。また、性格は必ずしも固定的に考えるべきものではなく、TPOによってダイナミックに変動するものとした。

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