辺見じゅん

それぞれの遺書を読むことで 戦場とは戦争とは何かということを 私たちひとりひとりが自分自身に向かって問いかけることが 大切ではないか そう思っております

おそらくですね 記憶で運ばれた遺書というのは 前代未聞 これからも考えられないような気がするんですね

言葉というのは ことのはと書きますよね ほんとに ことのはなんです そして言霊でもある そこのなかに人間の魂が籠っている 人間が最後に残す言葉というのは ぐさっとささるし そして 染み入るんですね

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2 Responses to 辺見じゅん

  1. shinichi says:

    あの人に会いたい

    辺見じゅん

    https://www2.nhk.or.jp/archives/jinbutsu/detail.cgi?das_id=D0016010438_00000

    歌人で作家の辺見じゅん。「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」「昭和の遺書」「男たちの大和」など、戦没兵士やその遺族の思いを手紙やはがきに託された遺書を手がかりに描き続けた。
    昭和14年富山県水橋町(現・富山市)生まれ。父親は俳人で、のちに角川書店を創立する角川源義(げんよし)。辺見じゅんは父親の影響で幼い時から和歌、俳句に親しみ、昭和33年早稲田大学を卒業後は小説や民俗学的な作品、ノンフィクションを発表していく。地方を取材して歩くなかで、戦艦大和で息子を失ったという母親に出会い、その手紙を見て、兵士とその遺族の思いを書こうと決意。大和の生存者とその遺族などを取材し、昭和58年「男たちの大和」を発表、翌年、新田次郎文学賞を受賞した。その後、「海の墓標委員会」委員長として、戦艦大和の沈没場所の特定、そして船体の発見に成功する。昭和62年には「昭和の遺書」平成元年には「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」を著し、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。シベリアに抑留され亡くなった人の遺書を、持ち出しが禁じられるなかで、生き残った仲間たちが記憶して家族に届けるという実話を通して、極限状況でも家族や故郷への思いを持ち続けたひとりの人間の尊厳を描いた。故郷富山市の文学館の館長に就任する直前の平成23年9月、急逝した。戦没者が残していった言葉を通して、人間の尊厳とは何か、問い続けた辺見じゅんの思いが語られる。

  2. shinichi says:

    収容所(ラーゲリ)から来た遺書

    by 辺見じゅん

    「非力もかえりみず偉大なる凡人の生涯、それもシベリアの地で逝った一人の男の肖像を描きたいと思ったのは、その不屈の精神と生命力に感動したからに他ならない」

    敗戦から12年目に遺族が手にした6通の遺書。ソ連軍に捕われ、極寒と飢餓と重労働のシベリア抑留中に死んだ男のその遺書は、彼を欽慕する仲間達の驚くべき方法により厳しいソ連監視網をかい潜ったものだった。悪名高き強制収容所に屈しなかった男達のしたたかな知性と人間性を発掘した労作。

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