語り継がれたこと

2500年くらい前に
私の心は石でないから
転がすこともできない

と詠んだ人がいて
それが詩経に収められて
後世に伝わることになって

1500年くらい前に
私の心は石でないから
転がすこともできない

というところを読んだ人が
石は無常なものの象徴だって
言い出したりして

800年すこし前に
二条院讃岐という人が
石に寄する恋という題で
私の袖は干潮のときにも見えない沖の石みたいに
だれも知らないだろうけど乾くまもない

って石の無常を詠んで

300年くらい前に
二条院讃岐は
歌のうまかった人だったって
恋多き人だったって
つらい人生を歩んだ人だったって
そんなことが言われだして

私たちは
2500年前の
いったいなにを知っていて
1500年前の
いったいなにを知っていて
800年前の
いったいなにを知っていて
300年前の
いったいなにを知っているかって
そう問えば
じつはなんにも知らないんだって
ぜんぶが想像でしかないんだって
そういう答えが返ってくる

2500年前に
私の心は石でないから
転がすこともできない

と詠んだ人が
なにを思っていたのか
1500年前に
それを読んだ人が
なぜ石が無常なものの象徴だって
思ったのか
800年前に
二条院讃岐は
なにを思ってあの歌を詠んだのか
300年前の人は
二条院讃岐の
なにを知っていたというのか

私たちのように
300年前の人も
800年前の人も
1500年前の人も
2500年前の人も
なにも知らない
それでも定説は
まるで真実かのように
語り継がれる

5 thoughts on “語り継がれたこと

  1. shinichi Post author

    柏舟:我が心石にあらず(詩経国風(邶風))

    https://chinese.hix05.com/Shikyo/shikyo114.hakushu.html

    汎彼柏舟  汎たる彼の柏舟
    亦汎其流  亦た汎として其れ流る
    耿耿不寐  耿耿として寐ねられず
    如有隱憂  隱憂あるが如し
    微我無酒  我に酒の以て敖し
    以敖以遊  以て遊する無きに微ず

    我心匪鑒  我が心 鑒に匪ず
    不可以茹  以て茹る可からず
    亦有兄弟  亦た兄弟有れども
    不可以據  以て據る可からず
    薄言往愬  薄らく言に往き愬れば
    逢彼之怒  彼の怒りに逢ふ

    我心匪石  我が心 石に匪ず
    不可轉也  轉がす可からざる也

    我心匪席  我心 席に匪ず
    不可卷也  卷く可からざる也
    威儀棣棣  威儀 棣棣として
    不可選也  選ぶ可からざる也

    憂心悄悄  憂心 悄悄として
    慍于群小  群小に慍まる
    覯閔既多  閔に覯ふこと既に多く
    受侮不少  侮を受くること少なからず
    靜言思之  靜かに言に之を思ひ
    寤辟有漂  寤めて辟つこと漂たる有り
     
    日居月諸  日や 月や
    胡迭而微  胡ぞ迭って微なるや
    心之憂矣  心の憂ひ
    如匪澣衣  澣はざる衣の如し
    靜言思之  靜かに言に之を思ひ
    不能奮飛  奮ひ飛ぶこと能はず

    水に浮かぶあの柏の船、汎然として流れていきます、ところがわたしは眠ることもできません、心にわだかまりがあるからです、お酒を飲んで泣き、遊んで気を紛らわすことができないわけでもないのに

    わたしの心は鏡ではないので、何でも写して悠然としていることはできません、兄弟がないわけではありませんが、愚痴をこぼすわけにはいきません、そんなことをしたら、怒りを買うばかりでしょう

    わたしの心は石ではないので、転がすこともできません、わたしの心は莚ではないので、巻いてしまうわけにもいきません、だから威儀堂々に心がけ、ほかになすすべもないのです

    憂鬱な思いをかこっていますと、皆さんから馬鹿にされます、いつも憂えげな顔をしているので、侮られるのです、こんなことを思い続けていると、眠ることもままなりません

    お日様やお月様も、いつも明るいわけではありません、わたしの心は憂いのために、いつも着古した衣のように濁っています、こんなことを思い続けていると、鳥のように奮い立つこともできません

    **

    古来妾の嘆きを歌ったものだとされてきた。多少難解なところもあるが、その気持ちで読むと、妾の嘆きが伝わってくるような気もする。

    昭和時代の作家高橋和巳の小説に「我が心石にあらず」と題する作品があるが、彼はその題名をこの詩からとった。もともと中国文学者として出発した高橋和巳にとっては、詩経の中にあるこの言葉は、心に響くものがあったのであろう。

    石を転がすとは、たまった憂いを拭い去ることに通ずる。転がすこともできなければ、憂いはいつまでも晴れぬ。

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  2. shinichi Post author

    詩経

    https://kotobank.jp/word/詩経-72742

    日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

    中国最古の詩集。黄河流域の諸国や王宮で歌われた詩歌305首を収めたもので、『書経』『易経』『春秋』『礼記(らいき)』とともに儒教の経典(いわゆる五経)の一つとされた。西周初期(前11世紀)から東周中期(前6世紀)に至る約500年間の作品群と推測されている。内容は、周王朝の比較的安定した時代にふさわしい明るい叙情詩から、混乱期を反映する暗い叙事詩まで多彩だが、数のうえでもっとも多いのは恋愛詩である(婚姻詩を含めて全体の約半数)。したがって『詩経』は、儒教以前の古代歌謡の黄金時代に花開いた中国文学史上まれな恋愛文学ないし女流文学の一面をもっている。
     口頭で伝承された作品群がいつ文字言語に写され編集されたか明らかでないが、現存の『詩経』は漢の毛(もう)公の伝えたとされる『毛詩』(その注釈が『毛伝』)で、風(ふう)・雅(が)・頌(しょう)の3部から構成されている。風(十五国風(こくふう)、160首)は諸侯国の民間歌謡を主とし、そのテーマは、恋愛、結婚、生活、戦争という歌いの場を縦軸に、熱情、喜び、悲しみ、戯れなどの感情を横軸に交差させて示すと、たいていこの座標に収まるが、8割は恋愛・結婚の喜び・悲しみに集中する。歌垣(うたがき)的な祝祭を背景に恋愛のゲームを歌う「行露(こうろ)」(召南(しょうなん))、「新台(しんだい)」(風(はいふう))、「桑中(そうちゅう)」(風(ようふう))、動植物や投果・渡河などの象徴を用いて大胆な求愛を歌う「鶉之奔奔(じゅんしほんぽん)」(風)、「有梅(ひょうゆうばい)」(召南)、「裳(けんしょう)」(鄭風(ていふう))、愛の顛末(てんまつ)を描いた叙事詩「氓(ぼう)」(衛風(えいふう))、失われた愛の悲劇や葛藤(かっとう)をつづる「谷風(こくふう)」(風)、「墓門(ぼもん)」(陳風(ちんふう))、「鴟(しきょう)」(風(ひんぷう))、婚姻のしがらみによる苦悩を描く「載馳(さいち)」(風)など、古代女性の熱烈な息吹を伝える作品が多い。雅(小雅(しょうが)74首、大雅(たいが)31首)は宮廷、社会、戦場、歴史が主舞台で、貴族の饗宴(きょうえん)での祝福や歓迎、兵士の望郷や将軍の武勲、亡国の憂いや社会悪への憤りなどをテーマとする詩、また、周の起源や建国を歌う叙事詩(「生民(せいみん)」「緜(めん)」「文王(ぶんおう)」など)、そのほか小雅には国風的な恋愛・結婚の歌も含まれている(「采緑(さいりょく)」「小弁(しょうはん)」「何人斯(かじんし)」など)。頌(周頌31首、魯(ろ)頌4首、商(しょう)頌5首)は祭場が舞台で、おもに祖先への頌歌や求福をテーマとする。『詩経』で使用されている言語は甚だ難解であるが、文体論的分析を通して種々の特徴がとらえられる。たとえば国風の基本詩形は四言(4シラブル)のリズムを基調とし、4詩行をもつ連(れん)(スタンザ)が3回反復される。
     周南・樛木(きゅうぼく)(つる草に絡みつかれる木でもって、女の積極的な愛を受ける男の幸福を歌う)

    南有樛木 南の国のしだれ木に
    葛壘(a)之 かずら草のはうという
    楽只君子 喜びあふれる殿方に
    福履綏(b)之 良き人の幸(さち)もたらさる

    南有樛木 南の国のしだれ木に
    葛荒(a)之 かずら草のおおうという
    楽只君子 喜びあふれる殿方に
    福履将(b)之 良き人の幸みたされる

    南有樛木 南の国のしだれ木に
    葛栄(a)之 かずら草のめぐるという
    楽只君子 喜びあふれる殿方に
    福履成(b)之 良き人の幸とげられる

     これは伝承童謡と似た形式であるが、言語の技巧は甚だ高度である。反復で変換される語(a・b)は、横の列に音声上の類似性、縦の列に意味上の類似性をもつ語(パラディグム)を配置し、漸層法や遠近法の効果をつくりだす。また、各連で自然(前半2行)と人間(後半2行)を並べる平行法により、無関係の二物間に隠喩(いんゆ)(メタファー)を発見ないし創造するという手法(「興」という)を編み出した。そのほか、西欧の古代・中世文学にもみえる定型句(フォーミュラー)の手法や、わが国の本歌取(どり)に似た手法もあり、豊富なレトリックと相まって中国詩学の源泉となっている。『詩経』はすでに孔子(こうし)のころから知識人の教養とされたが、詩の最初の意味はしだいに忘れられ、秦(しん)の焚書(ふんしょ)を経て、四つのテキストが出現した。しかし後漢(ごかん)の鄭玄(じょうげん)の注釈(『鄭箋(ていせん)』という)により解釈の体系性を与えられた『毛詩』のみ生き残った。『毛伝』と『鄭箋』を敷衍(ふえん)した唐(とう)の孔穎達(くようだつ)の注釈(『毛詩正義』)をあわせて古注といい、南宋(なんそう)の朱子(しゅし)の新注(『詩集伝』)と対する。新注は古注ほど硬直していないが、歴史主義的、道徳主義的解釈では共通する。儒教的解釈学から解放されて『詩経』の真の姿に迫ろうとする試みは20世紀に始まった。フランスのマルセル・グラネの社会学的研究(1919)が先鞭(せんべん)をつけ、聞一多(ぶんいった)の民俗学的研究(1937)が続く。イギリスのアーサー・ウェーリーの優れた英訳(1937)、スウェーデンのB・カールグレンの言語学的研究(1942)も現れ、新しい「詩経学」が緒についた。[加納喜光]
    『吉川幸次郎訳注『中国詩人選集1・2 詩経国風 上下』(1958・岩波書店) ▽目加田誠訳『中国古典文学大系15 詩経・楚辞』(1969・平凡社) ▽目加田誠著『詩経訳注』上下(1983・龍渓書舎) ▽高田真治著『漢詩大系1・2 詩経 上下』(1966、68・集英社) ▽松本雅明著『詩経諸篇の成立に関する研究』上下(1980、81・開明書店) ▽白川静著『詩経研究 通論篇』(1981・朋友書店) ▽加納喜光訳『中国の古典18・19 詩経 上下』(1982、83・学習研究社) ▽中島みどり著『中国詩文選2 詩経』(1983・筑摩書房) ▽石川忠久著『詩経』(1984・明徳出版社) ▽境武男著『詩経全釈』(1984・汲古書院)』

    Reply
  3. shinichi Post author

    (sk)

    いつの時代も
    恋や愛や生活は
    プリズムのなかでじつに多様な色を持ち
    どんなものなのかは
    ひとそれぞれ
    一概に言えるものでない

    Reply

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