誰がために

聴く人のいない音楽や
見る人のいない映画は
読む人のいない物語に似ている

聴く人が
メロディーを変えることはなく
見る人が
映像を乱すこともない
読む人が
物語に入り込むなんてありえない

出来上がった音楽は
譜面の上にあり
出来上がった映画は
ディスクのなかに埋もれ
出来上がった物語は
紙の上で固まっている

録音されなかった音楽は
演奏するたびに異なった音を紡ぎ
撮影されなかった演劇は
上演されるたびに台詞が違い
紙の上に固定されなかった物語は
語られるたびに彩を変えた

聴く人を知らない音楽には
興奮や喜びがなく
見る人を知らない映画には
笑いも涙もない
受けとる人を知らない物語は
始まる前から終わっている

流れのない音楽には
淀みしかなく
画面の変わらない映画には
輝きはない
心のない物語からは
事実しか伝わってこない

それでも人は
聴く人のいない音楽を編み出し
懲りることなく
見る人のいない映画を制作し
あてどなく
読む人のいない物語を書き続ける

聴いてほしい人は自分の音楽に酔っていて
他人の音楽を聴くだけの余裕はなく
見てほしい人は映像の制作で手いっぱいで
他人の映画を見ることなど考えない
読んでほしい人は書くことに夢中で
他人の物語を読む時間を持たない

音楽も映画も物語も
みんなみんな自分のため
作り手も自分のため
受け手も自分のため
でもそのほうが
他人のためというよりも
ずっといいのかもしれない

One thought on “誰がために

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