白石理

橋下さんは「民意は私の側にある」と言いますが、まるで白紙委任状を持っているかのようですね。予算の配分は私がする。
私はなんでも決められる。
私は選ばれたんだ。選挙絶対主義、多数絶対主義。
これは、民主主義とはまったく違います。
民主主義の原則というのは、少数が無視されてはならないということです。そして、わかっていただきたいのは、人権に関することは、
多数・少数には関係ないということです。たとえ一人であっても、その人の人権が侵されるようなことを、政治が行ってはならない。
これが原則です。橋下さんは、そういうことをすべて無視している。
多数を標榜する人間が民主主義の手続きによって権力を握ったら、いったいどうなるのか。ナチスの例を出すまでもありません。
そういうことを心配しなければならない時代が、今、来ていると思います。

2 thoughts on “白石理

  1. shinichi Post author

    橋下さんがまず言ったことは『役に立たないものに
行政のお金を出す必要はない助成をする必要はない』ということです。

    私のいるヒューライツ大阪をはじめ多くの人権団体、男女共同参画している団体
ピースおおさか、国際大阪平和センター、すべて役に立たないお金のかかる費用対効果がはっきりしない団体と言うのはそれまで助成を受けていたものが次から次へと切られて行きました。これは文化団体も同じでした。

    センチュリー交響楽団という大阪のプロのオーケストラがあります。
そこもやり玉にあがりました。大阪には交響楽団が3つもある必要はない。
ということで一番弱いところから切っていくということでした。
弱いものからアタックするというのは今の大阪の手法です。
抵抗できない、あるいは声を上げられない、そういうところから切っていく。

    攻撃をするターゲットを作るというのはこの際、大切なことのようです。
目標を決めてそこに集中的に攻撃をかける。それで次々とつぶれていくわけです。
我々のところ資金は少しありまして助成がなくなってもまだしばらくは
続けることができますがこれもやはり公の金を入れたものではないかと批判されました。

    ただ人権の団体、文化団体、男女共同参画になどに一生懸命になっている団体、
そういうところを支えている団体、博物館がなくなってはたしてその必要をだれが埋めてくれるのか。

行政が直接やるのか、そういうことはありません。
行政はできるだけお金を少なくする。
民間ができることは民間にやってもらうということです。
所がこういう事業はお金儲けの対象にはならないですね。

ところがどんどんそういうことろを切って
お金が儲かる費用対効果のすぐれたものに対してはお金をつぎ込む、
そういう手法ととっているように見受けられます。

    行政を支える公務員に対してはビジネスの原則を導入しようとしています。
公務員の身分保障というのはあり得ない。
日本国憲法には公務員の身分保障というのはあるんです。
公務員というのは『全体の奉仕者』である
この『全体の奉仕者』ということを大変曲げて解釈しているというのが現状だと思います。

    それを裏付けるような条例の制定ということになるかと思います。
教師に対してもそうです。
統制を強化し、批判や不服従を許さない。
先生に対する締め付けと言うのは
先生だけにはとどまりません、
先生から教わる子どもたちにも影響が出てくるわけです。

    『教育現場の統制を強化する』と言いながら
もう一方では『個人の自由な選択と多様な価値観を認めあう社会を作る』
そういうことをいうわけですね。これは今流行っている言葉の遊び
でしかないわけです。

    皆に訴えかけられるような言葉を使って例えば
大阪の人権博物館、国際平和センターなどの助成をやめるあるいは極端に減らすというときに
展示が子どもたちに夢と希望を与えるものになっていない。
じゃあ、夢と希望って何ですか、それに対する答えは全くないわけです。

    教育現場の教員のコントロールとともに
教育振興基本計画を市長がコントロールする。
あるいは教育委員を罷免する権限、こういうものを強化する。教育の中立性というものは必要がないと言っているかのようです。

人権ということはほとんど語られない。
大阪は国際人権都市だということを言っております。
最近出た大阪市のパンフレットにもニコニコした橋下市長の顔が載っていまして
国際人権都市大阪と出ているのですが全く内容はありません。

    新たな人権理念を打ち出す可能性があるかどうか
今のところ何も出てきていない。
人権団体に対する批判的な言動は十分みなさんにも届いていると思いますが、
既得権にすがりつくようにしている団体はけしからんと。

    彼の手法を見ますと劇場型の政治と言いますか
マスメディアを100%自分の側につけてそれを操るわけです。
報道はショーということです。それで自分の言動、主張をマスメディアを使って宣伝する。
ですからマスメディアが振り向いてくれなくなった時には
終わりになるわけです、
ですから次から次へと大変刺激的な言葉を使ってマスメディアを
惹きつけなければいけない。

    ひきつけるためには攻撃する相手を罵倒する。
『バカ』であるとか『くそったれ』だとかいろいろな言葉が出てきます。

    大阪で毎日放送というテレビ局がありますけど
そこの女性記者が質問した時にそれが気に食わなかったのか
反対に質問を返した。
質問を返したというような話し方ではないです。
罵倒するようなかたちです。答えろ!と。
自分が質問されたのに反対に答えろと
それに答えられないのは勉強不足だと本当に罵倒しました。
その女性記者は非常に強かったのだと思いますが
今でもにこやかにやっております。

    必ず敵がいるわけです。
実現可能性よりも世論の動向と期待を会わせて自分が行動する。
ですからナントカ主義、ハシズムなんていうイズムはありません。
公務員をたたく、労働組合をつぶすとか
ターゲットははっきり決まっているわけですから
渾身の力を振り絞ってくるわけです。
それをメディアが全部報道する。
大阪でメディアが橋下報道に使う時間というのは大変なものです。

    大阪では80%の支持があるとどこかのメディアの調査があったということですが
そこまではいかないまでも多数をとるだけの支持はあるのです。
ということは大阪府民市民はこういう政治を望んでいると判断されても仕方ないわけですよね。

    民意は私の側にあると盛んにいうわけですから。
その民意を得たうえではまるで白紙委任状を自分が持っていると思っている

    予算の配分は僕が決める。
ということで出しています。私はなんでも決められる。
私は選ばれたんだ。選挙絶対主義、多数絶対主義。
これは民主主義とは全然違います。

    民主主義の原則と言うのは少数が無視されてはならない。それから人権に関することは
多数少数関係ありません。たとえ一人であっても人権が侵害されるようなことを政治は行ってはならない。
これが原則です。これがすべて無視されている。

    ということは一般の我々も民主主義のこと全然理解してないと言われても仕方ないですね。
大阪で起こっていること、みなさん大阪だけだと思われているとしたらちょっと認識改めていただきたいです。

    多数が民主主義手続きによって権力を握った時にどういうことが起こるか
ナチスの例を出すまでもありません。
そういうことを心配することが荒唐無稽でなくなった時代が今来ていると思います。

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