第四章 村田珠光(点茶)


文明十五年八月四日(一四八三年九月五日)
狩野正信が常御所の障子に描いた八景図のお披露目の日に

足利義政、永享八年生まれ、四十八歳

村田珠光(むらた・じゅこう)、応永二十九年生まれ、六十二歳
茶人。検校(盲官の最高位)の村田杢市の子。一休宗純に参禅し、茶禅一味という考えを持つようになる。能阿弥などとも深く関わり、立花、連歌、猿楽などを知ることで、美に適えば粗末な道具でもいいという独自の考えにたどり着いた。


(本文から)

義政 なんのことやら。まあいい。それよりも先程、茶の色の話が出たが、それに関連して珠光殿にお聞きしたいことがある。かねてより不思議に思ってきたのだが、なぜ水の色は、そして空の色は、あのような色なのだ。
珠光 あのような色と申しますと。
義政 水は、すべてを包み隠さず見せようとするほどに透き通っているかと思うと、時には何事も見せまいとするかのように濁っている。空は、こころが晴れやかになるほど輝いているかと思うと、時にはすべての光を吸い込んでしまったように黒々となる。こころが清らかになるような色をしたり、こころが痛くなるような色をしたり、空も水もつかみどころがない。
珠光 水には色が無いのです。つまりは無。透明な水は、水の向こう側の色を見せ、濁った水は、水のなかに入り込んだものの色を見せる。水の表面が静かだと、鏡のようにそこに映るものの色を見せ、表面がわさわさしていれば、どんな色も見せようとはしない。
義政 うむ。水には色が無いというのだな。
珠光 ありません。
義政 空も同じか。
珠光 空の色は空なのでございます。色だけでなく、空のすべてが空。つまり空なのです。空ですから、なにが来てもそこに入り込みます。