日本では、大きく4つのタイミングで空洞化議論が起きている。
- 1980年代後半、プラザ合意による円高を背景とした国内工場移転
- 1990年代中頃、円高を背景とした国内工場移転
- 2000年代、コスト削減のためにWTO加盟を契機に「世界の工場」として急速に台頭する中国など、グローバル化による新興国への国内工場移転
- 2010年代、世界同時不況において世界各国の中央銀行が大規模な量的金融緩和を行っているのに対し、日本銀行による量的金融緩和が相対的に不足しているために起こっている円高を背景とした空洞化議論。
日本の空洞化問題
日本では、大きく4つのタイミングで空洞化議論が起きている。
1980年代後半、プラザ合意による円高を背景とした国内工場移転
1990年代中頃、円高を背景とした国内工場移転
2000年代、コスト削減のためにWTO加盟を契機に「世界の工場」として急速に台頭する中国など、グローバル化による新興国への国内工場移転
2010年代、世界同時不況において世界各国の中央銀行が大規模な量的金融緩和を行っているのに対し、日本銀行による量的金融緩和が相対的に不足しているために起こっている円高を背景とした空洞化議論。
海外生産比率
内閣府の調査によると、日本の製造業の海外生産比率は、1985年度に3.0%であったが、1990年度は6.4%に達し、2009年度は17.8%となっている。特に、これまで日本の輸出の大勢を占めてきた自動車等の輸送用機械や電気機器の海外生産比率は、他の産業と比べて高い。一方、諸外国と比較するとまたまだまだ上昇する余地はあるとの見方もある。
空洞化による問題点としては、国内における雇用機会の喪失、地域産業の崩壊、技能ノウハウを生む生産現場の劣化、貿易黒字を生む国際競争力の減退・喪失といった悪影響が指摘される。
地域産業の崩壊
経済のグローバル化により、製造業も生産拠点の海外移転など「適地適産」の傾向を強めた。日本国内の地方にあった、メインの工場とその周辺に関連産業が張り付くという垂直分業体制は、系列外からの資材等の調達や、生産拠点の海外移転により打撃を受けた。特に一企業への依存度が高い、いわゆる「企業城下町」や、特定業種の地場産業が集積する地方都市における雇用への影響は深刻なものがある。
競争力の低下
将来への懸念として、日本経済が技術面において経済の発展基盤を喪失していく懸念が指摘される。企業としては、国際競争にさらされる中で競争力強化のため、海外により有利な立地があれば、工場・物流拠点等を海外へ展開することは当然の行動といえる。その結果、長期的には科学技術立国としての基盤が失われかねないことになる。
アメリカの空洞化問題
世界最大の市場規模を誇るアメリカも、グローバル化により製造業の空洞化を招いた。そのため、「ベンチャー企業が開発した新しい商品を作ろうにも、生産どころか試作品すら作れない」状態が見られる。主な工場の移転先は中国。電子機器、家具など広範な産業が海外へ移転した結果、設備等の生産能力、そして人材等の品質管理能力は大きく失われた。
一方で、2000年代後半におけるドル安、原油高、主な競争相手である中国の人件費の増加により、以前よりも相対的に価格競争力が強くなっている。
対処論
マクロ的にみた場合、「産業は置き換わりの歴史であり、空洞化するべきものは空洞化させ、それに代わる産業を興せば問題は解決する」という見方がある。
空洞化論議があった米国ではローテクや第一次産業に頼っていた地域が地方の経済の構造を変えていく努力を行い、サイエンス・パーク、あるいはリサーチ・パークなどのよる産業の高度化が図られた。また、日本企業の進出に対する警戒論が支配的だったなかで、数十の州が日本に連絡事務所を設置して積極的な誘致を行った。
また、欧米では地域が危機感を持って、自らの地域は自らで立て直す努力、人の誘致も図るべく生活の質、QOLを高め、人々が暮らしやすい環境を形成していくことに努めた。
空洞化現象は、先進国として避けることのできないものであり、これを前向きに受けとめ、産業構造の転換を積極的に図っていくしか道はないとされる。いわゆる「ウィンブルドン現象」は好ましくないとの見方もあるが、外国企業も含めて新しいものが入り、古いものが出ていく新陳代謝が活発に行われる必要がある。
政策オプションとしては、以下のものが考えられる。
国内立地企業が競争力を発揮しうるための環境整備(税制、雇用制度、労働力の流動化促進など)
国内での新規産業の創出
海外からの企業・産業の誘致
「国としての重要な技術・産業」を決め、そこに人材や教育、金融など最大の知識・人材・経済的支援を重点的に投下
日本銀行による世界水準並みの量的金融緩和