abdora-nothing

「苦海浄土」の著者、石牟礼道子は、あなたの取材には嘘がありますよね、といういじわるなインタビューにこたえて「だって(水俣の)患者さんの心の声が聞こえるんですもの」というようなことを答えている。
いまではこの「苦海浄土」をノンフィクションに分類する人はいない。これはれっきとしたフィクションであり、「小説」である。患者へのインタビューも実際には半数ほどしかおこなっていないのではないかという批評もあるし、彼女の書く水俣弁に過剰な演出があると指摘する人もいる。
しかし、ユージン・スミスの言葉を借りれば「ほんものの責任」が「苦海浄土」にはかんじられる。実際におこったことだからノンフィクションであらねばならぬといった偏狭な価値観から脱却するには、「客観性」や「ノンフィクション」としての拘束を脱ぎ捨てたあとにくる、責任の所在をひきうける覚悟が必要になるのだ。
ユージン・スミスはこうも言っている。「ジャーナリストにはふたつの責任がある。ひとつは被写体への責任、ふたつ目は読者への責任。そのふたつの責任をはたせば、おのずと雑誌への責任ははたされる」

2 thoughts on “abdora-nothing

  1. shinichi Post author

    フィクションとノンフィクションの境界 ブレッソン、ケビン・カーター

    by abdora-nothing

    https://abdora-nothing.blogspot.com/2010/11/2-1.html

    フィクションとノンフィクションとの区別は誰もが理解している差である。一方が創作で、一方が事実をもとにしたものだ、と。しかしことはそう簡単ではない。事実を忠実にえがいたフィクションもあれば、創作されたノンフィクションも多い。とくに消費者の気持ちとしては、「実際にあった事件を元にした」とか「歴史的事実を再現」といった言葉はよい表現で、逆にノンフィクションに創作が含まれていた場合の拒否反応はすさまじい。ノンフィクションはフィクションに勝る、といつのまにかみながそう思うようになっている。
    写真を例にとるとわかりやすい。土門拳の「絶対非演出」は神秘的なほどの教条として見る人の心を動かすようだが、よくよく考えるとどうして演出がいけなくて、非演出がすてきなのか、きちんと説明できる人は少ないと思う。もちろん土門拳の作品が無価値なのだと言っているわけではない。
    ロベール・ドアノーの作品に「パリ市庁舎前のキス」という有名な写真がある。市庁舎前の広場を忙しそうにいきかう人々の中心で抱き合う二人の男女。そこだけが制止したような周囲との対比がすばらしい作品である。しかし最近、この作品が偶然を切り取ったものではなく、キスする男女が俳優で、そういう演技をしてもらったということが発覚すると、いっきょにこの作品の、ひいてはドアノーの評価はさがってしまった。おおかたの感想は「だまされた」といったところのようだ。
    ドアノーはすぐれたシャッターチャンスのために1時間でも2時間でもカメラをかまえて待つこともあった。それでも思ったものに巡り会えなかったら、俳優をつかってでも自分の脳の中にあるイメージを実現させたそうである。

    志賀直哉だか川端康成だか忘れたが、あるとき土門拳は作家の肖像写真をとるために書斎でカメラをかまえていた。作家がペンをもち、原稿用紙に書き始めてすぐにファインダーをのぞくと、手前に積んである本が邪魔で手元のペンも原稿用紙もうつらない。その本を移動させればすむだけの話だが、「絶対非演出」の土門拳はその本を動かすことができない。だからそのままシャッターを切ったそうだ。彼は後年「いまでも動かすべきだったのかどうかわからない」というようなことを書いていた。
    みなが神経質に、かつ過敏に判定をもとめる「フィクションかノンフィクションか」という判断は、五万といるカメラマンそれぞれに基準があり、その基準を作り出すのはカメラマンそれぞれが持つ、ひとつの作法なのだ。後から演出であったとわかったとして、作品自体の価値はそれほどかわるものなのか。写真はすべてジャーナリズムだという思い込みが、ドアノーの価値を二転三転させるのだろう。
    あるいは1994年にピュリッツァー賞を受賞した写真家ケビン・カーターの「ハゲタカと少女」の話は有名だと思う。水くみに行く途中で力尽きて倒れ込んだスーダンの少女が死ぬのを、背後でハゲタカが待つという明快な構図と明快な意味をもつ作品である。当時、アメリカ国内では「なぜ助けなかったのか」という批判が続出した。本人が語ったようにケビン・カーターは口べただった。だから「そう思う人はいますぐスーダンに行きなさい。そうしていまこの時にこの少女と同じように死にいく無数のこどもたちを救いなさい。それができないならせめて寄付をするか、スーダンがこのように悲惨な現状にあることを隣人につたえなさい。わたしがカメラをつかって全世界にそうしたように」とは言えなかった。そのかわり「写真をとったあと少女は体力を回復させてまた歩き出した」といったのだ。これはノンフィクションが、実はあとからフィクションでしたと言い訳をしているのだ。スーダンの悲惨さが、適正すぎるシャッターチャンスのために現実よりも悲惨に写ってしまいました、とノンフィクションであったはずの作品に演出をあとから入れこんで批判をかわそうとした。
    つまり、このような少女が生き返ったという虚構を写真表現に塗り込める「フィクション」や「演出」が問題なのであって、作家の手前に積んである本を動かすかどうかとか、自分の脳の中のイメージを実現するために俳優を使うとか、そいった「フィクション・ノンフィクション」の分界点は作家それぞれの哲学であり手法でしかないのだ。

    その後、ケビン・カーターは自殺してしまう。「なぜ助けなかったのか」と批判した人たちはみごとに勝利したのだ。スーダンの少女が生き返った、という偽善の虚構を手に入れ、助けなかったカメラマンに鉄槌を下したのだ。

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    フィクションとノンフィクションの境界 『水俣』ユージン・スミス 『苦海浄土』石牟礼道子

    by abdora-nothing

    https://abdora-nothing.blogspot.com/2010/11/2-2.html

    「フィクションとノンフィクションの境界」のつづき

    「水俣」ユージン・スミス
    「苦海浄土」石牟礼道子

    ユージン・スミスは1918年にカンザス州でうまれたマグナムフォトの写真家である。ユージンが学生のときに、世界大恐慌で破綻した小麦商の父は散弾銃で自殺をする。自殺を報じた新聞記事をみたユージンは、その冷酷な記述内容にはげしいショックをうけたという。第二次世界大戦では従軍カメラマンとしてアメリカ軍に同行し、沖縄で日本軍の爆撃をうけて一生その後遺症になやまされることになる負傷を負う。
    ユージン・スミスが水俣を撮りだしたのは1961年に日立のコマーシャルスチールの撮影に来日してからのことだ。1972年にはもっとも著名な作品のひとつ「Tomoko Uemura in Her Bath」を含む水俣シリーズを「Life」誌に「配水管からたれながされる死」というタイトルで発表して未知の公害病「水俣病」とともに世界中から注目されるようになる。
    1972年には、水俣の患者たちとともに千葉県にあるチッソ五井工場に交渉にいく。ところがチッソ側が雇った200人の暴力団に、患者とその取材のジャーナリストともども暴行を受けユージンは脊椎を損傷し片目を失明してしまう。
    「Tomoko Uemura in Her Bath」は、母親の妊娠中に胎児性有機水銀中毒になった15才のトモコを、右後方からさすやわらかい光の中で入浴させる母と子をえがいた作品である。はっきりとした黒と白の色だけで、水俣病のすべてと、母と子のすべてを表現している。ボクは「母」というものを観念的に考えるとき、いつもこの写真が脳裏に浮かぶ。母という観念と、ユージン・スミスのこの作品はボクにとって同義だ。
    この作品を撮影するにあたってユージン・スミスがどのような手法をとったのか、またもしかするとどのような要求を被写体に伝えたのか、ボクはしらないし、わかりようもない。ただ、もし仮に先述したドアノーのような調整や予定があったとしても、このウエムラ母子の悲惨な境遇のなかでの穏やかな一瞬は永遠につづき、ボクのなかにある母のイメージがべつのなにかにとってかわることがおこるとは思えない。
    彼は「水俣」英語版の序文でこう言っている。
    「ジャーナリズムのしきたりからまず取りのぞくべきなのは『客観的』という言葉だ。そうすれば、出版の『自由』は真実に大きく近づくことになるだろう。そしてたぶん『自由』は取りのぞくべき二番目の言葉だ。この二つの歪曲から解放されたジャーナリスト写真家が、そのほんものの責任に取りかかることができる」

    「苦海浄土」の著者、石牟礼道子は、あなたの取材には嘘がありますよね、といういじわるなインタビューにこたえて「だって(水俣の)患者さんの心の声が聞こえるんですもの」というようなことを答えている。
    いまではこの「苦海浄土」をノンフィクションに分類する人はいない。これはれっきとしたフィクションであり、「小説」である。患者へのインタビューも実際には半数ほどしかおこなっていないのではないかという批評もあるし、彼女の書く水俣弁に過剰な演出があると指摘する人もいる。
    しかし、ユージン・スミスの言葉を借りれば「ほんものの責任」が「苦海浄土」にはかんじられる。実際におこったことだからノンフィクションであらねばならぬといった偏狭な価値観から脱却するには、「客観性」や「ノンフィクション」としての拘束を脱ぎ捨てたあとにくる、責任の所在をひきうける覚悟が必要になるのだ。
    ユージン・スミスはこうも言っている。「ジャーナリストにはふたつの責任がある。ひとつは被写体への責任、ふたつ目は読者への責任。そのふたつの責任をはたせば、おのずと雑誌への責任ははたされる」

    「Tomoko Uemura in Her Bath」の被写体であるウエムラトモコは、この撮影の6年後に21才で死亡している。ユージン・スミスの死後、遺族からの申し出でこの写真の使用権は遺族にもどされ、再使用はできなくなったそうだ。インターネットにはコピーが無限に出回っているが、ここでは遺族の決定を尊重して写真は掲載しないことにした。いちおう、おことわり。
    またかねてより噂のあった、池澤夏樹個人編集・河出世界文学全集の第3集に石牟礼道子著「苦海浄土」が刊行されるようだ。再読後、この本についてはあらためて書いてみたいと思う。

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  2. shinichi Post author

    “He would always say: ‘The first word I would strike from the annals of journalism is the word objective’,” says Aileen. “I think you really need to understand the subjects; not worry that if you get close you lose your objectivity and side with them. It was about understanding their reality and what they were really like. We went to Chisso and interviewed them and we wanted to know what Chisso was really like too…they didn’t let us in as much of course.”

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