東郷克美

それにしても、「羅生門」は、前年の大正3年秋以来彼が目指していた「ラツフでも力のあるもの」(大3・11・30、井川恭宛書簡)といえるかどうか。この作品の特色は、「ラツフ」とはむしろ反対の芸術的完成度にあると思われる。そのかぎりでは「力のある」作品だといえないことはないが、それさえも芸術的感性という枠の中に閉じ込められているようにみえる。

10 thoughts on “東郷克美

  1. shinichi Post author

    佇立する芥川龍之介

    by 東郷克美

    双文社出版
    2006年刊

    存在の根所を失った
    〈寂寞〉の中で
    〈佇立〉する主人公たち。

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    1. 內心平安是福
      如何心安是智

      慧可千里迢迢去找達摩,站在雪中良久,求達摩教他怎樣心安,達摩答:「我已經為你安了心。」慧可頓然開悟
      單憑一句說話已令慧可心安,可見能否心安只是一念之間。

      願一心安心靜心
      卸下那顆沈重心
      一思一念皆安心

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  2. shinichi Post author

    2024年7月21日(金)

    みんな佇立している

    今週の書物/
    『佇立する芥川龍之介』
    東郷克美著、双文社出版、2006年刊

    誰にでも「先生」と呼べる人が ひとりはいるというが、私にとっての「先生」は東郷克美先生。高等学校3年間の担任だ。東郷先生(1936年12月9日生まれ)は、先週「めぐりあう書物たちもどき」で取り上げた寺山修司(1935年12月10日生まれ)の(早稲田大学教育学部国文学科での)1年後輩にあたる。

    寺山修司のほうが 1歳年上なのにもかかわらず、私のなかでは 東郷先生のほうが年長に思える。高校生という多感な時期に3年間にわたって影響を受け続けた先生だから、そう思えるのかもしれない。

    私たちの担任をしたのがよほどいやだったのか、私たちが卒業した1年後には成城短期大学の専任講師になり、成城大学文芸学部の助教授・教授、そして早稲田大学教育学部の教授・名誉教授を務めてきた。

    大学を出てから一貫して「先生」であり続けたわけだが、では東郷先生は「先生」だったのかというと、いささか疑問が残る。高校の生徒たちに慕われ 大学の学生たちに頼りにされてきたとはいえ、教育者・指導者には見えないのだ。

    定年を迎え帰国した後に 新聞で東郷先生の講座を見つけた私は、「かわさき市民アカデミー」の講座に申し込み、はるばる武蔵小杉にある「川崎市生涯学習プラザ」まで10回ほど 出かけて行った。

    東郷先生は驚くほど変わっていなかった。文学作品を深読みし、筆者について調べ、それを受講者に語り掛ける。受講者の多くは高齢者だったが、熱心さでは東郷先生に負けてはおらず、東郷先生が取り上げる本を何度も読み返してきていた。

    東郷先生の解説を聞いていて私は、鉄道が好きで写真撮影が好きな「マニア」の人たちや ゲームが好きでアニメが好きな「オタク」の人たちのことを考えていた。「マニア」は「1つのものごとに集中する人」を指し、「オタク」は「1つのものごとにしか興味がない人」を指すというが、東郷先生は「先生」である前に「文学オタク」ではなかったのか。

    先生が石牟礼道子の作品を解説すると、話は石牟礼道子が幼少期に住んでいた水俣の話になり、近所の店や公共施設が描かれた地図が配られ、用意されたスクリーン上に映し出される「水俣の海に捧げる能(石牟礼道子作「不知火」)」を見ることになる。

    梨木果歩の解説では、非日常的な不思議な作品の世界のことを語るでもなく、作中の不自然な会話のことに触れるわけでもない。いきなり物語のなかに受講者を投げ込み、東郷先生の深読みに付き合わせる。

    「かわさき市民アカデミー」の講座が、東郷先生という「文学オタク」が作り出す作品になっている。そう思った私は、その講座の観察を始めた。と同時に、東郷先生の文学作品に向き合う姿勢や作者への対し方に思いを馳せた。

    『井伏鱒二全集』の編纂を行い、泉鏡花や太宰治などを論じて来た東郷先生にとって、講座の受講者たちをうっとりさせることなど、なんていうことはない。作者に実生活の中で起きたことと その前後に書かれた作品をシンクロさせて解説すれば、どんなに深読みをした受講者も太刀打ちできない。文学評論のプロの凄さを見せつけられた気がした。

    で今週は、東郷先生の文学評論の一冊を読む。『佇立する芥川龍之介』(東郷克美 著、双文社出版、2006年刊)だ。「早世の天才」と言われ 太宰治が憧れたという「芥川龍之介」に東郷先生がどう切り込むか。楽しみな一冊だと思って、読み始めた。

    ところが、まず、言葉で躓いた。東郷先生のボキャブラリーは、私のボキャブラリーとはまったく違う。わからない言葉に出くわすと調べなければ先に進まない。読書の速度は、英語やフランス語の本を読むのより遅くなり、中国語やロシア語の本を読むときのように時間がかかる。

    「ラツフ」という言葉が出てくる。芥川龍之介が、井川恭宛の手紙に、

    此頃僕はだんだん人と遠くなるやうな氣がする 殆誰にもあはうと云ふ氣がおこらない 時々は隨分さびしいが仕方がない 其代り今までの僕の傾向とは反對なものが興味をひき出した 僕は此頃ラツフでも力のあるものが面白くなつた 何故だか自分にもよくわからない たゞさう云ふものをよんでゐるとさびしくない氣がする さうして高等學校にゐた時よりも大分ピユリタンになつた

    と書いている。しばらく読んでいると「ラツフ」は、英語の「rough」だということがわかる。なあんだ「rough」か。そうわかるまで、10分くらいたっている。ひとつの言葉に10分使っていては、なかなか読み進めることができない。

    次に、知識で躓いた。私には、芥川龍之介が生きた時代(1892年〈明治25年〉から 1927年〈昭和2年〉まで)の知識が欠如している。読みながら、知らないことを痛切に感じた。トルコの作家、たとえば オルハン・パムク の本を読んだときと同じ感じだ。

    その歌は明らかに吉原登楼をうたったもので「薄唇醜かれどもしかれどもしのびしのびに口触りにけり」「これはこの新吉原の小夜ふけて辻占売の声かよひ来れ」というようなものを含んでいる。

    という文章を読んでも、当時の吉原についての知識がないせいか、何の情景も浮かんでこない。知識がないということは、読む楽しみも半減ということになる。

    芥川龍之介が生きた時代についての知識はなくても、それが幸せな時代でなかったことぐらいはわかる。関東大震災で打ち壊された東京には、江戸という平和な時代を懐かしむ風潮が残っていたようだし、苦しい生活のなかで 社会には閉塞感が漂っていた。実際、芥川龍之介の死から18年後に日本中が廃墟になることを、私たちは知っている。芥川龍之介が佇んでしまうのも、時代背景を考えると自然のことと言えるのではないか。、

    さて、言葉で躓き 知識で躓きながらも半分近くを読み終えた私を、新たな試練が襲う。まさかの、泉鏡花なのだ。芥川龍之介について読んでいた私が、気が付けば泉鏡花について読まされている。

    「あとがき」に「前半には芥川龍之介に関する6篇を、後半には、芥川と関わりの深かった鏡花、犀星についての作品論と同時代の文学史的粗描の一端を収めた」とあるのだが、そんなことはつゆも思わない私は、『佇立する芥川龍之介』を最初から読み始め、半分近く読んだところで突然、芥川龍之介でないものに出くわすのだ。

    考えてみればこの本は、物理学者が書くものに似て、読者に優しくない。と考えて、私は「あっ」と気が付いた。そもそもこの本は、一般向けの本ではないのだ。そして東郷先生は「文学オタク」などではなく「文学者」だったのだ。

    専門家向けの本を 一般向けの本と勘違いして読み進んでしまった私は、「文学者」を「文学オタク」と勘違いしてしまっていた自分に気づいた。東郷先生は思った以上に「文学者」だったのだ。

    後半の泉鏡花についての2篇と室井犀星についての2篇、そして一高の校友会雑誌や大正10年の文壇についての東郷先生の文章を読んでいて、私はあることに気が付いた。芥川龍之介の作品のなかだけでなく 泉鏡花の作品のなかでも 室井犀星の作品のなかでも、人は みんな 佇立しているではないか。

    文字通り、佇んで立っている。自分のベーシスを失って、静かななかで たたずんでいる。その状況がどうであれ、静寂は美しい。呆然と立ちすくすにしても、立ち止まるにしても、佇立する人の繊細さは いつも美しい。『佇立する芥川龍之介』という題を付けた東郷先生は、詩人でもあった。

    **

    東郷先生の『佇立する芥川龍之介』ではあまり言及されていないが、芥川龍之介は「英語の人」だった。英語を学び、英語を教え、英語で書かれた作品に大きな影響を受け続けている。

    ウィリアム・モリスの詩、バーナード・ショーの戯曲、オスカー・ワイルドの評論、コナン・ドイルの推理小説など、幅広い分野の英語の作品を読み込んでいるし、アナトール・フランスや ギ・ド・モーパッサンのフランス語の作品、それに イワン・ツルゲーネフ のロシア語の作品なども、すべて英訳を読み込んでんでいる。

    だから自然と、文章の構成も英語的になるし、文章自体も論理的で、簡潔、平明なものになる。英語を日本語に翻訳する際に翻訳しきれないものがあると、日本の古典から単語を持ってきたり、カタカナを使うなどして単語を作ったりもしている。

    「芥川龍之介の作品は、英訳がしやすい」と、あちらこちらに書いてあるが、それもそのはず、作品自体が英語的なのだ。その割には、翻訳文と違って読みやすい。なぜだろう。

    芥川龍之介は「英語の人」でありながら、日本語を極めようとしていた節がある。日本の古典だけでなく、新聞の文章や、作家ではない一般人の文章にまで興味を持ち、研究していた。『鼻』『芋粥』『羅生門』は『今昔物語集』に材をとっているし、『トロッコ』は力石平蔵という雑誌記者の原稿をもとに書かれている。

    英語で書かれた文章群から題材やヒントを得ようが、一般人の文章を下書きにしようが、日本の古典に材をとろうが、出来上がりは 誰も真似のできない芥川龍之介の作品になっている。それが芥川龍之介の凄さなのだろう。

    東郷先生が芥川龍之介の作品について書くときには、どんなところからヒントを得たというような表面的なことではなく、比較文学の観点からの英日比較というようなことでもなく、あくまで芥川龍之介の内的な心情と作品との関係に的を絞って書く。それこそが、東郷先生の深読みの極意だ。

    偶然かどうか、東郷先生が『佇立する芥川龍之介』のなかで取り上げた作品には、『今昔物語集』に材をとったものが多い。芥川龍之介本人の作品『今昔物語鑑賞』も、当然のように参考にされている。

    でも東郷先生は、芥川龍之介の失恋に焦点を当て、さらには芥川龍之介のいちばんの問題であったさまざまの因襲との葛藤について考えるなかで、作品の評論を進めてゆく。表面的なことには惑わされない。それこそが、東郷先生の流儀なのだ。

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  4. Selflove

    活着比死亡更充实
    希望也好失望也罢
    有伴也好无伴也可
    知者比无知者坚强
    小点爱胜过一点恨
    想当年有缘千里逢
    无缘面对面不相会
    全心爱生活爱自己
    所有一切说的做的
    一切没说的没做的
    都来自于自己

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  5. 內心平安是福
    如何心安是智

    慧可千里迢迢去找達摩,站在雪中良久,求達摩教他怎樣心安,達摩答:「我已經為你安了心。」慧可頓然開悟

    單憑一句說話已令慧可心安,可見能否心安只是一念之間。

    願一心安心靜心
    卸下那顆沈重心
    一思一念皆安心

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