第九章 大内政弘(統治)


文明十五年十月二十四日(一四八三年十一月二十四日)  
義尚撰による私撰和歌集『新百人一首』のお披露目の日に

足利義政、永享八年生まれ、四十八歳

大内政弘(おおうち・まさひろ)、文安三年生まれ、三十八歳
周防、長門、豊前、筑前などの守護。安芸や石見の一部も領有した。応仁の乱では西軍に付いたが、これは対立する細川氏が東軍側にいたためだと言われている。和歌や連歌を好み、猿楽に高い関心を示し、築庭にも熱心だったと伝わっている。


(本文から)

義政 そういうことは、銀が出ずとも、できるのではないか。
政弘 さあ、どうでしょう。まあ、いずれにしても、夢でございます。
義政 夢か。
政弘 夢は、夢だからこそ、夢なのです。
義政 なんだって。
政弘 実現できないから夢なのです。でも、実現できないからといって諦めてはいけない。夢は、持ち続けてこその夢なのです。
義政 わかったような、わからないような。
政弘 はい。実際に銀が出たら、あっという間にみんなの知るところとなる。幕府にも隠してはおけないでしょう。そして、暮らしを楽にすることも、気持ちを穏やかにすることも、できはしない。それでもそんな夢を持ち続けることが、私の務め。そう思っております。

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義政 百姓が農作業だけをしていると思ったら大間違いだ。そこに飾ってある籠もこちらに置いてある紐も、百姓が作ったもの。山荘の造営に直接関わっているわけではないが、守らねばと思えてくる。
政弘 守るのですか。
義政 そうだ。作る者のほうが、壊す者よりも立派だということを示すのだ。生かす者のほうが、殺す者よりも素晴らしいということを見せるのだ。
政弘 大御所様は、そんなことを考えておられたのですか。
義政 たかが美と侮ってはいけない。美は人を優しくする。優しい者の多い世が、やってこなければならないのだ。

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義政 私がここで作っている美は果無い。どちらがより美しいというものではないが、私は果無い美に、すべてを懸けている。
政弘 壊されるとわかっていて作る、なくなると知っていて生み出す。そんなように聞こえますが。
義政 そうだ。私は、なくなってしまうものに、すべてを懸けている。いつかはなくなってしまうもの。それを美しく思えるかどうか。
政弘 なくなってしまえば、もう誰も見ることがない。ないものは、美しいもなにもない。そうですよね。
義政 そうだ。だから美は、なくなる前の一瞬にしか味わうことができないかもしれない。もしかしたら、まったく味わうことができないかもしれない。
政弘 なんだか虚しい気がしますが。
義政 それでも私はここに山荘を作り、美の可能性を見せたいのだ。
政弘 美の可能性ですか。
義政 それを見た誰かが、またどこかで美の可能性に賭ける。そうしたことが繰り返されていくうちに、美は生活の隅々にまで入り込んでいき、いつの日か美がすべてを包み、戦や暴力はなくなる。私はそう信じている。