坂田滋久

『義政』著者、九島伸一さんインタビュー「人の評判や評価はあてにならないものです。」

応仁の乱を招いた無能な将軍と貶められることが多い。その一方で銀閣寺を建て、現代につながる日本文化の始祖と持ち上げられることもある。そんな足利義政が、晩年に自由を得て、心を通わせ合うことができる客を1人ずつ呼んで話をする。全部で9人の客との対話を収録した本が『義政』だ。戯曲のようでも哲学書のようでもある不思議な小説を書いた九島伸一さんは物腰の柔らかい人だった。

「国連で30年間、情報を扱う仕事に携わって5カ国語のメディアを毎日チェックしてきました。退職して日本に戻ると、見ているメディアが違うせいか周囲と話が合わないんです。義政もわかってくれる人が身近にいなくて評判悪い。似てると思って本を書きました(笑)」

冗談めかして話す。謙遜する中に自負の強さを感じる。ふと思った、もしかして義政もこんな穏やかで熱い人だったのではと。

「銀閣寺の元になった東山山荘を築いた時、義政は畳を部屋全体に敷かせました。それまでの常識だと畳は義政の周りにだけ敷いてあり、身分が低い者は板張りの床に座りましたが、義政は分け隔てなく部屋全体に畳を敷いた。贅沢といえば贅沢ですし、日本文化の源を作ったといえばそうかもしれません。ただ、本人はきっと人と対等に語り合いたかったんです」

義政に招かれて対話する相手は、身分の高い人ばかりではない。

「礼法を伝える名家の伊勢貞宗や教養ある大名の大内政弘など身分のある人も招きますが、口は下手でも腕は確かな職人を好んで山荘に迎えます。世渡り上手で評判のいい人に疑問を感じているので、花なら池坊のほうが有名なのに立阿弥を迎えますし、庭なら高名な善阿弥の弟子の小四郎などに興味を持って客として招きます。誰もが知っている有名人ばかり登場させたほうが話題になるのかもしれないけれど、義政の気持ちを考えるとそういうことはできません(笑)」

どこまでも義政に寄り添う九島さんは、無能の将軍という評価にも違和感を抱いている。

「祖父の義満や、父の義教に比べても人を殺した数がはるかに少ない。災害が起きると炊き出しを行い、結果として無事な地域の人がたくさん押し寄せるといった、現代に通じる矛盾に早くから直面した為政者です。考えることに近代的なところがあるので、同時代の人から理解されないのは無理もないことですね。それだけに、現代の人は義政の言葉に耳を傾けると、心が癒やされると思うんです」

編集・坂田滋久
撮影・新井孝明