従業員を酷使する企業を「ブラック企業」、従業員を大切にする企業を「ホワイト企業」と呼ぶ背景には、「黒が悪いもの」「白が良いもの」との価値判断が前提となっている。つまり、「黒は汚れてきたないもの」「白は綺麗で純粋」といった価値判断が働いている。圧倒的多数の人々はきっと無意識のうちにそう思い、なんの抵抗もなく「ブラック企業」という言葉を使っているのだろう。
しかし、日本で暮らす「有色人種」の外国人は増え続けている。日本人の圧倒的多数も「黄色」という有色人種である。「色の有無」「色の是非」で価値判断を下す表現を使うことは、人々が無意識のうちに、肌の色が、有色かあるいは白色かで優劣をつける社会を育んでしまう危険性がある。「白人が上」「黒人が下」との概念を社会に植え付けたり、助長したりしかねない。これは道徳的に問題がある。英語でいう、politically incorrect(言葉や見解などが不適切で偏見的)の部類に入る。
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言葉は言論の自由を守る武器にもなるが、時に人権を脅かす凶器にもなる。もろ刃の剣だ。言葉狩りになってはいけないが、言葉の野放図にもなってはいけない。言論に携わる者として、おのおのの言葉が持つセンシティビティー(感覚の鋭さ)には常々十分に配慮し、気を付けていかなければならないと自戒している。
ブラック企業」は、人種差別用語である
言葉の使い方に鈍感すぎる国内メディア
高橋 浩祐 :ジェーンズ・ディフェンス・ウィークリー東京特派員
東洋経済 Online
http://toyokeizai.net/articles/-/46755?page=3
(sk)
こういう「意識の高い」人は、コンピュータ・システムのセキュリティーの Black List や White List も、相撲の白星と黒星も、許さないのだろう。
学生の頃、はじめて「意識が低い」と罵られてから、「意識の高い」人たちのことが、どうしても好きになれない。
ブラック企業をブラック企業と呼ぶかどうかなんていうことは、とりたてて批判することでも、白黒をつけることでもない。そう言えば、意識が低いと罵られるに違いないが、どうでもいいことを騒ぎ立てる人たちには本当に腹が立つ。
「意識の高い」人たちがひとりもいなければ、争いも、諍いも、戦争も起きはしない。その辺りのことを考えてほしいなどと言えば、きっとまた意識が低いと罵られるのだろう。