第二章 観世信光(猿楽)


文明十五年七月十一日(一四八三年八月十四日)  
義政主催の内々の連歌会のあとで

足利義政、永享八年生まれ、四十八歳

観世信光(かんぜ・のぶみつ)、宝徳二年生まれ、三十四歳
猿楽師。音阿弥の第七子。観阿弥のひ孫、世阿弥の弟の四郎の孫。囃方ではあったが、役者としても作家としても活躍した。また謡曲の継承にも努め、多くの作品を整理し書き残した。長いあいだ大夫の補佐役に徹し、一座を支え続けたと伝えられている。


(本文から)

義政 他人のことを思うだと。
信光 はい。他人に幸せになってほしいとか、他人にいいことがあるようにとか、そんな思いだけで生きている者が、意外に多い気がします。
義政 そうか。私の周りには、自分のことばかり考えている者しかいない気がする。他人のことを考えている者など、一人もいない。
信光 考えるのではなく、思うのです。他人のことを思う。他人を思いやる。他人のために行動する。他人のために生きる。他人のために死ぬ。
義政 そんな者が、本当にいるのか。
信光 そんな者ばかりでございます。

   ________________________________________________

義政 猿楽は所詮、作りごと。そういうことか。
信光 作りごとだから、本当のことが言えるということもございます。自分のことばかりを考えていたものが、猿楽を見に来て、ああ、他人のことを思わなければいけない、思いやりを持たなくてはいけないと、そんなふうに感じるかもしれません。
義政 そんなことは夢のまた夢。
信光 ですから、夢を見せるのでございます。
義政 夢を見せる。
信光 はい。他人のことを思うのは、こんなにもいいことなのだ。他人のことを思いやるのは、こんなにも素晴らしいのだ。そういうことを、猿楽で見せるのです。