ニュースの視点

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2016年1月13日(水)15:02~15:50
『元国連職員が語る“情報”』

番組制作・台本: 鶴岡正典
キャスター: 櫻木瑶子
ゲスト: 九島伸一


はじめに
ゲストの経歴

本のこと
インテリジェンス
国連での情報
コフィ・アナンの国連改革
コフィ・アナンはどんな人?
情報量の増大
どのくらい増えたか?
感じたこと・提言

プロパガンダに踊らされないために
プロパガンダの例
プロパガンダの実際
どうすればいいのか
言葉で視野は広がるか
情報リテラシー教育
意識の共有

世界と日本の“情報戦略”
なぜ日本人は情報を重視しないのか?
日本の情報に関する政策について
情報で競争していく基盤
システムはまだ出来ていない
世界での情報の現状

情報戦争
アメリカと中国の競争
情報兵器
コンテンツの戦い
SNS を利用した戦争
宣伝力
どう対抗するか

まとめ
おわりに


 


はじめに

sakuragi_imgニュースの視点です。日々氾濫する情報の洪水。私たちはその膨大な数の情報を、どう取捨選択していくべきなのか。また、権力者や特定の組織の思惑に「惑わされず」「だまされず」「利用されないために」、一人ひとりが、どう「情報リテラシー」を身につけていくべきなのでしょうか。
きょうのニュースの視点は、情報社会を生き抜くための知恵とその方策を考えます。
スタジオには「情報」のエキスパートとして国連で30年に渡って活躍してこられた九島伸一さんにお越しいただきました。九島さんよろしくお願いします。

こちらこそ、よろしくお願いします。

 


ゲストの経歴

1982年~国連欧州経済委で経済社会データの出版
1998年~世界保健機関で健康・公衆衛生の情報管理
2000年~国連人権高等弁務官事務所で人権情報の管理
2001年~国連本部で図書館などの情報管理と知識管理

ScreenCopy2まずはあらためて九島さんの経歴をご紹介します。
九島さんは1952年生まれの63歳。早稲田大学理工学部物理学科を卒業された後、三井造船勤務を経て、ケース・ウェスタン・リザーブ大学大学院工学部情報科学科を卒業。
その後、IBMで情報システムのエンジニアとして勤務後、1982年から2012年までの30年間、国連において、欧州経済委員会での経済社会データの出版を皮切りに、世界保健機関では健康や公衆衛生の情報の管理を、国連人権高等弁務官事務所では人権情報の管理を、そして国連本部では情報管理のクラスター長・図書館長などを歴任され、国連の情報管理・知識管理を推進されてきました。

そして、先月にはこれまでの経験をまとめられた こちらの「情報」が幻冬舎より出版されています。

 


本のこと

非常にシンプルなタイトルですが、今回なぜ「情報」をテーマに本を出されたのですか?

国連を退職して、30数年ぶりに日本で暮らしてみて、まわりの人たちのナイーブさに改めて驚かされたんです。情報に影響されやすい、言葉を換えれば「騙されやすい」ということなんですが、「オレオレ詐欺」とか「健康食品のこと」とか、それ以外のことでも、なぜこんなに簡単に騙されるのだろう。なんで疑わないのだろう。そう思ったんです。私が日本から離れて暮らしているあいだに、みんなのなかから「逞しさ」や「したたかさ」が消えてしまった、そしてなにより「情報に関心がない」「情報に対して無防備だ」ということがとても気になりました。書店に行って情報の本を探してみても情報技術の本ばかり。情報の洪水の中で、だれも情報のことを真剣に考えていないように見えまして。
私自身も、ずっと情報を仕事をしてきたのに、情報のことを何も知らない。大きなことは言えませんね。それでいろいろ考えて、で、考えるのには書くのが一番ですから、いろいろ書いて、で、そこから突然飛躍するんですけれど、出版したいって、そう思ってしまって。それから、幻冬舎の編集者の方に大変お世話になりまして、で、読んだ人に、少しでも情報のことを考えてほしい、情報を選び取る能力を身につけてほしいと、そういう願いを込めて出版しました。
おっしゃるとおり、「情報」というタイトルはとてもシンプルなんですが、それ以外には考えつきませんでした。タイトルだけでなく、装丁もシンプルで、とても気に入っています。

 


インテリジェンス

インテリジェンスという言葉も最近よく耳にしますよね?

はい、でもインテリジェンスという言葉は、国家のレベルで使いますと、20世紀の言葉というか、冷戦時代の言葉というか、なんだか古びた感じがします。それにインテリジェンスという言葉には、「国家はこんなに大変なんだよ」「みんなで国家のことを心配しましょうよ」みたいな、刷り込みのような役割があると思うんです。ですから私は仕事でもプライベートでもインテリジェンスという言葉は使いません。

九島さんはどんな言葉を使っているのですか?

データ:意味のない事象。ビット、数字、文字などで表される。
情報 :集められ、整理されたデータ。伝えられ、利用される。
知識 :消化され理解された情報。集団で共有される。
知恵 :広く受け入れられた知識。人類で共有される。

私が使うのはインテリジェンスではなく、データ、情報、知識、知恵というような言葉です。

データはビット、数字、文字といった意味ののないもの。
情報は集められ、整理されたデータで伝えられ、利用される。
知識は、消化され理解された情報で、集団で共有されるものとそうでないものがある。
知恵は広く受け入れられた知識で、人類で共有されるものとそうでないものがある。

そんな感じです。日本では、いろいろな理由があって、これらの言葉が実に曖昧に使われていますが、もっとちゃんと使ったほうがいいと思っています。

 


国連での情報

九島さんが在籍された国連でも膨大な「データ」をどう整理し、伝え、利用していくかが、組織を円滑に動かしていく重要な要素だったということですか?

はい、そうなんです。国連と一口に言いましても、いろいろな活動がありまして、それぞれに違う情報そして知識が必要になります。私はいつも、4つのカテゴリーに分けて考えています。


写真11つめは緊急援助ですね。
災害とか紛争とかで、困った人を助けなければいけません。国連では「人道的」という言葉を使いますが、例えば被害に遭った人に食べ物を運ばなければならない。そこで必要になる情報はとても重要です。必要な場所に必要なものを必要な時に必要な人のために届ける。そういうことをしようと思えばスピーディーで正確な情報管理が欠かせません。


写真22つめは、サステイナブルなオペレーション。
継続的なことですね。国連では「開発」という言葉を使います。食べ物を送っても食べてしまえば終わり。また送らなければなりません。で、食べ物を送る代わりに、種を送り、自分たちで農業ができるように持っていく。そういう場合に必要な情報は、緊急援助の情報とはまったく違うものです。


写真33つめは、人に寄り添う仕事です。
人権を侵害されていたり、難民として住む場所を失った人に寄り添う仕事。そこでの情報は、人間の情報ですから、その扱いはとても気を付けなければいけなくて、難しいんです。人に関する仕事には、おのずと蓄積された知識が必要となります。その知識をどうやったら共有できるのか。それも、簡単ではありません。


写真44つめは、全体を見る仕事。
統計を出したり、お金の分配を決めたり、会議とか、国連文書とか、そういうことでの情報は、いろいろな思惑が交錯して、とても複雑です。会議とか交渉とか調査とかには、知識が必要ですが、そういうことをしている人は、誰も知識を共有したがりませんし、情報も全部を出してくるわけではないので、大変です。


今言いました4種類のまったく違った情報を扱いって、結構大変で。それぞれ違う情報を、どう入手し、どう処理し、どう発信し、どう届けるか。国連の情報管理は、簡単ではありません。

 


コフィ・アナンの国連改革

九島さんが在籍していた時代には、アナン事務総長が世界平和や人権などの課題に取り組み、大きな功績を残されましたが、こうした裏には 九島さんをはじめとしたスタッフの支えも欠かせないものだったということですね?

INS:アナン事務総長+SP

はい。コフィ・アナンという人は、他の歴代の国連事務総長と違って、ずっと国連の職員だった人なんです。コフィ・アナンの前に事務総長だったブトロス・ガリは長いあいだ学者だったし、コフィ・アナンの次に事務総長になったバン・キ・ムーンはずっと外交官だったし。。。国連の職員から事務総長になった人は、今までひとりしかいないんです。コフィ・アナンはは国連の職員だったので、国連の内部のことを良く知っていましたから、国連改革にはうってつけの人物だったのだと思います。
写真5あの、ここに28年前に撮った一枚の写真があるんですけれど。。。
当時の事務総長だったペレス・デ・クエイアと、当時は国連の内部にいたコフィ・アナンと私とが一緒に写真に収まっているんです。だからなんなんだという話ですが、まあ。。。
で、この頃、コフィ・アナンが事務総長になると考えた人は、多分一人もいなかったと思います。「私たちの支えが」というご質問でしたが、コフィ・アナンには、どうすれば私たち国連職員の力を最大限に発揮させられるかということが、よく分かっていたのだと思います。それでいろいろなことがうまくいったということは、ありますね。

 


コフィ・アナンはどんな人?

ちなみにアナン事務総長は、実際に接してみてどんな方でしたか?

コフィ・アナンが事務総長だった頃に、ジュネーブに来て話をするというと、みんな仕事を中断してでも集まってくる。そんな感じでした。職員のあいだではすごく人気がありました。コフィ・アナンが若かったころ、WHOで経理・財務にいて、HCRでは人事にいて、昇進が遅かったということもあって、みんな親近感を抱いていましたね。こちらの苦労をわかってくれる。そんな印象を持ちました。
どんな人かというと、なんて言うんでしょうか、話をよく聞いてくれるとう、そんな人でした。目を大きく開いて、こちらをじっと見て、で、こちらは「こんなに真面目に話を聞いてくれる人ははじめてだ」と思うんです。不思議な人ですね。

 


情報量の増大

話を情報に戻しますが、個人レベルで考えても、インターネットの普及で、私たちが受け取る情報量は飛躍的に増えましたよね?

はい。街を歩いていても、情報が溢れだしている感じがありますよね。家にいても、インターネットのおかげで、たくさんの情報にアクセスすることができます。それは、悪いことじゃないですよね。情報が溢れていること自体は、困ったことではない。
ところが、インターネットが普及してから、もうずいぶんの時間がたつというのに、情報が溢れていることに不快感や危機感を持っている人が、今でも大勢います。
今まで情報を取り仕切ってきた一部の人たち。評論家とか、大学の先生とか、官僚とか、政治家とか、そういう人たちにとっては、最悪の状況が出現したっていう感じでしょうからね。自分たち以外の、なんでもない人たちが、自分たちと同等の立場で、ものを言うんですから、もうたまったものではないはずです。
それで、そういう人たちがなにを言うかというと、「インターネット上の情報は、いい加減なことが多い」とか、「間違ったことが多いから、信用しないほうがいい」とかそんなことを言うのだけれど、もうこの「みんなが発言する」という流れは、誰にも止められないんですね。
で、影響力が薄れて困っている人たちがいるんですけれど、困っているのは、今まで情報を与えてきた人たちばかりではないんですね。情報を与えられることに慣れている人たちにとっても、情報が溢れかえっているというこの状況は、そんなにはいいものではない。快適でないんです。実際、「情報が多すぎて、何を信じたらいいかわからない」という声はよく聞きますよね。「なにを信じたらいいかわからない」ということは、自分で考えることのない人の常套句なんですけど、その「なにを信じたらいいかわからない」という状況は、一人一人にとっては不安なものだと思うんですよね。それから、情報のなかには、自分より幸せに見える人たちの情報もあるじゃないですか。素晴らしい家に住んで、おいしいものを食べてみたいな。そんな情報に触れて、羨ましいとか、なんて私は不幸なのだろうとか、いろいろな感情を持ってしまうこともあります。溢れ出しているたくさんの情報が、一人一人を不安にしたり、不幸にしたりというのであれば、それはそれでまずいわけです。
でも、情報を選び取ることができれば、こんなに良い状況はない。溢れだしている情報のなかから、自分に合った情報、自分が気に入った情報を選び取っていけば、とてもいいいいんじゃないかって。そう思います。

 


どのくらい増えたか?

どれくらい増えているのかデータなどはあるのですか?

CG:キロ<メガ<ギガ<テラ<ペタ<エクサ<ゼタ

そうですね。まずデータですが、一日に約25エクサバイトのデータが作成されていると言われています。1年間で、9ゼタバイト(zettabytes)。キロ、メガ、ギガ、テラ、ペタ、エクサ、ゼタ、9のあとに0が21個付く数ですね。とにかくたくさんです。
ジョン・スチュアートという人が、「世界中にあるデータを本にして地面に置いたら、世界中の陸地が本で覆われてしまうだろう」と言いましたし、データでなくて情報ということだと、1億5000万近いアイテムを持つアメリカ議会図書館の持つ情報と同じ量の情報が、世界中でたった10分か15分で生成されているといいます。
データの量は、もう何十年も、エクスポーネンシャルに増えてきています。テクノロジーが、つまりスピードとか容量とかが「2年で倍になる」というムーアの法則というのがあって、実際、ディスクの容量なんかを見てみると、本当に2年で2倍、4年で4倍、6年で8倍、8年で16倍という感じで大きくなってきています。私がコンピュータに最初に触れたときにはディスクがこんなに大きくて、その容量は10メガバイトでしたからね。それが今では、このくらいで10テラバイト。100万倍ですよね。20年で千倍、26年半で1万倍、52年で1億倍。80年で1兆倍。100年で1千兆倍。でいつも、不思議なことに、ディスクはだいたい一杯になってしまう。データ容量が増えると、データが増え、そして情報も増えます。
情報がないというのも困ると思いますが、膨大な情報に振り回されるのもたまりません。面白いことに、情報があまりなかった頃も、情報があふれかえっている今も、私たちが使う情報の量はほとんど同じ。そして知識の量はほとんど増えていない。
インターネットが出現してから、情報は今までのやり方では管理できなくなったと思うんですけれど、それでもまだ、今までのやり方で情報を管理しようとする人たちがいる。そして、今でも情報を無条件に信じている人たちがいる。影響される人、っていうか騙される人の数が多ければ多いほど社会は間違った方向に進むと思うんですけれど、そういう人の数が減る気配はありません。

 


感じたこと・提言

この後は、お知らせを挟んで、このような膨大な情報があふれる中、情報の価値はどう変化しているのか?また、「惑わされず」「だまされず」「利用されないために」、どう「情報リテラシー」を身につけていくべきなのか。世界を舞台に活躍してこられた九島さんが感じたことや提言を、キーワードをもとに伺っていきたいと思います。

=========== CM ===========

きょうのの視点は元国連職員の九島伸一さんをお迎えして「情報」をテーマにお話を伺っています。ここからは世界を舞台に活躍してこられた九島さんが感じたことや提言を、キーワードをもとに伺っていきます。

まずは、こちら。

 


プロパガンダに踊らされないために

「プロパガンダに踊らされないために」

「プロパガンダに踊らされないために」ということですが、プロパガンダとは、三省堂の辞書によると、特定の思想によって個人や集団に影響を与え、その行動を意図した方向へ仕向けようとする宣伝活動の総称です。
特に、政治的意図をもつ宣伝活動をさすことが多く、情報による大衆操作・世論喚起と言えそうですね?

はい、そうなんです。プロパガンダは見かけの良い情報であることが多いんです。「なぜそうなのか?」とか「本当にそうなのか?」ということを考えさせず、「とにかくそうなのだ」ということになります。
思いやりのあるとか、良い、正しい、適切な、科学的、医学的というような言葉で形容され、故郷とか家族とかへの愛に溢れ、自由とか、平和とか、民主主義みたいな言葉が添えられている。戦争中の国家のプロパガンダから、マクドナルドのハッピー・ミールまで、使われる言葉はすべて私たちが大切にしたい言葉で、無条件に受け入れさせるような力を持ちます。
災害の後には、がんばろうが叫ばれ、その後で、寄り添うとか、つながるとか、忘れないというような言葉が溢れる。そのひとつひとつにどうこう言う気はありませんが、なんだかみんな、いとも簡単に操られている気がして、なんだかいやなんです。で、そのみんなが、見かけの良い情報に、つまりプロパガンダに乗せられて、国家の正義を口にする日がやって来るんじゃないかって思ってしまうんです。今のプロパガンダは、とても巧妙ですからね。

 


プロパガンダの例

例えばどんなものがそれに当たるのですか?
INS:ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争
そうですね。たくさんあって、どの話をすればいいのかわからないくらいですが。。。
ルーダー・フィン(Ruder Finn Global Public Affairs)というPRの会社の話をしましょうか。
ユーゴスラビアの紛争が始まって間もなくの頃の1992年に、ボスニア政府を顧客としてメディア・コントロールを成功させたんですけれど、あの時はセルビアだけが悪いのだというイメージが世界中にあっという間に広まりましたよね。ルーダー・フィンは2012年にはモルディブ政府を顧客にして、やはり似たようなことをしました。その他にも、さまざまな謀略に加担してきています。私はそのひとつひとつがプロパガンダなのだと考えています。どんな紛争においても両方の側が悪いのが普通なのだと思うのですが、こういうPR会社は、片方の側だけに有利な、そして
もう片方の側にとって不利な情報を流し続け、世界中の世論に影響を与え、一方だけが悪なのだと信じ込ませてしまうんです。
エデルマンという、これもPRの会社ですが、エデルマンは、あの有名なマララというパキスタンの少女の後ろですべてを取り仕切って、国連総会で演説をさせて、ノーベル賞を取らせて、エデルマンの顧客の敵側に対して抗議の声明を発表させてますからね。映画まで作っちゃうんだから。もう、なんだかなあですよね。
いやもう、プロパガンダの例を挙げたら、キリがないですね。

 


プロパガンダの実際

プロパガンダには国際世論に訴えるものだけでなく、自国の国民に対しても行われているんですね?

そうですね。国家のプロパガンダは、多くの場合、自国民に対して行われますけれどね。コンピュータ・システムのセキュリティが内側から壊されるように、国家も内側から壊される。そう思えば、国家が自国民へのプロパガンダを大事にするのも納得がいきます。
国の名前は言いませんが、ある国の人たちは口をそろえて、隣の国がしていることを「ひどい」と言いますし、隣の国は隣の国でその「こっちのほう」が悪いと言っています。両方の国の人たちが、いとも簡単に、それぞれの国家のプロパガンダに乗せられてますからね。
実際、9・11のあとのアメリカ人も、シャルル・エブドのあとのフランス人も、みんなあっという間にワーっと偏ってしまいましたからね。
そんなのを見ていると、「人は、騙されるようにできているのではないか」なんて思ってしまいますよね。みんな、簡単に騙されます。騙すほうが悪いとか、いや騙されるほうが悪いとか、いろいろなことが言われているが、人は騙され続ける。
なんなんでしょうね。

 


どうすればいいのか

九島さんはこうした状況の中、正しい情報を得て判断するために、そうならないために一人ひとりが情報リテラシーを身につけなければならないとおっしゃっていますが、どう情報の真偽を見抜き、取捨選択していくべきなのでしょうか?

難しいことだとは思いますけれど、「自分で考える」ということに尽きますかね。
とにかく私たちはみんな、影響されやすくできていますから、「自分で考える」ということを、そして「情報リテラシー」を、若いころから教え込むしかないでしょうね。
日本にはワードやエクセルの使い方を知ることが情報リテラシーを持つみたいに考えている人が少なからずいますが、それは情報技術のリテラシーであって情報リテラシーではありませんね。
情報リテラシーは、いろいろな情報にアクセスできて、異なる意見や違う見方が理解できて、どんなこともクリティカルに考えられて、で、自分の考えを伝えることができるって、そんなことだと思うんです。
でね、情報はいい加減だっていうことを、もっと考えるといいとおもうんですよ。
予測とか予想がよく当たるって言うじゃないですか。当たったことばかりに焦点を当てれば、よく当たるなっていうことになるんでしょうけれど、予測とか予想ってまあだいたいが外れるんですよね。経済予測も、馬券の予測も。
1894年の馬糞の予測ってご存知ですか?1930年までに世界の大都市の道路っていう道路は、みんな馬糞だらけになるって。ニューヨークなんて、馬糞がビルの3階の高さまで、馬糞が積もるって。でも実際は、馬車は自動車に取って代わられて、そんなことは起きなかったんですよね。
何が言いたいかというと、情報をなんでもかんでも信じてはいけないっていうことなんです。
情報は、そして人のことは、無条件で信じてはいけないと思います。

 


言葉で視野は広がるか

言葉も重要な要素ということですが、九島さん自身は、5か国語を話せるということですが、言葉が増えることで視野が広がっていきましたか?

はい。どの言語もちゃんと話せるわけではありませんけれど、でもまあそれはそれとして、そう、いろいろな言語を理解すれば、視野は間違いなく広がると思います。
自分で考えようとすれば、異なる見方を持つ2つ以上の情報源が必要になるじゃないですか。2つ以上の言語を知れば、自然と違った立場の人の考えを知ることになりますよね。で、自分がみんなと違うということに驚かなくなります。周りの人と違う見方をしたり、違う意見を言ったりすることが普通になります。それはつまり、視野が広がるということで、言葉を知るのは、とても大事だなことだと思います。

 


情報リテラシー教育

こうした「情報リテラシー」「メディア・リテラシー」を身につけるために、世界ではどのような教育が行われているのですか?

はい、マイケル・コップスという人がいいことを言っていて、「報道と娯楽情報番組を一緒にしてはいけない。意見と事実の違いがわからなければならない。そして信頼のおける情報源と信頼のおけない情報源をちゃんと識別できなければいけない」って。いいでしょ?   アメリカにはニュース・リテラシー・プロジェクトという中高生向けの教育プログラムがあって、「デジタル時代において、作り話と事実をどうやって識別していくのか」というようなことを若いうちから徹底的に叩き込んでいます。
ヨーロッパでは、子供たち個人個人の能力としての情報リテラシーだけではなく、社会的・環境的な要因にも目を向けて、情報を与える側と教育者たちが一緒に一体となって、情報リテラシーの問題に取り組んでいます。特別なプログラムを組む代わりに、国語とか社会、芸術ICTといった授業のなかで教えようという取り組みもなされています。見習うことは多いです。
でもねえ、教育よりも大事なのが、大人たちの意識だと思うんですよね。どうにかなりませんかね?

 


意識の共有

こうした意識を社会全体で共有しなければ 情報リテラシーを身に着けていくのは難しいですね?

はい、とても難しいと思います。ですが、そういう意識を共有しなければ、社会は衰退するか、変な方向に進んでしまいます。情報リテラシーを持つことは21世紀にはとても大切なことなのだとそう思っています。情報リテラシーを持つ人たちと持たない人たちの格差は、とても大きくなっていって、で、情報リテラシーを持っている人ばかりが良い暮らしをしていくようになる気がします。

 


世界と日本の“情報戦略”

続いてのキーワードはこちらです。

「世界と日本の“情報戦略”」

「世界と日本の“情報戦略”」、これはどういうことですか?

ScreenShot1はい、グローバルな社会ができつつある今、どこの国の情報戦略もグローバルな環境を意識したものになっています。言葉のことだけでなく、情報戦略がカバーする範囲が地球上全体に広がっているのです。
それなのに日本の情報戦略は、国家のレベルでも、会社のレベルでも、個人のレベルでも、地球上の70億のうちの1億2千万、つまり地球上の人間の1.7%だけを相手にしています。世界の2%にも満たない人たちだけを意識して情報戦略を練っても仕方がないということです。
例えばですが、
• 世界中の多くの人たちが日本製の検索エンジンを使うような状況を作りだす
• CCTVやアルジャジーラが行っているような日本という枠を超えたグローバルなテレビ放送を行う
• 日本人にとっての事実が、そして日本人の意見が、世界中に届く仕組みを作る
というようなことを考えてもいいのではないでしょうか。
情報についての競争にもっと積極的に加わってはどうかということです。

 


なぜ日本人は情報を重視しないのか?

なぜ、日本では、情報をあまり重視してこなかったのでしょうか?

それは、もしかしたら、島国の伝統ではないでしょうか。なんでも曖昧にするとか、山本七平の言う「空気」がものごとを決めていくとか、要は情報が重要でない。
もう2016年になるというのに、いまだに20世紀の冷戦時のような考えをしている人が大勢いますし、21世紀の知識社会という概念すら理解しないでいる。
そして情報はタダだと考えている。  これは日本人の特徴なのかもしれません。
えーと、櫻木さんのご質問は、「なぜ日本人は情報を重視してこなかったのか」という質問で、今言ったようなこと以外にも、理由はたくさんあると思いますけれど、でも、理由を並び立てても、なんにもなりません。
大事だのは、「日本人は情報を重視しない」という事実を認めること。そして、ではどうしたらいいのかということを考えることではないでしょうか。

 


日本の情報に関する政策について

安倍政権になってからは、日本版NSCと言われる国家安全保障会議や国際テロ情報収集ユニットなどがつくられていますが、九島さんはこれらをどう評価していますか?

どう評価するかだなんて、そんな、大それたことは。そもそもわかりませんので。。。
わからないことについての発言は控えたいと思いますって、そう言いたいですね。
まあそれでも、しいて言えば、予算が少なすぎるということだけは言えると思います。
国家安全保障局の予算が7億円とか8億円というのは、はっきり言って、冗談としか思えません。減った減ったといわれているパチンコの売り上げが19兆円で、やはり減った減ったといわれている競馬、競輪、競艇、オートレースといった公営ギャンブルの売上が4兆円台。NHK の予算が7000億円で、TBS の売上が2000億円以上ですからね。7億円とか8億円とか言われても、なんだそりゃ、桁がいくつか違うんじゃないかって、そして情報を馬鹿にするなって、そういう話ですよね。

 


情報で競争していく基盤

まだ、アメリカや中国のように情報で競争していく基盤はできていないと?

はい、そう思います。基盤ができていない以前の問題で、情報で競争していくんだというコンセンサスさえない。世界中に、情報で競争していくためのシステムの構築が着々と進んでいる国とか会社とかがあるというのに、日本では、商社などは別として、まだ意思決定のシステムとか知識管理のシステムとかでさえ、まともに構築されていませんしね。

 


システムはまだ出来ていない

まだ取り組みは始まったばかりということですね?

はい、「始まったばかり」というより、「まだ、始まってもいない」ということではないでしょうか。
グローバルな世の中になって、これがいいというようなことは、もうどこにもないと思うんですね。
「これがいい」と言うと、どこかに必ず「そんなことはない」という人がいる。世界は広いですからね、いろいろな人がいるんですよね。
ですから、「これが良い」とか「これが正しい」というような考え方は、やめたほうがいい。
「こんな考え方がある」、「あんな考え方がある」というようにしなければ。
そのためには、すべての会社や組織が、少なくとも意識だけでもグローバル化しなければならない。  サッカーのバルセロナがスペイン人だけ、マンUがイギリス人だけだったら弱いですよね。ビジネスも同じで、日本人のそれも男だけを集めた会社が強いわけがない。グーグルなんて、まるでバルセロナやマンUみたいですからね。
もう国家主義や純血主義で勝てる環境ではなくなってしまったということです。
だいいち、日本の生産性は低すぎます。新しいモデルに基づいた新しいシステムがまだ出来ていない。知識社会になり損ねてしまっている。そんな危機感を持っています。
でも、まずは社会が変わらないと。ドメスティックな、国内のことにしか焦点を当てられないようではね。みんなの興味も、すごく狭いところに向いていますしね。
せっかくグローバルな世の中になったのだから、若い方々もいつまでも日本・日本と言ってないで、日本の情報ばかりでなく、もうちょっとグローバルな情報に触れたらいいと思うんですけどね。

 


世界での情報の現状

日本の情報に対する取り組みについてお聞きしましたが、一方世界では情報をめぐり、熾烈な競争が繰り広げられています。なにもしなければ、差は開くばかりです。

 


情報戦争

キーワード、最後はこちらです。

情報戦争

「情報戦争」とは、実際にどんなことが行われているのですか?

ScreenShot2はい、まず、(1)情報を情報技術という意味に使って、それで「情報技術を20世紀型の兵器を補助するものとして使うこと」を情報戦争と呼ぶ人がいます。(日本に多い)
次に、(2)情報技術をメインのものとして捉え直し、サイバー攻撃やサイバー防御を行うことを情報戦争と呼ぶ人がいます。サイバー攻撃・防御のイメージもさまざまで、ハッカーによる攻撃を思い浮かべる人、システム対システムの戦いを思い浮かべる人、相手側の通信機能やエネルギー供給機能への攻撃を思い浮かべる人など、さまざまです。
それから、(3)情報技術という意味を込めずに情報の戦争という意味で使う人がいます。たとえば、メディアやインターネットを使った言論の誘導やプロパガンダの流布とか、教育や宗教の枠組みのなかでの洗脳などによって、自分の側に正義があり、相手の側は悪であるということを信じさせ、状況を有利に運ぼうとする人たちです。
情報戦争は現在進行形で行われているという人もいれば、いや、いくつかの国や会社は、とてつもなく大きな情報戦争の準備に入ったところだという人もいます。
情報戦争というと攻撃ばかりを思い浮かべる人もいますけれど、防御にこそ意味があり、防御のためにはどんな状況を想定できるかということが一番重要になるという人もいます。情報戦争では「想定外だったので……」は通用しませんし、実際、情報戦争は、今までの戦争よりずっとシビアな戦争なのだと思います。
いずれにしても、敵というか、競争相手というか、そういう相手のシステムに様々なダメージを与えるということは、もう当たり前のゲームになっています。ただし敵の姿は見えにくい。不思議な戦いです。
ファイナンシャル・システムを攻撃すれば、巨万の富を得たり、社会全体の富をゼロにしてりまうことが可能だし、エネルギー・ビジネスを狙えばいくつもの国々を不安のどん底に叩き落とすことができ、そして通信や交通機関を狙えば、市民生活が麻痺し、研究機関を狙えば、研究や開発を大幅に遅らせることができます。サイバーテロなどと言うけれど、そのほとんどが国家とか会社とかいった普通のプレーヤーによって行われますから、テロというより戦争と呼んだほうがいいのだと思っています。

 


アメリカと中国の競争

サイバー攻撃をめぐっては、アメリカと中国が激しく対立していますよね?

はい、対立しているというより、競争しているといったほうが正しいと思います。
今まで情報は、武器による戦争の補助的な役割をしてきましたが、これからは情報が主役になる。で、情報戦争のいろいろな側面をすべてカバーし、来るべき情報戦争を戦う意思があるのだったら、それなりの予算や人員を割かなければなりません。
エドワード・スノーデンがリークした文書に、NSA, CIAなどの情報機関のために526億ドル使われているとありますから、アメリカの情報戦の予算は情報機関だけで6兆円以上。それに、6100億ドル、つまり73兆円という陸海空軍の予算の何割かが情報戦争のためと考えれば、情報戦争関連の予算は全部で十兆円をはるかに超えます。
中国の情報戦争への予算も大規模のようですから、日本がその二か国と競争していくのは大変だと思います。思い切って防衛予算の半分以上を情報戦争のために振り分けてしまうというようなドラスティックなことをしないと、競争にはならないでしょうね。

 


情報兵器

本の中では、相手の産業や生活インフラを一瞬で無力化するという、まるでSFのようなことが現実になっていると書かれていますよね?

はい。今、櫻木さんは「SFのような」という言い方をされましたは、まさにその通り。ひと昔前までは、「SFのような」というのは荒唐無稽という意味が強かったと思います。でも今は、SFに書かれたことは遅かれ早かれ全部実現してしまうという世の中ですから、想像を大きく膨らませることがとても重要になるわけです。少し想像してみてください。櫻木さんが海外に行かれるときにお乗りになる大型機が、乗客を乗せる代わりにコンピュータ・サーバーを乗せて、上空を飛んでいるとします。で、その周りを、地上のコンピュータシステムを破壊する装置とクライアントのコンピュータとを積んだオスプレイが何機も飛んでいます。しかも全部、無人でね。そんなこと、想像できますか? それで、オスプレイが銀行のコンピュータ・センターの上にピタっと止まって、地上のコンピュータシステムをあっという間に使えなくしたとします。そのシステムの情報を消してしまうのです。
そうしたらどうなりますか?みんなの預金の履歴はバックアップごとすべて消え去り、お金持ちも貧乏な人も、一人の例外もなく一文無しになります。
人を一人も殺さずに、つまり人道主義に反することなく、相手の国の根幹を揺るがすことができるって、なんだかすごくないですか?

 


コンテンツの戦い

そして、現在情報戦争は、敵の情報やシステムをアタックするといったようなことだけでなく、コンテンツの戦いも激しくなっているということですが、これはどういうことですか?

はい、相手を、人やモノや情報を破壊するのでなく、人の心の中に頭の中に影響をあたえてしまうという、そういうオペレーションですね。人は影響されやすいから、影響しちゃいましょうという、そういうオペレーション。個人にとってはたまりませんが、国とか会社とか、組織としては、競争に生き残るために、避けて通れませんよね。だから、もうこれは「わかってもらう」などという甘い考えではなく、「影響をあたえ、みんなの意識を変えてしまうのだ」という認識を持って、情報を伝える、発信するという厳しい考え方を持たなければならないと思います。
捕鯨のこととか、慰安婦のこととか、やはり情報の伝え方、発信の仕方で、グローバルな場所で、負けていると思います。正しいとか正しくないとか、良いとか悪いとか、そんなこととは別の次元で、どう伝えていくか、どう発信するかを真剣に考え、そのためのリソースを、つまりカネや人を、ちゃんと用意しなければ、いけないと思います。6か国語で発信する能力とか、誤解されない言葉の選び方とか、そういうことを考えれば、情報産業への投資は惜しむべきではないということになります。
それは目先の売り上げだけを目指す、宣伝だけのPRから、本当の意味でのパブリック・リレーションというPRへの転換ですから、そう簡単にはできないと思いますが、それができなければ、それをしなければ、コンテンツの戦いにはかてないでしょうね。

 


SNS を利用した戦争

「イスラム国」も、SNSを使った巧妙なプロパガンダで支援者を増やしてきました。これも情報戦争のひとつと言えそうですね?

INS:イスラム国とされる映像

はい、それは、アメリカの一部の人たちが「アラブの春」と言ってやったことを真似ただけですが、そうです、それも情報戦争です。「アラブの春」の時も、ISの場合も、乗せられて、利用されて、捨てられた若い人たちは、ほんとうに哀れですが、それぞれ個人個人の選択の結果ですから、仕方ないですね。
SNSの怖いところは、そのほとんどが反応というか反射というか、よく考えることなく、みんなが言っているから、そうだ、そうだと言って、で、どんなことも批判的にとらえないで、みんなこう言っているんですよという感じで「コピー・ペースト」して、で、メッセージが、あっという間に広まることですよね。
ですから、「SNSを利用して多くの人たちを誘導する」というビジネスは大きくなり続けるのだと思います。遺伝子組み換え生物とか遺伝子組み換え作物のことを考えても、遺伝子組み換えで利益を得ようとする側は、ケッチャムというPRの会社に、パブリック・リレーション、宣伝、ロビー活動、政治活動の費用として1億ドル以上つまり、100億円以上を払っていますが、SNSの利用もその契約のなかに入っています。巨額の金で情報が作られると、もっともらしく見えますから、個人がそれを誘導だと見抜くのは難しいでしょうね。で、これは、国対国の戦争ではありませんが、ビジネス対個人の立派な情報戦争です。

 


宣伝力

本の中では日本と中国の宣伝力についても触れていますよね?

INS:中国雑感(習主席・中国国旗・天安門広場などをミックス)

インターネットで中国の情報戦争戦略について読むことはあっても日本の戦略を目にすることはない。日本にも情報戦争戦略のようなものがあって、それがみんなの目に触れないという、そんなこともあるでしょうけれど、それはそれで負けとしか言えない。情報は世界中に流して、そして人の目に触れて、はじめて価値を持つものだからです。中国の情報戦争戦略は読んでいておもしろい。エネルギーにフォーカスしていたかと思えば、開発援助にフォーカスしていたりする。そんな戦略を集団で共有できる国とか、そういう国の会社と情報戦を戦うのは、不可能でしかないですよね。
中国は、もう世界中で、ローカルに、そしてグローバルに発信できる能力を持っています。私たちはB29に竹槍で立ち向かおうとした国民ですから、精神論で勝てると思うのでしょうが、精神論で勝てるほど情報戦争は甘くはありません。
中国に遅れをとっていることを素直に認めて、私たちが情報戦の真っただ中にいるという認識を持ち、これからでも遅くないから情報戦略や情報戦争戦略を練り直し、軍事予算を上回るような情報予算を付け、情報戦争に参加し、日本の国家や、企業や、学術機関、そして日本人ひとりひとりが不利益を被らないように、情報戦争に勝つ努力をしていく。そんなことが必要だと思います。
中国は、日本と同じように、宣伝が下手でしたよね。いかにも宣伝していますっていう感じの、あ、これ、プロパガンダだなって。すぐわかってしまうような。なんか、最後に、「政府広報」っていうテロップが流れてくるみたいな。
ところがCCTV(中国テレビ、中国電視台)なんかが、2011年あたりから急激に変わりました。英語、フランス語、スペイン語、ロシア語、アラビア語の放送が24時間。ちょうどこのTBSニュースバードが、国連の公用語、6か国語で放送をしている感じなんですけれどね。だから今の中国からの情報は、宣伝宣伝してなくて、なんか洗練された感じがしますね。まあ、相変わらず、「プロパガンダ」っていう番組もありますが、日本はいつのまにか水をあけられてしまいました。

 


どう対抗するか

こうした動きに、どう対抗していけばいいのでしょうか?

鎌倉の円覚寺の横田南嶺という管長が、よく、「心の向きを外から内に変える」ということをおっしゃいます。心の向きが外に向かっているうちは、多くの情報に振り回されたりするけれど、心の向きを外から内に変えてみると、情報に振り回されたり、惑わされたりすることはなくなるといっています。
で、「日本にいる人たちが、情報についてなにをしなければならないか」ということなんですけれど、情報の向きを内から外に変える、内向きの情報を外向きに変えることが重要になってきます。横田管長のお話とは逆のことを言っているように聞こえるかもしれませんが、実はそうは違わない。
心の向きは内側に、情報の向きは外側にする。日本以外のことにも興味を持ち、国外の情報にも目を通し、国外に住む人に対しても情報発信を続ける。そういう努力を、個人としても、集団としても、していくべきではないでしょうか。

 


まとめ

最後にあらためて、日本という国、また私たち日本人が 21世紀の情報社会を生き抜くための心構えや行動指針を教えてください。

データ、特に数字をたくさん見て頂きたいなと思います。数字はとても正直ですから、数字を見れば、もう日本が世界で2位の経済大国だとは思わないし、日本の軍事予算が、とてつもなく大きな金額が、20世紀的な軍備に使われていることもわかるし。。。
そして、判断・決断をするときには、データをよく見て、色んな情報に惑わされないで自分で判断・決断をしてほしいですね。
心構えとしては、国家が生命や財産を守ってくれるという考え方を改め、自分の生命や自分の財産は自分で守るという考え方にすること。そうしないと、21世紀は生きていけない。というか、いつかしっぺ返しを食います。
情報収集能力ということでは、とにかくたくさんの情報を集めるというイメージを持つ人が多いですが、実はその逆に、どうやって大事な情報を選び取るのか、なにが大事なのか。そういうことを知る。若い方には特にそういうことを考えてほしい。そう思っています。

 


おわりに

きょうのニュースの視点は 情報社会を生き抜くための知恵とその方策を伺いました。
解説は元国連職員で「情報」著者の九島伸一さんでした。
九島さん、きょうはありがとうございました。

ありがとうございました。

以上、ニュースの視点でした。

(お疲れ様でした!)

⇒15:55:00までに〆