第七章 足利義視(避難)


文明十五年九月十九日(一四八三年十月二十日)
めずらしく東山山荘が静けさに包まれた日に 

足利義政、永享八年生まれ、四十八歳

足利義視(あしかが・よしみ)、永享十一年生まれ、四十五歳
義教の十男。義政の異母弟。出家して浄土寺門跡となっていたが、嗣子に恵まれない義政に請われて後継となるために還俗した。ところが義政と富子の間に義尚が生まれると後継をめぐって対立し、応仁の乱に巻き込まれる。乱後は美濃に亡命した。


(本文から)

義視 他人のことを思うことが、それほど大事ですか。
義政 将軍だけではない。生きようと思えば、他人のことを思わなければならない。自分のためにもな。
義視 はあ。
義政 結局は、優しさと思いやりだ。そう思った。
義視 優しさと思いやりですか。
義政 そうだ。してしまったことを振り返っても、なんにもならない。どんなに悔やんでも、時は戻らない。できることと言えば、人に優しく接すること。そして思いやること。それしかない。