井伏鱒二

敗戦の年 — 昭和二十年度には私は五枚の随筆を一つ発表しただけで、但し日記だけは殆んど毎日つけてゐた。その頃は、自分の貧弱な空想でまとめた物語などよりも、庶民の一人として経験する実際の記録の方が、文字として幾らか価値があると思つてゐたからである。しかし、私の日記は「絵入り日記」と自称するもので、いろんな出来ごとをたいていは絵に描いて少量の説明を加へておく記録である。スケッチではなく、思ひ出したり想像したりして描く素人の一筆画で、そのためか私の絵には何等の進歩が認められないが、私は絵を上手に描くやうにならうといふ意志はない。

2 thoughts on “井伏鱒二

  1. shinichi Post author

    井伏鱒二という姿勢

    by 東郷克美

    戦後、創作集『侘助』(昭21・12)を出すに際して、井伏はその「後記」に次のように書いた。

    敗戦の年 — 昭和二十年度には私は五枚の随筆を一つ発表しただけで、但し日記だけは殆んど毎日つけてゐた。その頃は、自分の貧弱な空想でまとめた物語などよりも、庶民の一人として経験する実際の記録の方が、文字として幾らか価値があると思つてゐたからである。しかし、私の日記は「絵入り日記」と自称するもので、いろんな出来ごとをたいていは絵に描いて少量の説明を加へておく記録である。

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  2. shinichi Post author

    井伏鱒二の文体『佗助』、そして『病人の枕もと』、『カキツバタ』

    by 佐藤嗣男

    https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/11904/1/jinbunkagakukiyo_38_243.pdf

    敗戦の年 — 昭和二十年度には私は五枚の随筆を一つ発表しただけで、但し日記だけは殆んど毎日つけてゐた。その頃は、自分の貧弱な空想でまとめた物語などよりも、庶民の一人として経験する実際の記録の方が、文字として幾らか価値があると思つてゐたからである。しかし、私の日記は「絵入り日記」と自称するもので、いろんな出来ごとをたいていは絵に描いて少量の説明を加へておく記録である。スケッチではなく、思ひ出したり想像したりして描く素人の一筆画で、そのためか私の絵には何等の進歩が認められないが、私は絵を上手に描くやうにならうといふ意志はない。

    とにかくそんなわけで私は一年あまり原稿を書かなかつたので、今年の二月になつてから久しぶりに原稿用紙に向ふときには何か照れくさいやうな気持がした。そのときの原稿が「佗助」である。これは創元社のクオタリイに送つたが、発刊が延びたので返してもらつて「改造」と「人間」に分載した。私の書きたいのはその続きだが、書きたくても書けないところを一行アキにすることもあるやうに、自分の手に負へないので筆をとめた。「経筒」と「二つの話」は三月ごろ書いた。その前に文芸春秋のオール読物号へ短編を一つ送つたが、これを加へると頁の都合がよくないといふのでここには入れないことにした。だからこの本は、大体のところ終戦後になつて書いた(約一年間の)私の作品の全集である。

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