物言えば唇寒し秋の風
こちら向け我もさびしき秋の暮
この道や行く人なしに秋の暮
旅に病で夢は枯野をかけ廻る
朝顔や昼は錠おろす門の垣
蕣や是も又我が友ならず
月を侘び、身を侘び、つたなきを侘びて、侘ぶと答へむとすれど、問ふ人もなし。なほ侘び侘びて、
侘びて澄め月侘斎が奈良茶歌
物言えば唇寒し秋の風
こちら向け我もさびしき秋の暮
この道や行く人なしに秋の暮
旅に病で夢は枯野をかけ廻る
朝顔や昼は錠おろす門の垣
蕣や是も又我が友ならず
月を侘び、身を侘び、つたなきを侘びて、侘ぶと答へむとすれど、問ふ人もなし。なほ侘び侘びて、
侘びて澄め月侘斎が奈良茶歌
蕣や是も又我が友ならず
(あさがおや これもまた わがともならず)
元禄7年夏、芭蕉は「閉関の説」を書いて門を閉じた。このときに読んだ句「朝顔や昼は錠おろす門の垣」では、朝顔は孤独を慰めてくれる唯一の話し相手であった。しかし、それもやがて深い孤独を慰めてくれるものとはならず、やはりわが友とはいかないのである。