>浅田次郎

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 たとえば、芥川龍之介という雛形がある。おそらく類い稀な頭脳の持ち主で、それに恥じぬ努力を惜しまなかった彼は、虚構を生み出す才能をまるで持たなかった。あれ程の名文章家であり、ディレッタントでありながら、古典説話を脚色するか暗欝に内向するほかに、ほとんど嘘をつくすべを知らなかった。
 この作家的宿命を後年さらにスケールアップしたのは三島由紀夫で、やはり名文章家であり偉大なディレッタントでありながら、ストーリー性の豊かな作品は、ほとんどが社会的事件のノベライズであった。
 要するに教室のホラ話に耳を貸さず黙々と勉強している子供が小説家を志すと、たいそう苦労するのである。
 こうしたタイプの作家は枚挙いとまないが、それら先人たちの中にあって谷崎潤一郎の溢るるがごときダイナミックな大嘘つきぶりは、まさに神を見るようである。おそらしく彼は明治の小学校の教室を、いつも賑わせていた子供だったのであろう。
 事実を曲げたり、責任を回避するための嘘はあってはならないが、想像力を表現する手段の嘘を寛容しなければ、世の中は貧しくなる。

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