適菜収

19世紀ドイツの哲学者フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェは「神は死んだ」と言った。その意味は、西欧において価値の根拠とされてきた《神の視点=普遍的真理》を設定することが理論上不可能になったということだ。にもかかわらず、《神》は平等主義や民主主義といった近代イデオロギーに姿を変えて私たちを支配している。その根底にあるのは「神との距離において人間は等価である」という信仰だ。
近代大衆社会はこうしたキリスト教本能をもつがゆえに、あらゆる格差、階層的なものを破壊する。また、《本当に価値があるもの》《偉大なもの》《美しいもの》は貶められ、《つまらないもの》《新奇なもの》《卑小なもの》が評価されるようになる。その結果、芸術家気取りのゲテモノ、半可通、あらゆる領域における素人が権力をもつようになってしまった。

2 thoughts on “適菜収

  1. shinichi Post author

     最近の若者の言葉遣いで気になるのが、すぐに《神》を持ち出すことだ。ネット上には「神だと思うロックバンド」「神だと思うアニメ」みたいな記事が溢(あふ)れている。「神動画」に「神アプリ」…。

     カリスマは「神の賜物(たまもの)」という神学上の概念だが、今では「カリスマ・シェフ」がコンビニ弁当をプロデュースしている。《神》もずいぶん安くなったものだ。

     19世紀ドイツの哲学者フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェは「神は死んだ」と言った。その意味は、西欧において価値の根拠とされてきた《神の視点=普遍的真理》を設定することが理論上不可能になったということだ。にもかかわらず、《神》は平等主義や民主主義といった近代イデオロギーに姿を変えて私たちを支配している。その根底にあるのは「神との距離において人間は等価である」という信仰だ。

     近代大衆社会はこうしたキリスト教本能をもつがゆえに、あらゆる格差、階層的なものを破壊する。また、《本当に価値があるもの》《偉大なもの》《美しいもの》は貶(おとし)められ、《つまらないもの》《新奇なもの》《卑小なもの》が評価されるようになる。その結果、芸術家気取りのゲテモノ、半可通、あらゆる領域における素人が権力をもつようになってしまった。

     テレビの音楽番組では、アート(芸術)の対極にあるジャリタレが「アーティスト」と呼ばれ、ワイドショーでは有象無象の評論家が専門外のトピックについて無責任なコメントを垂れ流している。

     こうした価値の錯乱の上に成立するのが《B層文化》だ。前回も述べたように《B層》とは平成17年の郵政選挙の際、内閣府から依頼された広告会社が作った概念で「マスメディアに踊らされやすい知的弱者」、ひいては「近代的諸価値を妄信する層」を指す。この《B層》が現在消費者の主流になっている。そこでは大企業のエリート社員が、マーケティングを駆使し、大量の資本を投入することにより、《B層》の琴線に触れるコンテンツを量産している。

     たとえばポップスなら、音楽そのものよりも、歌い手の容姿や生い立ち、持病、スカートの丈の短さなどが重視される。ニーチェは言う。「畜群人間は、例外人間や超人がいだくのとは異なった事物のところで美の価値感情をいだくであろう」(『権力への意志』)

     畜群はまさに《B層》である。真っ当な価値判断ができない人々だ。彼ら《B層》は、圧倒的な自信の下、自分たちの浅薄な価値観を社会に押し付けようとする。そして、無知であることに恥じらいをもたず、素人であることに誇りをもつ。ありとあらゆるプロの領域、職人の領域が侵食され、しまいには素人が社会を導こうと決心する。これこそがニーチェが警鐘を鳴らした近代大衆社会の最終的な姿だ。

     与党政府も素人に陥落されつつある。前防衛相の一川保夫は「(自分は)安全保障の素人」と誇らしげに語り、続いて防衛相になった田中直紀は素人以前の「ド素人」だった。閣僚から地方首長にいたるまで政治家の劣化が急速に進んだ背景には、《偽装した神=近代イデオロギー》による価値の錯乱という問題が潜んでいる。

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