どのくらいそうして歩いたのか、気が付くと見覚えのある山道に出てきた。
すると、いきなりキツネの女がこちらを向いて、
―――お帰りっ。
と、和尚に一喝した。和尚は、普段に似合わない、妙に卑屈は笑いを浮かべたかと思うと、あっという間に煙のように消えてしまい、近くの藪で大きな音がした。それこそキツネにつままれたような顔をしていると、
―――あれはタヌキです。
と、キツネの女がすまして云った。私は気圧されておずおずと、
―――お山の帰り、といっていたが。
―――一乗寺の狸谷不動山のことです。寄り合いがあったのでしょう。
―――私を化かそうとしたのか。
―――少しからかうぐらいのつもりだったのでしょうが、ここまできて、もっと上手のものにバカされそうになったのです。
―――それは・・・・・・
―――竹の花。六十年に一回咲くという、竹の花が、今、山寺の周りで満開なのです。お気をつけなさいませ。
家守綺譚
by 梨木香歩
庭・池・電燈付二階屋。汽車駅・銭湯近接。四季折々、草・花・鳥・獣・仔竜・小鬼・河童・人魚・竹精・桜鬼・聖母・亡友等々々出没数多…本書は、百年まえ、天地自然の「気」たちと、文明の進歩とやらに今ひとつ棹さしかねてる新米精神労働者の「私」=綿貫征四郎と、庭つき池つき電燈つき二階屋との、のびやかな交歓の記録である。