日本も江戸時代には、藍の技術が非常に進歩して、すばらしい藍色がだせるようになっていた。藍というのは、大きくいうと紺色のことだから、やっぱり男に合うのは紺なのであろうか。そういうことを再認識、再々認識する思いであった。紺に始まって紺に終わる--というのがファッション道のフナ釣りみたいなものらしいと、うなずけた。今後もうなずき続けるであろう。諸君、男のファッションの究極は、紺なんだ。いい紺を選びたまえ。
日本も江戸時代には、藍の技術が非常に進歩して、すばらしい藍色がだせるようになっていた。藍というのは、大きくいうと紺色のことだから、やっぱり男に合うのは紺なのであろうか。そういうことを再認識、再々認識する思いであった。紺に始まって紺に終わる--というのがファッション道のフナ釣りみたいなものらしいと、うなずけた。今後もうなずき続けるであろう。諸君、男のファッションの究極は、紺なんだ。いい紺を選びたまえ。
知的な痴的な教養講座
開高健
第三十六章 究極のスーツは紺色