Momo (Michael Ende)

Life holds one great but quite commonplace mystery. Though shared by each of us and known to all, seldom rates a second thought. That mystery, which most of us take for granted and never think twice about, is time.
Calendars and clocks exist to measure time, but that signifies little because we all know that an hour can seem as eternity or pass in a flash, according to how we spend it.
Time is life itself, and life resides in the human heart.

7 thoughts on “Momo (Michael Ende)

  1. shinichi Post author

    Momo

    by Michael Ende
    (1973)

    Momo, also known as The Grey Gentlemen or The Men in Grey, is a fantasy novel by Michael Ende, published in 1973. It is about the concept of time and how it is used by humans in modern societies. The full title in German (Momo oder Die seltsame Geschichte von den Zeit-Dieben und von dem Kind, das den Menschen die gestohlene Zeit zurückbrachte) translates to Momo, or the strange story of the time-thieves and the child who brought the stolen time back to the people. The book won the Deutscher Jugendliteraturpreis in 1974.

    **

    モモ

    by ミヒャエル・エンデ
    translated by 大島かおり
    岩波少年文庫
    (2005)

    モモとその友だち

    大きな都会の町はずれに、松林に隠れるように忘れ去られた円形劇場の廃墟がある。この廃墟の舞台下の小部屋に、モモという女の子が住み着く。彼女はつぎはぎだらけのスカートと男物のだぶだぶの上着を着ている。近くの人たちがたずねると、モモは施設から逃げ出してきて、ここが自分の家だと話す。みんなは部屋に手を加え、モモが暮らしていけるようにする。子どもたちは食べ物のおすそ分けをもってきてくれる。その晩はモモの引っ越し祝いパーティのようになる。こうして小さなモモと近所の人たちの友情が始まる。
    モモにはみんなの話を本当に聞いてあげることのできる才能がある。モモに話を聞いてもらうと、勇気が出たり、希望や自己肯定感が生まれたりする。左官屋のニコラと居酒屋のニノの大げんかも、モモの前で言い合っているうちに仲直りする。モモがいることにより、子どもたちの頭の中にすてきな遊びが浮かんでくるようになり、今までになく楽しく遊べるようになる。航海ごっこはオバケクラゲと闘い、さまよえる台風の目に突入し、モモザン民族の古い歌により鎮めるという大冒険となる。航海ごっこをしているときに夕立となったが、小さな子どもたちも雷や稲妻も忘れて遊んでいる。
    道路掃除夫のベッポと観光ガイドのジジはモモの特別の友だちである。ベッポはじっくり考える人で、答えるまで長い時間がかかるため、自分の考えをモモだけに伝えることができる。ベッポは長い道路を受け持つときは、次の一歩、次の一掃きのことだけを考えると、楽しくなってきて、気が付くとぜんぶが終わっていると話す。一方、ジジは口達者であり、いつか有名になり、お金持ちになる夢がある。ジジは観光客に口から出まかせの物語を話して、帽子にお金を入れてもらう。彼の物語は、モモと知り合いになってから、とても素晴らしいものになる。

    灰色の男たち

    灰色の男たちはある計画を企てる。彼らは都会の人たちに「時間貯蓄銀行」の口座を開き、人間関係にとられる時間や一人のお客にかける時間を節約し、貯蓄に回すと高額の利子が付くと勧める。だまされた人々は、灰色の男たちのことを忘れ、自分の時間がどんどん短くなっていくことに疑問をもたなくなる。人々は「時間節約」に励み、その標語が町中にあふれる。「時間貯蓄家」はお金を稼ぐが、ふきげんで、くたびれて、怒りっぽくなり、町の北側には無機質で、同じ形の高層住宅が立ち並ぶようになる。
    モモは古い友だちがだんだん来なくなったような気がするとジジとベッポに話す。ベッポは町がすっかり変わってしまい、円形劇場に来る子どもたちが増えているのは、かくれ場所が欲しいだけなんだと話す。子どもたちも高価なおもちゃを持ってくることが多く、そのようなおもちゃでは、空想を働かせる余地がない。子どもたちは、だれもが親から見放されたと感じているようだ。一人の男の子は、両親から時間を節約しない人たちのところへは遊びに行ってはいけないと言われたと話し、他の子も同じようだ。
    モモは左官屋のニコラを訪ねる。夜遅くに戻って来たニコラは、時代はどんどん変わり、まるで悪魔のようなスピードで良心に反する仕事をしていると話す。居酒屋のニノはおかみさんに、昔からの大事なお客を追い出そうとしていると責められている。おかみさんは、思いやりのないやり方でしかやれないなら、そのうち出て行くと口にする。ニノはモモにおれだっていやだったんだ、いったいどうしたらいいんだと問いかける。翌々日、ニノとおかみさんがモモを訪ねる。ニノは年寄りのところを回り、あやまって来たと話す。モモは他の古い友だちを訪ね、みんなモモのところに行くと約束してくれる。
    こうしてモモは知らずに灰色の男たちの邪魔をするようになる。円形劇場に灰色の男が現れ、大きな話す人形やたくさんの服やすてきな品物を取り出しモモに与えようとする。灰色の男は人生の成功や時間貯蓄銀行について話すが、モモは相手の心が理解できない。男はモモの説得に失敗し、自分の話したことは忘れてくれと言い残す。モモはジジとベッポに灰色の男のことを話す。ジジの提案で、子どもたちはデモ行進して、灰色の男たちの正体をあばき、町中の人たちに円形劇場で説明集会をすると呼びかける。しかし、町の人はデモ行進に気付かず、一人も円形劇場に来ない。
    ベッポはゴミの山の近くで灰色の男たちの裁判を目撃する。有罪となった被告の葉巻が奪い取られると、男は消えてなくなる。同じ頃、モモはカメと出会い、甲羅に浮かび上がる文字に導かれ、町に向かう。円形劇場は灰色の車に取り囲まれ、本部からすべての職員にモモを見つけ出すよう指示が出る。モモたちは時間の境界線の白い地区に入る。追っ手は全速力で追いかけるが、急に前に進まなくなる。モモたちはゆっくり歩いているのに、とても早く動いている。曲がり角の先は「さかさま小路」となる。モモはカメに教えられて後ろ向きに歩き、「どこにもない家」に到着する。カメはマイスター・ホラの部屋に案内する。
    時間貯蓄銀行では幹部が招集される。テーブルに着いた灰色の男たちは、一様に鉛色の書類カバンをもち、灰色の葉巻を吸っている。彼らはモモの対応を議論し、モモの友だちのベッポとジジをモモから引き離し、友だちを取り戻すことを条件にあの道のことを聞き出す悪だくみを進める。
    大広間には何千種類もの時計があり、それぞれ時を刻んでいる。銀髪の老人が現れ、マイスター・ホラと名乗り、カメをカシオペイアと呼ぶ。モモはホラの用意したおいしい朝食をいただき、すっかり元気を取り戻す。ホラは、灰色の男たちは人間の時間を盗んで生きていること、自分は一人一人に時間を配分していること、人間は自分の時間をどうするか自分で決めなければならないことを話す。ホラは時間の生まれるところに案内する。黒い水の上でゆっくりと振り子が動いており、振り子が池の縁に近づくと、水面から光り輝く美しい「時間の花」が浮かんでくる。振り子が池の中央に戻ると花は散り、水中に消えていく。

    時間の花

    目が覚めるとモモは円形劇場に戻り、足元にはカシオペイアがいる。すでに、こちらでは1年の時間が経過している。その間に、灰色の男たちはジジを物語の語り手として、有名人に仕立て上げ、忙しい大金持ちにしてしまう。ベッポは頭がおかしいとされ精神病院に隔離される。灰色の男たちはモモを返す条件として、総額10万時間を貯蓄することを約束させる。ベッポは時間を節約するため、ただひたすら働くようになる。モモの友だちの子どもたちは、それぞれの地区ごとに作られた「子どもの家」に入れられ、次第に小さな時間貯蓄家になっていく。こうして、モモの友だちは誰もモモのところに来なくなる。
    モモはカメと一緒にニノの酒場に行く。しかし、そこは「ファストフード・レストラン ニノ」となっている。店の中は不機嫌な人でいっぱいである。モモがニノに話しかけると、行列の人々が早くしろと叫び出す。モモはなんとかジジとベッポと「子どもの家」ついて聞き出す。モモは高級住宅街にあるジジの家を訪ねる。ジジの心は病んでおり、それには灰色の男たちが関与していることがよく分かるが、どうしてよいかが分からない。数か月たってもモモは一人ぼっちのままであり、深い孤独を感じる。そんなとき、灰色の男が現れる。
    モモは灰色の男を避け、あてもなく町の中を歩き、疲れて三輪トラックの荷台で寝込んでしまう。夢の中でベッポやジジが苦しんでおり、子どもたちも泣いている。モモは危険にさらされている友だちを助けようと勇気が湧いてくる。モモが「あたしはここよ!」と叫ぶと、たくさんの灰色の車が集まって来る。男たちは友だちを救うため、マイスター・ホラのところに案内させようとする。モモがホラに会ってどうするのとたずねると、人間の時間をそっくりまとめて渡してもらうのだと口にする。モモは知っているのはカシオペイアだけだと言うと、灰色の男たちはカメ探しに奔走する。
    モモが何時間もその場に立ち尽くしていると、カシオペイアが現れ、ホラのところに案内する。しかし、彼らの会話は灰色の男たちに聞かれ、灰色の男たちの集団が音もなく後を付ける。白い地区に入ると、カメの歩みは一層遅くなる。今回は灰色の男たちもカメの後をゆっくり付けている。「さかさま小路」に入り、モモが後ろ向きになると、見渡す限り灰色の男たちが集まっている。しかし、追っ手は時間が逆流する「さかさま小路」に入ると消滅してしまう。灰色の男たちは白い地区を隙間なく取り囲み、葉巻を吸い続ける。
    ホラは、彼らは「時間の花」を冷凍して貯蔵庫に保管し、葉巻に加工して吸うことにより存在できることを説明する。ホラは人間の時間を取り戻すため、モモに危険な仕事を依頼し、モモに1時間分の「時間の花」を渡す。モモは大扉を開ける。時間がゆれ、部屋の中の無数の時計が停止する。時間が停止したため灰色の男たちは「どこにもない家」になだれ込んでくる。彼らは時計が止まっていることに気付き、あわてて時間補給庫に駆け付けようとする。モモたちが外に出ると、あらゆるものが止まっている。灰色の男たちは葉巻を奪い合いながら消えていく。
    モモたちは町の北の外れに建設現場を見つける。モモたちは左官屋のニコラが指さす土管の中に中を滑り落ち、薄明るい地下道に出る。会議用テーブルのある広間では、貯蔵された時間の節約のため、議長がコイントスで半数づつ灰色の男たちを消していき、最後には6人が残る。モモが「時間の花」で貯蔵庫の扉に触れると、扉は閉まり施錠される。モモとカシオペイアは灰色の男たちから逃げ回り、全員が消滅する。
    モモが貯蔵庫の扉を「時間の花」で触れると、扉は開く。凍り付いた無数の「時間の花」が棚に並んでおり、暖かくなるとモモの周りで渦巻いて飛び去って行く。カシオペイアの指示でモモはこの春の嵐とともに地上に出る。「時間の花」はそれぞれ人間の心の中に戻り、時間は再び動き出す。人間はだれしも自分の時間がたっぷりあると感じるようになる。モモはベッポに再会し、泣き笑いの状態である。子どもたちは道路の真ん中で遊び、人々は足を止めて親し気に言葉を交わす。円形劇場にモモとすべての友だちが集まり、お祝いとなる。

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  2. shinichi Post author

    People never seemed to notice that, by saving time, they were losing something else. No one cared to admit that life was becoming ever poorer, bleaker and more monotonous. The ones who felt this most keenly were the children, because no one had time for them any more. But time is life itself, and life resides in the human heart. And the more people saved, the less they had.

    **

    All that matters in life,” the grey man went on, “is to climb the ladder of success, amount to something, own things. When a person climbs higher than the rest, amounts to more, owns more things, everything else comes automatically: friendship, love, respect, et cetera…”

    “Isn’t there anyone who loves you?” Momo whispered.

    **

    All the world’s misfortunes stemmed from the countless untruths, both deliberate and unintentional, which people told because of haste or carelessness.

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    ‘You see, Momo,’ he [Beppo Roadsweeper] told her one day, ‘it’s like this. Sometimes, when you’ve a very long street ahead of you, you think how terribly long it is and feel sure you’ll never get it swept.’
    He gazed silently into space before continuing. ‘And then you start to hurry,’ he went on. ‘You work faster and faster, and every time you look up there seems to be just as much left to sweep as before, and you try even harder, and you panic, and in the end you’re out of breath and have to stop – and still the street stretches away in front of you. That’s not the way to do it.’
    He pondered a while. Then he said, ‘You must never think of the whole street at once, understand? You must only concentrate on the next step, the next breath, the next stroke of the broom, and the next, and the next. Nothing else.’
    Again he paused for thought before adding, ‘That way you enjoy your work, which is important, because then you make a good job of it. And that’s how it ought to be.’
    There was another long silence. At last he went on, ‘And all at once, before you know it, you find you’ve swept the whole street clean, bit by bit. What’s more, you aren’t out of breath.’ He nodded to himself. ‘That’s important, too,’ he concluded.

    **

    Lots of things take time, and time was Momo’s only form of wealth.

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  3. shinichi Post author

    Lots of things take time, and time was Momo’s only form of wealth.

    時間どろぼうと,ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子モモのふしぎな物語.人間本来の生き方を忘れてしまっている現代の人々に〈時間〉の真の意味を問う

    町はずれの円形劇場あとにまよいこんだ不思議な少女モモ。町の人たちはモモに話を聞いてもらうと、幸福な気もちになるのでした。そこへ、「時間どろぼう」の男たちの魔の手が忍び寄ります…。

    灰色の男たちがすることは、時間を盗むこと。

    灰色の男たちが時間を盗むと、人々は心の余裕をなくす。

    時間とはと考える。モモのような使い方をすれば人は豊かになるのだと合点がいく。

    いつのまにか、灰色の男たちが世界を覆いつくしている。

    もう、モモは、どこにもいない。

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  4. shinichi Post author

    2024年3月1日(金)

    時間について

    今週の書物/
    『モモ』
    ミヒャエル・エンデ著、大島かおり訳、岩波少年文庫、2005年刊

    (Momo by Michael Ende, published in 1973)

    時間のことは、「本家」であるところの尾関章さんの『めぐりあう書物たち』で、何度も取り上げれれてきている。哲学者のジョン・エリス・マクタガートが書いた『時間の非実在性』に対する書評や、物理学者のカルロ・ロヴェッリが書いた『時間は存在しない』に対する書評は、時間そのものに焦点をあてていて、考えさせられることが多い。

    ただ、時間について考えるとき、哲学的視点や物理学的視点だけでなく、文学的視点とか倫理的視点、さらにはマネージメントからの視点やスポーツでの視点など、ありとあらゆる視点からの考えが交錯する。そのくらい、時間は私たちのなかに入り込んでいる。

    時間は、ある時は私たちに味方し、ある時は敵になる。自分の時間は容易に他人の時間になり、会社や組織の時間になり、国家の時間になる。労働や徴兵で自分の時間をなくした人に、自由はない。

    エピクテトスは「誰かに認められたいと思った時には、自分に妥協しているということに気づけ。誰かに見てほしいと思ったら、自分に見てもらえ」と言ったが、誰かに認められたいとか見てほしいという感情が、人から自由を奪い、時間を奪う。

    「臆病な卑劣さ」を「謙虚」といい、「仕返ししない無力さ」を「善い」といい、「弱者のことなかれ主義」を「忍耐」といって、弱者であることを美化し、非利己的なほうがいいとするのが奴隷道徳だ。「本来人間は利己的な生き物なのだから、道徳に振り回されて自分を否定する必要はない」と考えることができれば時間は自分のものになるが、そうでなければ人は時間を失ってしまう。

    現代社会のなかで奴隷道徳を身につけてしまえば、自分の時間は自分から離れていってしまう。時間管理などといってスケジュール表をいっぱいにすれば、そこにはもう、自分の時間はない。

    で今週は、時間を盗まれ、時間を取り返すといったおどぎ話を読む。『モモ』(ミヒャエル・エンデ著、大島かおり訳、岩波少年文庫、2005年刊)だ。時間の概念と、現代社会における人間による時間の使い方が描かれているのだが、その描き方は独特だ。

    ノヴァーリスは「詩的なものはすべておとぎ話のようでなければならない」と書いたが、その逆の「おとぎ話はすべて詩的でなければならない」と言えるのかどうか。少なくとも『モモ』は、詩的ではある。そしてたくさんの偶然に彩られている。

    話は明るく始まる。円形劇場の廃墟に、謎めいた少女モモが住んでいる。他人の話を聞く能力を持っていて、すぐに問題を解決したり、仲直りさせたり、楽しいゲームを考えたりできる。ところがこの楽しい雰囲気は、灰色の男たちの出現で、だんだんと暗くなり、重苦しくなってゆく。灰色の男たちは時間貯蓄銀行を代表しており、みんなのなかに時間の節約という考えを広めてゆく。灰色の男たちの影響が広がってゆくと、生活は不毛になり、時間の無駄だと考えられるものがすべてなくなってゆく。節約した時間は失われる。灰色の男たちによって、乾燥した花びらから作られた葉巻として消費されるのだ。葉巻がなければ、灰色の男たちは存在できない。ドキドキハラハラのあと、モモはみんなの時間を解放し、話はめでたしめでたしで終わる。

    一冊がこれだけの文章にまとめられるほど、筋書きは複雑でない。その代わりと言ってはなんだが、たくさんの説明が詰め込まれている。作者の哲学や美意識も詰め込まれている。

    この物語のなかに出てくる灰色の男たちは、いったい何を表しているのだろう。そしてモモは、いったい誰なのだろう。おとぎ話を童話と考えれば、モモは子どもで、灰色の男たちは大人だといえるのかもしれない。モモは若い頃の作者で、灰色の男たちは作者の夢を邪魔する大人たちだという解釈も成り立つだろう。

    でも私は、あくまで時間の話として捉えたい。いつの間にか私たちは、この話に出てくる人たちのように時間をなくしてしまった。それが近代社会だと受け入れながら、何も不思議に思わずに、タイムマネジメントだとか何とか言いながら、自分たちの時間を差し出してきた。物語のなかにはモモがいて時間を取り戻してくれたけれど、私たちのまわりにはモモはいない。差し出した時間は戻ってこない。

    大人も子どもも読めるからといって、この話をリチャード・バックの『かもめのジョナサン』やサン=テグジュペリの『星の王子さま』のようなものだと思わないほうがいい。読んでいて、ふとそう思った。何かが違うのだ。

    話のあちらこちらに「すべての人には論理的に考える能力がある」と書いたスピノザを感じる。スピノザは私たちが時に感情に負けてしまうことをよく知っていた。彼の最大の恐怖は、人々を操ることができる指導者のせいで、普通の善意あふれる人たちが自由を差し出してしまうのではないかということだった。『モモ』のなかで、灰色の男たちに時間を差し出してしまう人たちは、まさにスピノザが恐れていた状況に浸かってしまったのだ。

    話のなかにはまた「道徳の諸価値そのものがまず問われなければならない」というニーチェがいる。善意の人々が持っている奴隷道徳が、灰色の男たちがつけ入ってくるのを容易にする。みんなが時間を失い不自由になってゆくのは、まさにニーチェが考えた通りの展開だ。

    モモのように合理的に行動し考えることで得る自由は、間違いなくスピノザの最大の遺産であり、ニーチェが思い描いたことでもある。現実には無理でも、おとぎ話のなかでは、モモの持つ自由が、不条理からの、そして不合理なことからの、解放の手段になる。

    人が管理されてしまった状況を変えるのは、実際には容易ではない。でもそれを夢見る自由は誰にでもある。『モモ』が嫌いだという人が少なからずいるなか、それでも世界中で読まれてきたのは、教訓ぽくないから、そして結論らしいことが書かれていないからではないだろうか。どうにでも読むことのできるおとぎ話だからこそ、世界中で読まれてきたのだろう。

    自分の時間をどう使うのか。それが私たち一人ひとりに問われている。

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