ジェイ・ルービン

よい文学とは、僕に言わせれば、日常生活に響くものです。ごく当たり前の日常生活―――買い物をしていても、車を運転していても、料理をしていても――何をしていても、ふと微妙な関係で瞬間的に頭をよぎるものです。すべての生活に関わりを持っている。
村上さんの作品は、僕のいう「よい文学」の条件をパーフェクトに満たしています。とはいっても、僕が村上さんから具体的に何か教訓のようなものを得たか、それはよくわかりません。
ただ、はっきり言えるのは、もし僕が村上春樹という作家を知らずにいたら、まったく違う人生を送っていただろうし、このインタビューを受けることもなかっただろうということです。
もっと言えば、村上さんを知らずにいたら、今とは異なる頭脳構造を持っていただろうとさえ言ってよいと思います。もちろん仕事もまったく違うものになっていたでしょう。
村上さんを翻訳したおかげで、新しい経験を持つことができました。

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One Response to ジェイ・ルービン

  1. shinichi says:

    なぜ村上春樹は世界中の人々に「ささる」のか
    村上作品の英訳者・ルービン氏、大いに語る

    ジェイ・ルービン : ハーバード大学名誉教授

    米ハーバード大学のジェイ・ルービン名誉教授は、作家・村上春樹氏の翻訳者としても知られる。実は、村上氏が世界で幅広い読者を獲得しているのは、ルービン教授なくしては語れない。翻訳者・研究者、そして友人として、なぜ村上作品が世界で愛されているのかを語る。(聞き手:井坂康志)

    東洋経済 ONLINE

    https://toyokeizai.net/articles/-/85403

    当初は村上作品に何の期待もしていなかった

    ――村上さんとの出会いは?

    作品を知ってから四半世紀の付き合いになります。最初に出会ったのは1989年、『羊をめぐる冒険』がアルフレッド・バーンバウムの翻訳で、アメリカで話題になる少し前のことでした。

    僕は村上さんの世界に入る前は、夏目漱石、芥川龍之介、国木田独歩など明治期の文学者を研究してきたのですが、特に漱石に見られるように心理の深いところにもぐりこみ、機微に触れる作家が好きでした。

    1989年、『羊をめぐる冒険』の英訳が刊行される数か月前のこと、アメリカのヴィンテージという出版社から、村上さんのある長編作品が翻訳に値するか見てほしいとの依頼がありました。「世間でどんな駄作が読まれているかを知るのも、まあおもしろいだろう」と考え引き受けたのです。率直に言いますと、最初は何の期待もありませんでした。

    しかし、読んでみて、度肝を抜かれました。ある長編作品とは『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』でした。僕は日本人による作品で、これほど大胆かつ奔放な想像に恵まれた「小説の世界」は見たことがありませんでした。結末近く、一角獣の頭骨から大気へ放たれる夢の色彩が目の前にありありと浮かんだのを、今も思い出します。

    僕としては、この作品は是非自分の手で翻訳を行いたいと思い、出版社にその旨を希望したのですが、残念ながら願いはかなえられませんでした。しかし、この経験以来僕は村上さんの世界から二度と出られなくなりました。作品はすべて手に入れて読みましたし、大学の授業でも取り上げました。

    言葉が「読み手の心に直接飛び込んでくる」
    ――村上作品は、何が読者の心を刺激するのでしょうか。

    僕もずっと考えてきたことなのですが、実は今も一つの謎です。いろいろな国の人と話しましたし、さまざまな説明が可能だと思いますが、正確な答えはわかりません。少なくとも言えるのは、彼の鮮やかでシンプルなイメージが直接的に読者に訴える。気取ったわざとらしいようなものがなく、読者の心にストレートに届くのです。

    たとえば、『パン屋再襲撃』という短編がありますね。海底火山の比喩があります。主人公が突如襲われた「特殊な飢餓」を説明するために次のような記述があるのです。

    ①僕は小さなボートに乗って静かな洋上に浮かんでいる。②下を見下ろすと、水の中に海底火山の頂上が見える。③海面とその頂上のあいだにはそれほどの距離はないように見えるが、しかし正確なところはわからない。④何故なら水が透明すぎて距離感がつかめないからだ」(『パン屋再襲撃』集英社文庫、15ページより)

    なぜ海底火山をわざわざ入れたのでしょうか。解釈はいろいろあるでしょう。何かの象徴なのでしょうか。

    実は、かつて僕はある授業で、村上さん本人がゲストのディスカッションのリード役をしたことがあります。僕は学生に、小説の中の海底火山は何の象徴と思うかと質問したのですが、村上さんは誰かが答えるより前にいきなり口を挟み、「火山は象徴ではない。火山はただの火山だ」と言ったのを覚えています。

    村上さんの言葉は、彼らしい率直なものでした。「あなたはお腹がすくと火山が思い浮かびませんか? 僕は浮かぶんです」と。単純明快な主張です。

    しかし、村上さんからすれば、そんなふうに定義すると、本来の言葉のパワーが失われてしまう。火山はただの火山としてその他の説明をいっさいしないのです。結果として読者一人ひとりの心中で純度の高いイメージが出来上がるのです。国、宗教、政治的立場にかかわりなく、同じイメージとして読者の心に飛び込むのです。

    ――海外の読者も、日本人と同じように感じているのでしょうか。

    僕はたくさんの読者からメールや手紙を頂戴しています。もちろん大半は僕の英訳を読んだ読者で、日本人でない人たちです。必ず書かれているのが、やはり「私のためにだけ書いてくれた」という一文です。実は僕自身も同じように感じてきました。「なぜ村上さんの作品は、僕たちの心の深いところにあるものをそんなにはっきりと描くことができるのだろう。わかってくれるのだろうか」と。 

    やはり理由は分かりませんね。イメージのシンプルさ、鮮やかさ、そして意外性もある。先ほどの「海底火山」がそうですが、村上さんに直接的に聞いても、本人さえ海底火山がどこから出たのかはわかっていないのですから、他の人がわかるはずがない。

    よい文学とは、日常生活に響くもの

    ――ルービンさんが村上作品から学んだ最大のものは何でしょうか。

    その問いは、僕にとっては「よい文学とは何か」という問いに置き換えられると思います。よい文学とは、僕に言わせれば、日常生活に響くものです。ごく当たり前の日常生活―――買い物をしていても、車を運転していても、料理をしていても――何をしていても、ふと微妙な関係で瞬間的に頭をよぎるものです。すべての生活に関わりを持っている。

    村上さんの作品は、僕のいう「よい文学」の条件をパーフェクトに満たしています。とはいっても、僕が村上さんから具体的に何か教訓のようなものを得たか、それはよくわかりません。

    ただ、はっきり言えるのは、もし僕が村上春樹という作家を知らずにいたら、まったく違う人生を送っていただろうし、このインタビューを受けることもなかっただろうということです。

    海底火山が象徴するのは――僕の解釈では――未解決のまま残されてきた過去の問題だと思います。無意識にとどまりながらも、いつ爆発して現在の静かな世界を破壊するかもしれない「何か」です。

    もっと言えば、村上さんを知らずにいたら、今とは異なる頭脳構造を持っていただろうとさえ言ってよいと思います。もちろん仕事もまったく違うものになっていたでしょう。

    村上さんを翻訳したおかげで、新しい経験を持つことができました。

    ノーベル賞受賞なら村上氏と読者の頭脳が直接つながる

    ――村上さんがノーベル賞を取ったら贈りたい言葉はありますか。

    実は、10年以上前に朝日新聞のためにエッセイを書いたことがあります。結局、そのままどこかで埃をかぶっているのでしょう。僕としてはなるべく早く村上さんにノーベル賞をとってほしい。シーズンになると毎年日本の新聞から、「もし村上さんが受賞したら?」というコメントの依頼も来ますしね。

    もし実際にとられたら、僕は心からほっとするでしょう。というのも、毎年恒例のように、世界中が大騒ぎになることは村上さんにとって気の毒ですからね。ご本人はクールな態度をとりつづけていますが――。

    それに現実の問題として、日本の作家として可能性がある作家は村上さんのほかにはたぶんいないでしょう。世界中の人に読まれていて、世界中の人々の心の中のことを書ける希有な作家ですから。受賞すべきだろうと思います。もちろん受賞したら、「おめでとうございます」と言いたいですね。

    ――村上さんを通して世界の相互理解が進む面もあります。

    もちろんファンの人々が互いに理解し合う喜びもあります。僕には直接的に村上さんの頭脳と読者の頭脳がつながる「文学的なインパクト」の方を重視したい。

    つながるのは読者対読者というよりも、村上さんと読者です。横につながっているというよりも、縦につながっているように見えます。

    実は、漱石なども同じだと思います。漱石の言葉に、「還元的感化」という言い方があります。彼の「文芸の哲学的基礎」という講演をもとにまとめられた論文に出てくるもので、僕は最初に読んだとき、強い印象を受けました。

    還元的感化とは、作家と読者の間に「純粋かつ個人的な関係」が構築されるたぐいの感化を言います。作品そのものが、読者の心にストレートに飛び込んでいく。

    村上作品には、人々に内省をさせる力がある
    ――今回ご自身も小説『日々の光』(新潮社)を刊行されました。第二次大戦中のアメリカの強制収容所を描いています。

    村上さんも『波』(新潮社)にありがたい言葉を寄せてくださいました。うれしいことです。

    『日々の光』のモチーフは戦争なのですが、本来アメリカの読者のために書いたものながら、日本の読者にも受け入れてもらえると期待しています。大昔から反戦文学や映画作品がつくられてきましたが、戦争はなかなか終わらない。いくら反戦のことを書いても意味がないと否定的に考えることもできますが、もっと積極的な態度を保ちながら書いていきたいし、読んでほしい。

    実はこの作品は今から30年前の1985年に書き始め、2年ほどかけて仕上げました。当時いくつかの出版エージェントに声をかけたのですが、採用されませんでした。強制収容所についての作品ですし、「第2次大戦後70年」ということもあって、今回採用されたのだろうと思います。

    70年とは一つの人生に匹敵する時間です。この機に出せなければ永遠に出せないのだろうと思ったわけですね。

    村上さんも戦争に敏感な作家ですが、彼の作品は読者に考えさせてくれます。内省させてくれます。戦争を始める政治家には、その内省が必要だと思う。文学の持つ力は想像する以上に大きいのですから。

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