浦部法穂

英語のrightという言葉には、「権利」のほか、「正しい」、「右」などの意味がある。もともとの意味は「正しい」。だから、日本語では「権利」と表現されるものも、英語では「正しい」という意味を含んでいるのである。
これに対し、日本語の「権利」には「正しい」という意味はまったく含まれていない。むしろ、「権」という語は、権力、権威、権勢、権限など、「力」という意味合いを含む語である。そのため、「権利」という言葉は、自分の利益を力ずくで押し通す、といったニュアンスをもって受け止められることとなる。つまり、rightに「権利」という訳語をあてたことによって、rightに含まれる「正しさ」という意味合いが失われ、逆にrightにはそもそも含まれていない「力」という意味合いが与えられることとなってしまったのである。いわゆる「人権」も、もともとの意味は”Human Right”つまり「人間として正しいこと」ということであるはずのものが、「人権」という言葉で表されることによって「正しさ」の意味合いが抜け落ち「力」の意味合いをもたされることになり、そのために、人々は、「人権」という言葉に身構えてしまうのではないかと思われるのである。

2 thoughts on “浦部法穂

  1. shinichi Post author

    「『人権』という理念と日本社会」 

    浦部法穂

    月刊司法書士

    2010年5月

    英語の right という言葉には、「権利」のほか、「正しい(正しさ)」、「右」などの意味がある。しかし、これは、right という言葉にこうした異なった意味があるということではない。日本語に翻訳したときに、日本語では異なった意味になるということであって、英語の right の意味としては (略) 「権利」も「正しさ」も「右」も、英語では同じ意味のものとされている (略) そして、right のもともとの意味は「正しい」ということである。だから、日本語では「権利」と表現されるものも、英語では(あるいは他の西欧語でも)「正しい」という意味を含んでいるのである。「権利」というものは「正しい」からこそ「権利」なのだ、という意味合いが、「権利」を表す right という言葉には含まれているわけである。要するに、「正しいこと」=「権利」という観念があるからこそ、「権利」が right という言葉で表されている (後略)

    これに対し、日本語の「権利」には「正しい」という意味はまったく含まれていない。むしろ、「権」という語は、権力、権威、権勢、権限など、「力」という意味合いを含む語である。そのため、「権利」という言葉は、自分の利益を力ずくで押し通す、といったニュアンスをもって受け止められることとなる。つまり、right に「権利」という訳語をあてたことによって、right に含まれる「正しさ」という意味合いが失われ、逆に right にはそもそも含まれていない「力」という意味合いが与えられることとなってしまったのである。いわゆる「人権」も、もともとの意味は ”Human Right” つまり「人間として正しいこと」ということであるはずのものが、「人権」という言葉で表されることによって「正しさ」の意味合いが抜け落ち「力」の意味合いをもたされることになり、そのために、人々は、「人権」という言葉に身構えてしまうのではないかと思われるのである。

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