飛田良文

明治時代の翻訳は、mountain ― 山、river ― 川 のように、西洋語の意味と日本語の意味とが 1対1に対応するものと、対応しないものとがあった。対応しないものというのは、その西洋語の概念が日本語に存在しないということである。そこで日本人は新語を誕生させることになった。その新語の造語法には3通りの方法があった。

  1. 新造語 ― 日本語に西洋語の概念が存在しないので、日本人が新しく造語したもの。
       individual ― 個人、honey-moon ― 新婚旅行、philosophy ― 哲学、
       science ― 科学、she ― 彼女、time ― 時間
  2. 借用語 ― 日本語に西洋語の概念が存在しないので、中国で活躍した欧米人宣教師が中国語訳した訳語を、漢訳洋書や英華辞典から借用したもの。
       adventure ― 冒険、love ― 恋愛、telegram ― 電報
  3. 転用語 ― 日本語に西洋語の概念が存在しないので、日本語に存在する類義語に新しい意味を付加して転用したもの。
       century ― 世紀、common sence ― 常識、home ― 家庭、
       hygiene ― 衛生、impression ― 印象、right ― 権利

清国政府は多数の留学生を日本に送った。最初は1896(明治29・光緒22)年の13名で、多い時は8000名に及び、1937年まで42年間続いた。そして中国人留学生は日本書を中国語訳し、日本で定着した西洋語の訳語をそのまま使い、中国に持ち帰った。

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