神林広恵

yawarasyujyo世間を騒がせている柔道日本女子代表の園田隆二監督のパワハラの一件が明るみに出た直後、ヤワラはテレビなどメディアに出まくった。そして「園田監督は素晴らしい人間性の方。自分の現役時代、歴代の監督をみても暴力は一切なかった」と言い放ったのだ。多くの女子柔道関係者が「暴力はあった」と証言する中、ヤワラ発言だけは異質で、違和感を持った人も多かったのではないか。そんな中「週刊女性」は女子柔道界のパワハラ、暴力騒動のウラにヤワラの存在があったのではという特集をトップに持ってきた。
記事によれば女子柔道界は、指導者に気に入られるかどうかという、実力以外の物差しがまかり通ってきた理不尽な世界であり、その最たる存在がヤワラ、その最たる例が2007年の北京五輪の代表選考だった。一発勝負の選考大会で福見友子がヤワラに勝ったにもかかわらず、全日本柔道連盟の横槍で、ヤワラが五輪代表となった。さらに翌年、ヤワラは別の選手にも負けたが、五輪代表の座は揺るがなかった。
そんなえこひいきをされ続けたヤワラが「暴力は一切見聞きしなかった」といって連盟や園田監督の擁護を繰り返す。自分をえこひいきしてくれた全日本柔道連盟への恩義なのか、彼らの権威におもねるのか、それとも何らかの利害関係なのか、単に権力に媚びる性格なのか――。いや、もしそうなら少しは救われる。だが、ヤワラがもし本気で「暴力など存在しない」と思っていたとしたらこれは致命的だ。特別扱いのヤワラだから暴力を受けず、直接は見なかったことが事実だとしよう。しかし実際見聞きしなくても、長年の柔道生活の中で、仲間や先輩後輩女子からの会話やうわさ、周囲への考察、雰囲気から何も感じなかったのか。自分のことしか見えていなかったのか。さらに今回の一件でも、後輩の女子選手たちが人生を賭して代表監督を告発したことへの想像力、同調性はヤワラには見受けられない。その鈍感力には唖然とさせられるほどだ。
ヤワラは現在でも柔道界に影響がある人物であり、いまやスポーツ振興を標榜している政治家でもある。女性として女子スポーツの向上にも勤しんでいると公言している人間でもある。しかも、今回の告発は連盟だけでなくJOCさえも隠蔽しようとした形跡があるにもかかわらず、これには無頓着であり、目を背ける。その当事者意識のなさ、弱者に対する意識の欠如は何なのだろう。
そんなヤワラの存在鈍感力は、女子スポーツにとってでさえある。多くの関係者が証言する柔道界の暴力体質を「見たことも聞いたこともない」と言っている姿は、自殺者が出たのに「いじめはない」と繰り返す学校校長たちの姿と見事に一致する。「私の引退後に、こうしたことが起きているということは、何が変わってしまったのか。管理体制など、国が先頭に立ってやっていかないといけない」。まるで他人事のように話すヤワラに、女性地位向上など語ってほしくない。ヤワラは2年ほど前、「週刊文春」(文藝春秋)の「女から嫌われる女」のトップに輝いたこともあった。今回の一件で、なぜ嫌われるのかをさらに納得させられた。

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