エドアルド・シェワルナゼ

事故の2日後、政治局の緊急会合が招集された。チェルノブイリ原発で何か異常が起きているという最初の情報があったが、そもそも情報は極めて少なかった。原発を担当する中型機械製作相が『何の問題も起きていない』と報告した。(実際には)ロシア、ウクライナ、ベラルーシで甚大な被害が広がっていた。
被害を知った時、私は国民に本当のことを言い、何が起きたのかを隠してはならないと悟った。しかし皆が事実を隠したがっていた。政治局員の多くも、そのうちすべて忘れられるだろう、と考えていた。外相として事故の大きさを発表するよう要求した私は少数派だった。
事故を(すぐに)公表しなかったのは犯罪的な決定だった。発生初日に、人々に何が起きたのかを知らせるべきだったのだ。何も起きていないという担当閣僚の言うことを信じ、政治局員までが事故を2日間も知らされずにいた結果、多くの住民の犠牲を生んだ。
事故はソ連崩壊の直接の原因ではなかったが、一つの要因ではあった。チェルノブイリの後、国民には真実を伝えなければならないことが明らかになった。ゴルバチョフ氏はこれを『グラスノスチ』(情報公開)の推進に使ったのだ。

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