鈴木智彦

俗にいう「フクシマ50」の定義はひどく曖昧だが、一般的には、「東京電力福島第一原発(以下1F)の1号機および3号機が立て続けに水素爆発をした後、1Fに残った職員・作業員」となる。最初に残った約70人に、事故直後に加わった人たちを含めそう呼ぶ。
東電は免震重要棟で指揮を執る吉田昌郎所長以外の「フクシマ50」を、プライバシー保護を理由に公開していない。東電社員の内訳、協力企業の人数や年齢、支給された危険手当の金額など、よく分かっていない部分が多い。
東電としてはフクシマ50を英雄のまま曖昧な存在にしておきたい。一方のフクシマ50にしても、守秘義務からか、おおかた口が堅い。私はそのうち4人を知っているが、フクシマ50だとカミングアウトすることをためらっている。
そのうちの若いひとりを、佐藤としておこう。彼は3号機が水素爆発した直後、1Fへの“召集令状”を受け取り、地獄絵図の中に降り立った協力会社幹部だ。
「社長は上会社から『死んでもいい人間を用意してくれ』といわれていたらしい。社長、もじもじしてて、なかなか『行け』といわなかったですね。だから志願しました。だってうちの社長、熱い人だから自分が行っちゃいそうだったんで。社長が死んだら社員が路頭に迷うけど、俺が死んでも代わりはいますから」
もちろん佐藤は自殺志願者ではない。これまで原発を生活の糧にしてきた贖罪だったわけでもない。
「居直るわけじゃないけど、誰も原子力や原発が社会的にどうのなんて考えず、普通の会社に就職する感覚でこの仕事に就いてるんじゃないですか? 原発が善か悪かなんて、深く考えたことなかったです。学校もろくに行ってないんで、難しいことは得意じゃないし(笑い)。
最初に1Fへ入ったときは、たしかにドキドキしましたね。不謹慎かもしれないけど、それはどっちかといえば楽しい気持ちで……。これまで威勢のいいこと、偉そうなこといってた人間がビビってたんで、『よし、じゃあ俺が行ってきてやる』みたいな。
(1Fに向かう)バスの中、みんな青白い顔して泣きそうなんです。話しかけられる雰囲気じゃなかった。でも俺、わくわくしちゃって、みんなを写メで撮ってました。20代とか、若いヤツらのほうが元気だったですね。年取った人ほどブルってた。なにかあっても死ぬだけなのに」

2 thoughts on “鈴木智彦

  1. shinichi Post author

    フクシマ50 下請け社長は「死んでもいい人を」と発注受けた

    NEWSポストセブン (週刊ポスト)

    原発でともに作業するフリーライター・鈴木智彦氏の、刮目レポート

    2011年8月

    Reply
  2. shinichi Post author

    【福島第1原発事故】 「フクシマ50」の素顔とその裏側 ~”美談”の裏に「社会的弱者」使い捨ての実態~

    by 神風カムイ
    暗黒夜考~崩壊しつつある日本を考える~
    アメリカの思いのままに愚民と化し、むしり取られ、だまされ続ける日本国民への警鐘を綴る

    http://blog.goo.ne.jp/tarutaru22/e/0df5fc1456e4d19087ef671501b31d27

    福島第1原発事故当初、自身の命も顧みず、果敢に事故対応にあたった人達を「フクシマ50」として称賛する声が多数聞かれた。
    自身の被曝を恐れることなく、事故対応にあたるその姿をして、日本メディアよりもむしろ海外メディアが称賛の言葉を並び立てたことは皆さんも記憶に新しいことかと思う。

    世界中のメディアが、こぞってこの「フクシマ50」を”美談”として報じたのであるが、個人的には「強い違和感」を感じたのが正直なところである。
    何故なら、「フクシマ50」と呼ばれる作業員達の中には、放射性物質による健康被害について、マトモな知識を持ち合わせていない「社会的弱者」が相当数含まれていると想像されるためである。

    「学校もろくに行ってないんで、難しいことは得意じゃないし(笑い)」
    「わくわくしちゃって、みんなを写メで撮ってました。」

    上記記事にて佐藤という仮称で呼ばれている青年の上記コメントを読めば、小生の意図しているところを理解して頂けるかと思う。
    勘違いをしないで頂きたいのであるが、小生は何もこの勇気ある行動をおこなっている人達を非難している訳ではない。
    その裏側にある”背景”を問題視しているのである。

    即ち、以前のエントリーにてコメントしてきた通り、”原発奴隷”とも呼ばれる原発従事者を、浮浪者や学歴弱者層など、「社会的弱者」から募り、これを長年切り盛りしてきたのが極道であり、これが今や極道の”利権”と化しているのである。
    そして、この”原発奴隷”の犠牲なくして維持し得ないというのが、名ばかりの”クリーンエネルギー”たる原発の抱える現実なのである。

    ※参考「極道マンガにみる『原発利権』の真相 ~”原発奴隷”の実態~」
    http://blog.goo.ne.jp/tarutaru22/e/3a7cf0d2de811ed226036447e5b390e6

    「フクシマ50」を安易に”美談”として論じ、これに賛辞を送ることは、結果として「社会的弱者」の原発作業への従事を助長するということである。
    「社内的弱者」を英雄気分にさせて、”原発奴隷”として原発利権に従事させることは、結果として、”原発利権村”の維持・反映に繋がるのである。

    逆説的に言えば、”原発奴隷”たる原発従事者なくして、原発は機能しないということである。

    「フクシマ50」の称賛・美談化は、福島原発事故対応のため、近い将来、人手不足が予想されることを予見した、政府・官僚・東電・マスゴミら”原発利権村”連中が、世界的な論調に”便乗”した確信犯的ものであろう。

    「美しいバラには刺がある」ように、「美談の裏側には”オゾマシイ犠牲”がある」ということであろう。

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