マーティン・ファクラー

官僚とジャーナリストは同じようなパターンで生み出されていることになる。大学で机を並べていた者たちが、官庁と新聞社という違いはあるにせよ、”同期入社組”としてそれぞれが同じように出世していく。
これは何を意味するのか。私が12年間、日本で取材活動をするなかで感じたことは、権力を監視する立場にあるはずの新聞記者たちが、むしろ権力側と似た感覚をもっているということだ。似たような価値観を共有していると言ってもいい。国民よりも官僚側に立ちながら、「この国をよい方向に導いている」という気持ちがどこかにあるのではないか。やや厳しい言い方をするならば、記者たちには「官尊民卑」の思想が心の奥深くに根を張っているように思えてならない。
読者(庶民)の側に立たず、当局(エスタブリッシュメント)の側に立って読者を見くびる。記者クラブという連合体を結成し、官僚組織の一部に組みこまれる形でプレスリリースやリーク情報を報じる姿勢がそれを裏付けている気がしてならない。
日本の新聞記者は、あまりにもエリート意識が強すぎるのではないだろうか。彼らは政治家に対しては割と批判的なのに、行政のバッシングだけはできるだけ避けようとする。いまでも官僚批判は雑誌メディアやネットメディアの独壇場だ。政治家の記事は書き放題なのに、官僚バッシングをやりたがらないのだ。それはやはり、官僚が貴重な情報源であると同時に、どこかで同志意識のようなものがあるからだろう。
日本の大手新聞は、官僚機構が最も嫌がるニュースを率先して報道しようとはしない。ある新聞だけに特種を握られたら困るから、記者クラブのみんなで話し合って特定の新聞だけが違う方向に向わないようにする。自分だけ情報をもらえなくなっては困るから、官僚機構とのケンカを避け、同じインナーサークルのなかで手を取り合う。記者クラブ制度がなぜ日本で問題視されないのか不思議だ。

2 thoughts on “マーティン・ファクラー

  1. shinichi Post author

    「本当のこと」を伝えない 日本の新聞

    by マーティン・ファクラー

    Credibility Lost: The Crisis in Japanese Newspaper Journalism After Fukushima

    by Martin Fackler

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  2. shinichi Post author

    官僚とジャーナリストだけがおかしいのであれば、まだ救いようがあるのだけれど、そのおかしさが日本人全体に広がってしまっているので、どうしようもない。日本人みんなが「日本」「日本」と大合唱する様は、おかしいを超えてせつない。

    僕の仲よくしているフランス人が「フランスは」とか「フランス人は」とか言うのを聞いたことはなく、知り合いのレバノン人がレバノンのことを考えているとは思えず、アメリカでよく食事をした中国系アメリカ人の投資銀行の副社長はアメリカや中国がどうなっても構わないだろうし。。。私の周りには、所属する国とか、会社とか、組織とかのことを心配する人は皆無だったこともあり、私も知らず知らずのうちにそうなっていまった。正直なところ、日本という国家がどうなってもまったく構わない。興味はあるけれど、どうなってほしいとかはない。

    国家がどうなっても、幸せになる人は幸せになるだろうという感じだ。グローバリゼーションが続けば、「国家」は今の「県庁」ぐらいの感じになるのではないかと思っている。20世紀の価値だった「国家」ということに関わっていること自体、21世紀に乗り遅れている証拠だと思う。ニューヨークでうまくやっている人に「国家」などと関わりあっている人は少ないし、いずれにしてもこれからは「強い個人」の時代。21世紀には、たとえば物理学者が集まったときなど、だれがどの国の人かなんていうことは関係ないだろうし、ただただ「できるやつ」と「できないやつ」がいるだけになると思う。そう思ったとき、まともなプレゼンテーションすらできない大方の日本人にチャン スはない。

    今、日本で「優秀」といわれている人たちを冷静に観察してみると、みんな日本で優秀なだけで、日本を出たところでも優秀な人はそんなにいない気がする。中国人や韓国人には世界で通用する人が多く、日本人と北朝鮮人には通用しない人が多いというのが印象だ。そろそろ目を開かないと、赤澤さんが言っているとおり、「いざという時に日本列島と日本国家から逃れられない」というリスクが現実になり、日本の衰退がそのままそういう人たちの不幸になってしまう。

    日本が衰退しても、楽しく働ける人、楽しく暮らせる人。若い人たちにはそういうのを目指してほしいのだが、官僚やマスメディアの影響もあって、日本の若い人たちはみんな20世紀型で。。。ほんとうに「ご愁傷様」です。

    まあ実際は、優秀な日本人というのは多いから、それぞれの分野で一流といわれる日本人はたくさんでてくるだろう。幸せな日本人も増えていくと思う。そうであれば、日本という国家が世界一になる必要などまったくなく、世界で40番ぐらいでいい気がする。

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