西内啓

121226|統計学|カバー3エビデンスとは科学的な根拠のことだ。現代の医療はEBM(Evidence Based Medicine)と呼ばれ、必ずエビデンスに基づいた治療を選択しなければいけないということになっているし、前にも述べたように欧米では教育や政策決定においてもエビデンスが重視されるべきであるという法律・ガイドラインが増えてもいる。
科学的根拠というと、科学的に研究された結果は何でもエビデンス扱いするのかということになってしまうが、エビデンスはすべて横並びのものではない。ほぼ間違いない根拠として信頼すべきものから、参考程度に聞いておくべき仮説レベルのものまでのヒエラルキーが存在しているのだ。
その一番最下層に属するエビデンスは「専門家の意見」と「基礎実験の結果」である。専門家の意見がエビデンスとして最低限の信頼性しかないというのは今更書くまでもないと思う。一方基礎実験とは、試験管の中で行なった生化学的な実験や、ネズミやサルなどを使った動物実験などのことである。

2 thoughts on “西内啓

  1. shinichi Post author

    統計学が最強の学問である

    by 西内啓

    https://cakes.mu/series/80

    人類の英知のヒエラルキー

    https://cakes.mu/posts/788

    あえて断言しよう。あらゆる学問のなかで統計学が最強の学問であると。 どんな権威やロジックも吹き飛ばして正解を導き出す統計学の影響は、現代社会で強まる一方である。「ビッグデータ」などの言葉が流行ることもそうした状況の現れだが、はたしてどれだけの人がその本当の面白さを知っているだろうか。

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  2. shinichi Post author

    (sk) 西岡さんという人が書くことのひとつひとつには賛成できても、根本的なところでは賛成できない。

    統計とは、Fallacies のひとつでしかない。言い換えて、Fallacies の強力な道具といってもいい。だから、統計がメインストリームになることはないと思うのだ。つまり、統計学が最強の学問になるなんていうことは、永遠に起きないのだ。

    数字信仰の強い日本では、統計は「誤魔化し」や「意見誘導」の強力な道具になる。役所が統計を「プロパガンダの道具」にしたり、会社が統計を「売り上げを伸ばすための道具」にしたりというのが、悲しい現実だ。

    寿命ひとつとっても、厚生労働省は、お産の過程で死んだ赤ん坊や生まれてすぐ死んだ赤ん坊を統計に入れないことで、寿命が世界一だと言う。失業率も、これも厚生労働省が、主婦を除いたり、月に一回でも働いたことのあるフリーターを除いたりして、実際よりもずっと低く見せる。これは Fallacies のなかでも特に悪質だと思う。

    文部科学省の宗教統計なんていうものは、世界一笑える。神道の信者が1億1千万人、仏教の信者が1億人、キリスト教の信者が300万人、その他が1,000万人、合計すると人口の2倍弱。こんな統計を出しておいて、もっともらしい説明を付けてしまうのが官僚の”優秀”な所だと思う。

    官僚は、学校ではくだらないことを言われるままに記憶することでいい成績を取り、就職した後はなんの専門家でもないのに転勤する先々で専門家の顔をし、周りの人たちが出したアウトプットを自分のものとして出しという、なんとも不思議な人たちだが、一番の特徴は「一番が大好き」ということだろう。小学校からずっと一番。今でも一番。だから、GDPでもなんでも一番になりたがる、もしくは一番だと見せたがる。だから官僚から出てくる統計は実際より良く見えるものが多いのだろう。

    言うまでもないが、日本の会社が統計を持ち出してくると、間違いなく嘘か、そうでなくても限りなく怪しい。日本人と統計というのは、合わないような気がする。というか、日本では統計は最強にはなりえない。すべてがインチキだからだ。私の父なんて、心臓が止まりかけているときに、医者から「どうですか」と聞かれ、「ええ、おかげさまで、元気にしております」と答えていた。そういう人たちが統計を出せばどうなるかは、だいたい想像がつく。

    もうひとつ気になったのが、evidence ということだ。15年くらい前に WHOの人たちが evidence-based research という言葉を繰り返し口にするのを聞き、それ以来ずっと、evidence とか evidence-based approach について考えてきた。そして出した結論は、「医者は evidence にこだわるが、結局は訴訟社会での責任逃れのための evidence であって、弁護士を減らせば evidence もいらなくなる」というもの。アメリカというばかばかしい社会の産物なのだろう。

    日本で、これ以上、アメリカ化を進めることはない。だから、evidence-based approach を全面肯定したり、統計を信じたりするのは、止めなければならない。しつこいが、統計は Fallacy でしかないのだ。

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