佐伯啓思

そもそものデフレ経済をもたらした背景には、グローバル化のなかでの新興国との激しいコスト競争がある。新興国の低賃金労働との競争によって、日本国内における賃金も下がるほかないのである。
また、グローバルな金融市場の異常な発展によって、資本があまりに不安定に金融市場を飛び回る。それが時にはバブルを引きおこし、続いてバブルを崩壊させる。それがまた、国内経済を動揺させる。さらにいえば、日本の場合、いわゆる少子高齢化、人口減少社会へと突入し、それは将来の市場を縮小するものと予測される。それが民間投資を萎縮させるひとつの要因となっている。
いずれにせよ日本は、今後10年、20年で大きく社会構造を変えてゆかざるを得ないのであって、そのための新たな社会基盤の整備が必要となる。そこには、防災も含まれるし、地域の再生もあり、教育や医療、介護の充実もある。それらを総合した公共計画を政府が推進するほかないであろう。

2 thoughts on “佐伯啓思

  1. shinichi Post author

    京都大学教授・佐伯啓思 アベノミクスは成功するか

    http://sankei.jp.msn.com/economy/news/130121/fnc13012103040000-n1.htm

     安倍政権が誕生して約1カ月、株式市場は急騰し、円安が進行し、市場はアベノミクスを歓迎しているように見える。アベノミクスの柱は大胆な財政出動、インフレターゲットを含む超金融緩和、そして成長戦略である。これは従来の、緊縮財政、行政改革、規制緩和、市場競争強化などの「構造改革路線」からの決別といってよい。そして、まさにその「構造改革」をずっと支持してきたはずの市場は、今回アベノミクスを歓迎している。奇妙といえば奇妙なことなのだ。

     だが理由は単純なことで、安倍首相の登場によってムードが変わったのである。構造改革とは、既得権益をかこち、非能率で無駄な制度や集団がある、これを排除し無駄を絞り取らねばならないという、いわば「否定の政治」であった。

     しかし、アベノミクスは、既存の集団への批判や攻撃によってエネルギーを引き出すのではなく、脱デフレに向けた政府の全面的な積極政策によって景気を回復させるという。これは基本的に十数年におよぶ「改革」一辺倒であったわが国の経済政策の大転換である。そのことが現状ではムードを変えたのだ。

     だがまた、同時に危惧の念が生じるのは、市場の心理などというものはいかにも気まぐれなものであって、つい先日までは「改革路線」一辺倒であったものが、今日はアベノミクスに喝采を送っているように、ほんのささいな動揺で、いつまた安倍政権を見はなすかもしれない。市場はともかく景気がよくなりさえすればそれでよいのである。だが思うように景気が回復しないとなると、また財政緊縮派や構造改革派、市場原理主義者などがそれみたことかとしゃべり始め、そこへリベラル派が群がるという構図が出現するともかぎらない。

     アメリカの経済学者であるクルーグマンもアベノミクスを高く評価しているようだが、短期的にいえば、デフレ脱却、雇用促進、景気回復のために、大規模な財政・金融政策を活用するというアベノミクスは正当なものである。やたらインフレターゲットが強調されるが、基本は財政出動にあり、財政資金調達のための国債を市中から日銀が買い取ることで貨幣量を増加させるということだ。デフレ経済とは最終的に需要不足によって生じている限り、需要を増加しないとデフレ脱却は不可能だからである。そして、民間投資が活性化しない現状でいえば、需要は公共部門によって作り出されるほかない。

     というわけで、アベノミクスは現状ではきわめて現実的であろう。しかし、いくら「危機突破内閣」と称しても、デフレが克服でき景気回復すればそれで危機は突破したというものでもあるまい。もっと大きな危機が待ち構えているともかぎらない。

     というのも、今日の日本経済の混迷は、それほど容易に克服できるものではないからだ。

     そもそものデフレ経済をもたらした背景には、グローバル化のなかでの新興国との激しいコスト競争がある。新興国の低賃金労働との競争によって、日本国内における賃金も下がるほかないのである。

                       ◇

     また、グローバルな金融市場の異常な発展によって、資本があまりに不安定に金融市場を飛び回る。それが時にはバブルを引きおこし、続いてバブルを崩壊させる。それがまた、国内経済を動揺させる。さらにいえば、日本の場合、いわゆる少子高齢化、人口減少社会へと突入し、それは将来の市場を縮小するものと予測される。それが民間投資を萎縮させるひとつの要因となっている。

     これらが重なり合って暗雲のようにわれわれの上に立ち込めており、それをすっきりと振り払うことは不可能に近い。仮に短期的には景気回復は可能だとしても、長期的にいえば、これらの不安材料はつねにわれわれの頭の上にぶら下がった剣のようにいつ落下するともかぎらない。

     では、この長期的な不安材料を払拭することはできるのであろうか。払拭とまではいわなくとも、減じることはできるであろう。ただそのためには、大きな思考の転換が要求される。なぜなら、問題の本質は、グローバルな過度な競争にこそあり、このグローバル市場競争モデルから距離をおかなければならないからである。そしてそれは、一種の長期的な公共計画のもとに、できるだけ国内で資金が流動するような構造を作り出すという方向へかじを取るということであろう。

     いずれにせよ日本は、今後10年、20年で大きく社会構造を変えてゆかざるを得ないのであって、そのための新たな社会基盤の整備が必要となる。そこには、防災も含まれるし、地域の再生もあり、教育や医療、介護の充実もある。それらを総合した公共計画を政府が推進するほかないであろう。しかもそれは、国内にある資金を国内で循環させ、結果として内需を活性化することになるであろう。

     確かにこうした長期的公共計画は、ある程度安定した政権を必要とする。だから、安倍政権が、次の参院選を想定した即効性ある経済政策を打ち出しているのもよくわかるのである。しかし本当の問題は長期的な展望にあって、今ここでの公共投資も長期的な見通しと連動しつつなされるのが本筋なのである。

    Reply
  2. shinichi Post author

    佐伯啓思という人の書いたものは面白いので、目にすれば必ず読む。なぜ面白いか?

    現状認識については、なぜかいつも、「そうだそうだ」と思う。そして結論や提案については、これもなぜかいつも、「それはないだろう」と思うのだ。

    同じような思考回路を持っていれば、データの処理の仕方や情報の受け取り方が似てくる。でも、身につけた知識が違えば、出てくる考えは当然違う。

    佐伯啓思という人の知識は、日本で多くの知識人たちに共有されている「日本標準」のようなものなのだろう。

    佐伯啓思という人が書いたものは、同じような思考回路を持った私にはとても読みやすい。また、私が「日本標準」を持っていないせいで、学ぶことが多い。それで面白い。。。

    いや、たぶん、ただのファンが持つ心理状態なのだろう。村上春樹のファンが、「なんでハルキには私の考えていることがわかるのだろう」っていう、あれですね。きっと。。。

    Reply

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *