José Ortega y Gasset *

No vivimos para pensar, sino, por el contrario, creemos que con el fin de que podamos tener éxito en la supervivencia.

No vivimos para pensar, sino, por el contrario, pensamos con el fin de que podamos tener éxito en sobrevivir.

No vivimos para pensar, sino que pensamos para lograr subsistir o pervivir.

No vivimos para pensar, sino al revés: pensamos para lograr pervivir.

3 thoughts on “José Ortega y Gasset *

  1. shinichi Post author

    We do not live to think, but, on the contrary, we think in order that we may succeed in surviving.

    The essence of man is, discontent, divine discontent; a sort of love without a beloved, the ache we feel in a member we no longer have.

    Love is that splendid triggering of human vitality the supreme activity which nature affords anyone for going out of himself toward someone else.

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  2. shinichi Post author

    オルテガの思想は、「生の理性 (razón vital)」をめぐって形成されている。「生の理性」とは、個々人の限られた「生」を媒介し統合して、より普遍的なものへと高めていくような理性のことである。

    オルテガは、みずからの思想を体系的に構築しようとはせず、「明示的論証なき学問」と呼んだエッセイや、ジャーナリズムに発表した啓蒙的な論説や、一般市民を対象とした公開講義などによって、自己の思想を表現した。

    オルテガの関心は、形而上学にとどまらず、文明論や国家論、文学や美術など多岐にわたり、著述をおこなった。

    大衆を批判し、貴族・エリートを擁護した。彼の定義によれば、大衆とは、「ただ欲求のみを持っており、自分には権利だけあると考え、義務を持っているなどとは考えもしない」、つまり、「みずからに義務を課す高貴さを欠いた人間である」という。

    20世紀に台頭したボリシェヴィズム(マルクス・レーニン主義)とファシズムを「野蛮状態への後退」、「原始主義」として批判した。特にボリシェヴィズム、ロシア革命に対しては、「人間的な生のはじまりとは逆なのである」と述べている。

    自由主義を理論的・科学的真理ではなく、「運命の真理」であるとして擁護している。

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  3. shinichi Post author

    日本の宿命

    by 佐伯啓思 

    オルテガは1910年代のスペインを分析して、1921年にこの『無脊椎のスペイン』という評論を出版しました。彼が述べたことは、当時のスペインには、国民をまとめあげる価値がなく、様々なグループが自己利益だけを求めて分裂割拠に陥っているということでした。

    佐伯啓思は、かつては、師の西部邁同様、保守主義を標榜していた。

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    大衆の反逆・無脊椎のスペイン

    by オルテガ

    政治というものは「エリート」によるプロジェクトの提示であり指導行為である。それに対して、この「エリート」を信頼して指導されるのが「大衆」である。ところが現代社会では、「大衆」こそが政治の主役となり、政治家を自らの代表とみなすならまだしも、政治家をあたかも自らの「しもべ」であるかのように扱っている。

    オルテガは保守主義者と評されることもある。日本では西部邁が影響を受けた。

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