芥川龍之介

或日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待つてゐた。廣い門の下には、この男の外に誰もゐない。唯、所々丹塗の剥げた、大きな圓柱に、蟋蟀が一匹とまつてゐる。羅生門が、朱雀大路にある以上は、この男の外にも、雨やみをする市女笠や揉烏帽子が、もう二三人はありさうなものである。それが、この男の外には誰もゐない。

3 thoughts on “芥川龍之介

  1. shinichi Post author

    レトリック感覚
    by 佐藤信夫

    第3章 換喩
    羅生門が、朱雀大路にある以上は、この男のほかにも,雨やみをする市女笠や揉烏帽子が、もう二三人はありさうなものである。それが、この男の外にはだれもゐない。

     換喩は対象間の近隣性をたよりにつくられる比喩である。たとえばものがたりの「赤頭巾」にはおそらく本名があるにもかかわらず、誰もが赤い帽子をかぶっているこの主人公の女の子を「赤頭巾」と呼ぶ。また夏目漱石の著作を「漱石を読む」といい作品を漱石の名前に代表させている。つまり換喩とは転化表現(カタクレーズ)を想定してある対象の一部に全体を代表させる比喩である。換喩はわたしたちの五感の一部(とくに視覚に)に強い印象によってつくりだされる比喩である。ある人物の強い印象に残った特徴を換喩として用いる。赤頭巾と呼び、髭と呼び、禿げ頭と呼ぶことで、印象を読者と共有する。そしてその結果、読者の誤認が避けられることも提喩のはたらきのひとつである。
     18世紀フランスの修辞理論研究者であったセザール・シェノー・ディマルセは、換喩の説明を8つの類型に分類した。それは当時ディマルセが常連の執筆者であった『百科全書』や19世紀の『リトレ・フランス語辞典』に引用されるほど広く認知される説明であったものの、換喩の分類法としては不充分な説明であった。思考錯誤の後、換喩を近隣性に基づく比喩として概括した。しかし近隣性という言葉の意味は「縁故」程度のかなりの幅を持った概念である。たとえば井伏鱒二の小説『多甚古村』では「駐在」という言葉が多義的な換喩として使われている。ひとつは巡査の職務のことであり、ひとつは駐在所がある場所のことであり、ひとつは駐在所という建物のこととして表現されている。また駐在という言葉そのものは「そこにとどまっている」という意味であり、職業や場所と直接関係する言葉ではない。それらの意味が文脈で使い分けるはわれわれの認識が換喩的で多元的であり、読み手はそれを無意識に受け容れているのである。
     直喩や隠喩は類似性の比喩である。それぞれの異なった事柄として認識されている対象の共通の特徴を重ね合わせている。だが換喩には対象同士の新しい関係を発見することを必ずしも必要としない。換喩には対象間の原因と結果や所有と被所有などの近接性を際立たせるはたらきがある。

    佐藤信夫『レトリック感覚』(講談社,1992)の紹介掲載
    by 高田一樹
    立命館大学大学院 先端総合学術研究科
    http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/db1990/9200sn.htm#rhetoric03

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  2. shinichi Post author

    修辞法の分類
    by 雨宮俊彦
    http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~ame/word/Rhetor.html

    2.意味の拡張(認知意味論的レトリック)
    ○換喩(metonymy)
    「キツネうどん」、「赤シャツ」、「のれんをつぐ」、「ホワイトハウスの決定」、「東京は追加経済策を発表した」、「春雨やものがたり行く簑と笠」(蕪村)、「道は凍つてゐた。村は寒気の底へ寝静まつてゐた。」(川端康成「雪国」)

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