志ん生

おおぜいの花魁のきげんをとるんですから、大変なもんでございまして、あんまりやさしくするてえと、当人が図にのぼせちゃう。といって、小言をいやあ、ふくれちゃうし、なぐりゃ泣くし、殺しゃ化けて出る。どうも困るそうですなあ、女というものは。

3 thoughts on “志ん生

  1. shinichi Post author

    レトリック感覚
    by 佐藤信夫

    第6章 列叙法
    あんまりやさしくするてえと、当人が図にのぼせちゃう。といって、小言をいやあ,ふくれちゃうし,なぐりゃ泣くし、殺しゃ化けて出る。どうも困るそうですなあ,女というものは・・・。

     列叙法は五十嵐力が『新文章講和』古典レトリックでのアキュミシュラシォンまたはコンジェリーということばに充てた訳語である。その内容はものごとを念入りに表現するために同格のことばを次々と積み上げる表現技法を指している。ただ、あらゆる描写を際限なく書きつづけることはすなおな表現といえるのだろうか。表現者の意識無意識に関わらず、それが表現上の下心として読者にみえるときにはすなおというよりは技巧的だというほうがよいだろう。むしろすなおな表現とはできるだけ短いことばであっさりといってしまうことだろう。そういう意味で科学のことばはすなおである。  
     列叙法の分類には諸説あるものの、おおまかに列挙法と漸層法にわけることができる。列挙法はおびただしい量の意味内容を造形するためにおびただしい量のことばを用いる。ことばの量を無理やり現実とつりあわせようとすることで表現を大げさにしている。それによって混乱や繁栄などの現実の複雑さを表現しようとするのである。しかし列挙法はことばの量をふやすことで多くの内容を語っているかのようにみえるが、結果的には文章がいたずらに長くなり、問題の個所がぼやけてしまうこともある。
     漸層法はクライマックスと呼ばれる技法である。同格の事柄を列挙していく中で弱いものから強いものへ、小さいものから大きいものへ、卑近なことから大げさなことへ、あるいはその反対にある尺度に応じて表現を並べていく方法である。これは徐々に強い刺激を配列していくことで、読者の感情にはたらきかける表現である。

    佐藤信夫『レトリック感覚』(講談社,1992)の紹介掲載
    by 高田一樹
    立命館大学大学院 先端総合学術研究科
    http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/db1990/9200sn.htm#rhetoric03

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  2. shinichi Post author

    修辞法の分類
    by 雨宮俊彦
    http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~ame/word/Rhetor.html

    1.叙述の形と内容の対応
    1.3.列挙表現
    ◇列叙法(accumulation)
    「寝転がっては見たもののちっとも眠くならないうえ、おまけにむらむらと怒りがこみ上げてくる。というのも、自分は、ぶらぶらするばかりでなく、寝床でぐずぐずするのも好む性分なので、枕元周辺にはいつも、生活用具一般、すなわち、ラジカセ、スタンドライト、湯呑、箸、茶碗、灰皿、猿股、食い終わったカップラーメンのカップ、新聞、シガレット、エロ本、一升瓶、レインコートなどが散乱しており、それらに混じって、いったい、なぜ枕元周辺にそれがあるかよく分からないもの、すなわち、ねじ回し、彩色してないこけし、島根県全図、うんすんかるた、電池なども散乱しているのであるが、そのよく分からないものの中に、五寸ばかりの金属製の大黒様があって、先前からむかついているのは、この大黒様、いや、こんなやつに、様、などつける必要はない、大黒で十分である、大黒のせいなのである。」(町田康「くっすん大黒」)

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