3 thoughts on “Yokoyama Taikan

  1. shinichi Post author

    月下の海

    横山大観

    ボストン美術館

    1904(明治37)年2月、大観35歳。ボストン美術館での仕事に赴く師・岡倉天心に同行し、盟友・菱田春草らとともに米国へ旅立った。このころ大観らは輪郭線より色彩を重んじる新しい日本画の手法を試みていた。しかし国内では冷淡に受け止められ、画家生活も困難を極めていた。

    この状況を打開するため天心は、ニューヨークなどで大観や春草らの作品を紹介する展覧会を開いた。すると、日本での反応とは打って変わって大好評で、ニューヨーク・タイムズでも報道された。

    1904年4月29日付の同紙には、大観や春草の絵画展がニューヨークのセンチュリークラブという画廊であり、「作品は金の紙に縁取られている」と記録されている。「月夜の波図」は縁に金紙の跡が確認され、米国で開かれた展覧会の出品作であったことを示している。

    「月夜の波図」は、現地の展覧会で即売され、人の手に渡り、やがて同美術館に収められたという。

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  2. Garfield

    この絵、すごくいいですね。日曜美術館は、大体寝てるので、いつも録画してるのですが、「朦朧派」というのは初めて知りました。昨年、3月から6月にかけて、東博で大規模なボストン美術館から日本美術の里帰り展がありましたが、江戸時代迄でしたし、ボストンでも見た記憶がありません。ベルギーで習ってた水彩画の先生の絵は、まさに朦朧派という感じで、多分、ターナーとか印象派がお好きだったのだと思うのですが・・・フランドル絵画伝統の超リアリズムの絵も多く、それも魅力的だとは思いますが、私は細かいのが苦手なので、下手糞な朦朧画です。

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