Category Archives: art

憲法色

憲法色は、黒褐色の1つ。別名に憲法黒、憲法染、憲法茶などがある。
剣術家の吉岡直綱(号は憲法)が広めたとされることからこの名が付いた。
吉岡一門は足利将軍の兵法師範を務める兵法の名家として名高く、足利将軍家が衰退した後は豊臣秀吉に仕官した。そのため、徳川家康に与することを潔しとせず、豊臣秀頼に従って大坂の陣に参陣し、敗戦の後は家業の剣術を棄て、家伝の染色をもって生計を立てる道を選んだ。
当時の染料の多くは薬草として使用されることも多く、傷の治療などの目的から、兵法の名家が生薬の扱いに慣れ親しんでいたことはそれほど珍しいことではなかった。吉岡一門は道着の染色を全て一門のもので賄っていた。
黒染めには高い技術が必要だったこともあり、吉岡家の堅牢で良心的価格の小袖は非常に人気があった。憲法色は江戸時代を通じて人気の高い色となっている。京都の多くの染屋が吉岡家から染めの技術を学び暖簾分けされたため、京都の染色業者には吉岡姓の家が多い。

Salon des refusés (la décision de l’empereur Napoléon III)

De nombreuses réclamations sont parvenues à l’Empereur au sujet des œuvres d’art qui ont été refusées par le jury de l’Exposition. Sa Majesté, voulant laisser le public juge de la légitimité de ces réclamations, a décidé que les œuvres d’art refusées seraient exposées dans une autre partie du Palais de l’Industrie.
Cette exposition sera facultative, et les artistes qui ne voudraient pas y prendre part n’auront qu’à informer l’administration qui s’empressera de leur restituer leurs œuvres.

美術館

美術館のなかを歩く
絵が時代順に並んでいる

ロマネスクから ゴシックへ そしてルネサンスへ
マニエリスム バロック ロココ の時代の後
ネオクラシシズム ロマンティシズム アカデミズム リアリズム
という イズムの時代が続き
今でも人気の インプレッショニズム の時代に至る
そんな本のなかにあるアートの流れは
美術館では まったく感じられない

絵から感じるのは パトロンのちからだけ
それ以外は 何も感じることができない

教会や教会にすがる人がパトロンになれば
 宗教の起源に関する話が絵のなかに描かれ
権力者や金持ちがパトロンになれば
 本人や家族のポートレートが描かれる
そんな絵を見て 何を感じればいいのだろう

絵を見ることに疲れ 椅子に座る
目の前の絵には 輝く白い山が描かれている
絵が描かれたのは1802年
フランス革命の後の混乱にも ナポレオンの台頭にも
まったく関係のない白い山と
争いにまみれた麓の黒い景色

立ち上がり 絵の中を歩く
本に書いてあったことを思い出す

 ルネサンスが始まる頃になると
 商業の発展とともに
 国内取引では銀貨が
 貿易取引では金貨が利用されるようになる
 そして絵が 売買されるようになる

 ルネサンスが過ぎ去る頃には
 幾千もの貨幣鋳造所が作られ
 インプレッショニズムの頃には
 金銀貨が安定的に流通し 小額貨幣も大量に発行される
 すると 画商が現れ 画材店ができ 絵が身近になる

インプレッショニズム以降の絵には
それまでの絵のような遠さがない
そのかわり 絵に値段が付き
値段の高い絵ほど珍重されるようになる

有名な絵の前には人だかりがしていて
無名な絵の前には誰もいない

美術館という不思議な空間を歩き回ったら
感じたことのない疲れを覚えた
美術館から出たら まるで
クラシック音楽のコンサートから出てきたような気がした
外の空気は心地よかった
隣の君は笑っていた
僕も笑った

Egon Schiele

Despite largely failing as a student at school and having to repeat a year, his artistic talent gained him entry to the Kunstgewerbeschule (School of Arts and Crafts) in Vienna, where famous artist Gustav Klimt had studied. But one of his teachers there complained that Schiele had “too much talent” and he was sent to Vienna’s Academy of Fine arts, the youngest student ever enrolled there, at the age of 16. According to records he was accepted over another candidate — Adolf Hitler.
But Schiele soon rankled at the conservatism of the Academy. In 1907 he sought out Klimt, whose work Schiele admired, hoping to learn more from the great artist. Klimt was the leader of the Vienna Sezessionist (Secessionist) group, who had made a break from the conservative styles of the Academy. He was greatly impressed by the teenager’s talent and became a mentor and friend, buying some of Schiele’s works, organising models and finding him connections in the art world. It led to Schiele’s first inclusion in a Sezessionist exhibition in 1908.
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In 1911, Egon Schiele met a woman. She was seventeen, bright eyed, fun, amiable, not a bit shy or innocent. Her name was Valerie ‘Wally’ Neuzil, and she was just what both Schiele and his art needed. In that short period of time, Schiele’s art blossomed, and Wally was his muse, his lover, his friend. Their story is the one of obsession, love, betrayal, erotic exploration, and death – death of an artist, death of a muse, death of a whole empire and death of an era.

吉本隆明

ほんとうの意味で日本人が色というのはじぶんの側に属するんだと、つまり、日常生活の側に属するし、民衆の平凡なる日常の中で、色というのは豊富に氾濫し、豊富に使われなければいけないんだ、あるいは、使われるといいんだというふうに、それをじぶんに許したのは、むしろ明治以降で西欧の染料とか、色彩感覚とか、それがどんどんどんどん入ってきてから、はじめて日本人は色彩というものを日常生活に使っていいんだという考え方になったので、それ以前は、色というものを、日本人は宗教に属する、つまり、神に属するもので人間がそれを使うべきでない。だから、せいぜい使われるのは、神社の森だとか、神を祀った山の上だとか、そういうところにきれいな花の咲く樹を植えたりというようなことは、むしろ、そういうところに使ったので、ほんとうにじぶんの庭に、例えば、桜の花でもなんでもいいですけど、お花見の桜の花みたいなものをじぶんの庭に植えようという考え方をもったのは、たぶん、平安朝時代になってからはじめて、あるいは、奈良朝の末期ぐらいからはじめて、そういうふうになったので、それ以前は桜の樹とか、きれいな花の咲く樹というのは、ぜんぶ神社の社の境内にそれを集めるとか、あるいは、神聖なる山の麓にそれを植えるとか、そういうふうに、つまり、神に属するところにそれは植えるのであって、じぶんの庭に、たとえば、きれいな花の咲く樹を植えてもいいんだというふうに考えだしだのは、平安朝ぐらいになってからであって、そういうふうになってから、それでもわりに一種、神々しい気持ちで、庭の木に咲く花なんかというのを、そういうふうに考えて、そういうふうに植えているというふうな、そういうふうな鑑賞の仕方をしているというようなことが行われてきて、それでむしろ、自然の草花を採ってきて、家の中の仏壇に供えるみたいなふうな、そういう花の見方とか、鑑賞の仕方をするようになったのは、もう明治になってからなんだ、つまり、明治になってから初めて色彩というものを神に属するものじゃなくて、日常生活に誰もが使っていいものであるし、また、誰もが塗っていいものであるし、誰もが植えていいものであるし、誰もが着てもいいものだというふうに考えだしだんだ。それにもかかわらず、日本人の色彩の抑え方というのは、日常生活、つまり、じぶんのものとしての色彩の使い方の抑え方といいましょうか、抑制の仕方というのは著しいので、これは一種、そういう言い方をすれば、柳田国男は天然の禁色だ、つまり、天然によって禁じ、あるいは、神によって禁じられた色であって、それを人間が使っちゃいけないんだというふうに、日本人はむしろ考えていたんだというふうに、そういう言い方をしています。
 そのようにして、たとえば、本来ならば、誰それ天皇の御代に誰それが政権をとって、こういう政治をやったとかというような、そういう歴史というものが描かれると同じように、たとえば、そういう色彩というものを、日本人が宗教的な神に属するものだというふうに考えていたときから、それから、これは人間に属するもので日常生活に使っていいんだというふうに考えるようになるまでの色彩についての日本人の心の変化というものをたどれば、やはり、誰それ天皇の御代にこういう戦があって、こういうふうに政権をとってというような、そういう歴史と同じ歴史が日本人の色彩感覚の移り変わりというもので捉えることができるんだということを、『明治大正史』のなかで柳田国男は言っています。

禁色

柳田國男は 1875年(明治8年)に生まれ 1962年(昭和37年)に死んだ
1875年の人々の感覚と 1962年の人々の感覚が 同じわけはなく
さらにいえば
1962年の人々の感覚と 2022年の人々の感覚が 同じわけもない
だから
柳田國男の感覚は 私たちの理解のはるか外にあることを 忘れてはならない

褻(ケ)晴れ(ハレ)
現滅の常なきもの永くとどまって変わらぬもの
移り動く地上の色変わることのない天上の色
常の日の安息特別な時の興奮
樹の陰のようなやや曇ったる色こころときめく ゆゆしき禁色

その違いは 私たちにもよくわかる
でも 禁色の煌びやかさはもうどこにもなく
禁色のゆゆしき感じは もう誰にもわからない

私たちが「褻(ケ)」の色を好むのは
常に興奮している現代に疲れ
以前の渋いという味わいを懐かしく思うからだ
柳田國男は そう説明した
でも
私たちが「褻(ケ)」の色に感じるのは
自然の色の無限の豊かさであって
常の日の安息というようなものではない

自然の色の無限の豊かさのなかで
私たちは生まれ 死んでゆく

この世に禁色を蘇らせても
その色はやがて褪せてゆく

私たちが禁色と思っているものは
もはや禁色ではない

自然の禁色も 人がつくった禁色も
もうどこにもない

柳田國男

こういう二通りの色の分かちが存する限り、たとえ技術はこれを許すとしても、人は容易に禁色を犯そうという気にはならなかった。興奮はたとえば平野の孤丘のごときもので、それがなかったならば人生はもちろん寂しい。しかもしばしばその上に登り立つことも、堪えがたき疲労でありまた前進の妨げであった。それゆえに我々ははなやかなる種々の色が、天地の間に存することを知りながらも、各自は樹の陰のようなやや曇ったる色を愛して、常の日の安息を期していたのであった。それが固有の染料の自らの制限だけでなかったことは、単なる白という色の用い方を見てもよくわかる。現在は台所の前掛けにまでも使われるようになったが、白は本来はゆゆしき色であった。日本では神祭の衣か喪の服以外には、以前はこれを身に着けることはなかったのである。つまりは目に立つ色の一つであり、清すぎまた明らかすぎたからである。こういうやや不自然なる制限の解除せられたことは、一つには異なる外国の風習の、利あって害なきことを知ったからでもあるが、それよりも強い理由は晴れとの混乱、すなわちまれに出現するところの興奮というものの意義を、段々に軽く見るようになったことである。実際現代人は少しずつ常に興奮している。そうしてやや疲れてくると、初めて以前の渋いという味わいを懐かしく思うのである。

墨絵

墨で書いた絵をじっと見ていたら
ないはずの色が見えてきた
絵はモノクロの写真に似て
空は空の色を
雲は雲の色を
内蔵しているかのようだ

日が昇り 光を取り戻した街が
色彩でいっぱいになるように
絵のなかに隠された色が
墨のなかからにじみ出て
墨のないところまで
色づいてゆく

絵の余白に現れた色は
言葉にならないほど 美しい
その色が
色相や明度や彩度で表されることは
ない

こころのなかに あらわれた色は
ぼんやりとして
やがて消えた
目の前の絵は
墨の絵に戻っていたけれど
その墨はもう
前の色ではなかった

芸術

江戸時代までは
芸術という言葉はなかった
言葉がなかったくらいだから
芸術家もいなかった
もちろんアートはなく
アーティストもいなかった

絵師や彫師や摺師はいた
浮世絵師と呼ばれる人もいた
でも芸術家やアーティストはいなかったのだ

明治時代になるまでは
美術という言葉もなかった
明治政府は
 音楽画学像ヲ作ルノ術詩学等ヲ美術ト云フ
と定め
 美術の字穏当ならずと雖も 今姑く之を襲用す
などと言ってその場を凌いだ

宮大工 家大工 建具師 指物師 曲物師
そんな職人をアーティストと呼んだら
せっかくの出来上がりがウンチクばかりになってしまうし
庭師をアーティストと呼び 庭をアートと言えば
庭から情緒が消え 庭園になってしまう

私たちの場所には芸術はいらない
もちろんアートなどいらない
大事なことは職人がやってくれる
語る人はいらない

君への気持ちを言葉にして伝えるのは なにか違う気がする
芸術もアートも必要ないように 言葉も必要ない
言葉にした途端 本当のことが本当でなくなる
君への気持ちが嘘になる
だから伝わることを期待して ただ 佇む
伝わらないことは承知で ただ ただ 佇む

文化施設

海を見下ろす高台に並べられたものたちが
なぜかアートと呼ばれ
インターネットから事前に入館料を払った人たちが
決められた時間に見学に来る

神社にあった石は
神社にあってこその石なのに
神社とは関係ない場所に置かれ
アートというものに成り下がっている

寺の門は
寺の入口にあってこその門なのに
寺とは関係ない場所に建ち
アートになっている

石舞台のミニチュアは
なんの神秘も感じさせず
茶を点てることのない茶室は
なんの輝きも持たない

人の立つことのない舞台に
立とうとしたら
監視員が飛んできて
立たないでくださいと丁寧に咎める

雨音を聞くためというトタンの屋根は
わざとらしさをあざとく纏い
衣食住を感じさせない場所では
無機質なものたちが自然を演出する

気持ち悪いくらいに整った庭
反射することのない硝子
錆びることのない錆びた感じの鉄
雨が降ると濡れた感じになる石

散歩のために用意された見せかけの竹林と
収穫がショーになる蜜柑の木と
歩きにくそうなのに歩きやすい石畳とが
アートらしきものを観光の道具にする

ここを訪れて思い出したのは
美術館に置かれて拝まれることのなくなった仏像
移設されて住む人のいなくなった住宅
シナリオ通りに進むスポーツというショー

そこにいることに腹を立てながら
見える海をきれいだと思い
バカらしいと思いながら
写真を撮る

こんな気持ちにさせるのも
計算のうちなのだろうか
そう思って前を見たら
係員とわかる人が微笑んだ

雨が降っていたならば
月が照っていたならば
そう思って空を見上げていたら
送迎バスがやって来た

誰がために

聴く人のいない音楽や
見る人のいない映画は
読む人のいない物語に似ている

聴く人が
メロディーを変えることはなく
見る人が
映像を乱すこともない
読む人が
物語に入り込むなんてありえない

出来上がった音楽は
譜面の上にあり
出来上がった映画は
ディスクのなかに埋もれ
出来上がった物語は
紙の上で固まっている

録音されなかった音楽は
演奏するたびに異なった音を紡ぎ
撮影されなかった演劇は
上演されるたびに台詞が違い
紙の上に固定されなかった物語は
語られるたびに彩を変えた

聴く人を知らない音楽には
興奮や喜びがなく
見る人を知らない映画には
笑いも涙もない
受けとる人を知らない物語は
始まる前から終わっている

流れのない音楽には
淀みしかなく
画面の変わらない映画には
輝きはない
心のない物語からは
事実しか伝わってこない

それでも人は
聴く人のいない音楽を編み出し
懲りることなく
見る人のいない映画を制作し
あてどなく
読む人のいない物語を書き続ける

聴いてほしい人は自分の音楽に酔っていて
他人の音楽を聴くだけの余裕はなく
見てほしい人は映像の制作で手いっぱいで
他人の映画を見ることなど考えない
読んでほしい人は書くことに夢中で
他人の物語を読む時間を持たない

音楽も映画も物語も
みんなみんな自分のため
作り手も自分のため
受け手も自分のため
でもそのほうが
他人のためというよりも
ずっといいのかもしれない

岡倉天心

実に遺憾にたえないことには、現今美術に対する表面的の熱狂は、真の感じに根拠をおいていない。われわれのこの民本主義の時代においては、人は自己の感情には無頓着に世間一般から最も良いと考えられている物を得ようとかしましく騒ぐ。高雅なものではなくて、高価なものを欲し、美しいものではなくて、流行品を欲するのである。一般民衆にとっては、彼らみずからの工業主義の尊い産物である絵入りの定期刊行物をながめるほうが、彼らが感心したふりをしている初期のイタリア作品や、足利時代の傑作よりも美術鑑賞の糧としてもっと消化しやすいであろう。彼らにとっては、作品の良否よりも美術家の名が重要である。数世紀前、シナのある批評家の歎じたごとく、世人は耳によって絵画を批評する。今日いずれの方面を見ても、擬古典的嫌悪を感ずるのは、すなわちこの真の鑑賞力の欠けているためである。

佐藤達夫

扱った植物は、庭で育てたものや、次女のいけ花のおさがりや、東京ちかくの野や丘で採取してきたものなど、ごく身ぢかなものが大部分である。我流の、まったくお恥ずかしい絵だが、すべて実物をお手本にいっしょうけんめいに描いた。へたながらも、草木にたいするわたしの愛情がすこしでも滲みでていたらうれしいと思う。
忙しい公職をもつわたしが、こんなのんきな本を出したりすると、いかにも、本職をおろそかにして、わき道に熱中しているように誤解されそうである。しかし、これは、まったく業余の息ぬきであり、ひとさまがゴルフや麻雀を楽しみ、野球放送などに興じておられる時間をあてての、わたしなりのレクリエーションなのだから、このくらいのあそびは許していただけるだろう。

STEM to STEAM

In this climate of economic uncertainty, America is once again turning to innovation as the way to ensure a prosperous future.
Yet innovation remains tightly coupled with Science, Technology, Engineering and Math – the STEM subjects. Art + Design are poised to transform our economy in the 21st century just as science and technology did in the last century.
We need to add Art + Design to the equation — to transform STEM into STEAM.
STEM + Art = STEAM
STEAM is a movement championed by Rhode Island School of Design (RISD) and widely adopted by institutions, corporations and individuals.
The objectives of the STEAM movement are to:

  • transform research policy to place Art + Design at the center of STEM
  • encourage integration of Art + Design in K–20 education
  • influence employers to hire artists and designers to drive innovation

山口周

課題を解くアプローチとして、私が考えているのが、「サイエンス」「クラフト」「アート」の3つです。サイエンス、つまり科学的アプローチで解決できるのは、いわゆるマニュアル業務でしょう。LABORの場合、既存のマニュアルに頼れば一定の仕事の成果を上げることができます。
ところがCEOに近づくほど、サイエンスでは解けない問題が増えていきます。ここで次に頼るのが「クラフト」です。これはいわば経験や勘によるアプローチ。マニュアルに書かれていない課題にぶつかったとき、クラフトが活きてくる場面は少なくないでしょう。
ところが、現代のように変化が早い時代に入ると、クラフトを使っても対応できない課題が増えてしまう。過去の成功体験のとおりやってみても、前提となる社会環境が変わってしまっているため、うまくいかないのです。
サイエンスで解けず、クラフトも効かない――。そんなとき最後に頼るアプローチが、内在的に「真・善・美」を判断する美意識による「アート思考」です。今、世界のエリートたちが早朝のギャラリートークに参加して美意識を鍛えているのも、単に教養を身につける目的ではなく、ビジネス上の極めて功利的な目的によるものなのです。

Arthur Schopenhauer

Never in my life having enjoyed the true happiness of love I shall erect a memorial to this loveliest of all dreams in which, from the first to the last, love shall, for once, find utter fulfillment.

Carol Vogeldec

In the preface to his only novel, “The Picture of Dorian Gray,” Oscar Wilde famously proclaimed that “all art is quite useless.” The statement seemed so intriguing to a contemporary, an Oxford University student named Bernulf Clegg, that in 1891 he wrote Wilde asking him where in his other work he “may find developed that idea of the total uselessness of all art.”
Wilde, not directly answering Clegg’s question, responded: “Art is useless because its aim is simply to create a mood. It is not meant to instruct or influence action in any way. It is superbly sterile, and the note of its pleasure is sterility.

いけばな嵯峨御流

日本は美しい自然に恵まれ、四季折々の風景は心の安らぎを与えてくれます。昔から人々は、常に変化していく植物の美しさを瓶に移し、神仏に捧げ、花と語らい、そして少しでも長もちさせたいと考えました。

そこにより深い感動を持たせようとしたとき、芸術としての「いけばな」が生まれたのです。


平安の初め、嵯峨天皇が大覚寺の大沢池で、菊ガ島に咲く可憐な菊を手折り殿上の花瓶に挿されました。その姿が「天、地、人」三才の美しさを備えていたことに感動され、「後世花を生くるものは宜しく之を以って範とすべし」とおっしゃいました。これがいけばな嵯峨御流の始まりであると伝えられています。嵯峨天皇の自然や草木に対する慈しみの心が、嵯峨御流の礎になっています。

熊田千佳慕、熊田すぎ子

熊田   一番のもとは戦災で焼けたということなんです。これが僕にはとても福になったんです。
熊田夫人 五月二十九日の空襲は朝でしたから、物を防空壕へ非難させる暇がなかったんです。朝起きない人で、普通は早く起きてきても十時ですから、まだ寝ていたんです。
熊田   きれいさっぱり焼けてしまったので、師匠の山名文夫先生の所に行ったら、全部道具を集めてくださったのです。いつもなら素直にいただいてくるのに、何か抵抗があるんですね。「鉛筆一本で結構です」と言うと「えっ!」とびっくりされた。消しゴムも要らない。鉛筆一本と紙をいただいて帰ってきたんです。
そしたら一本の線を引くにも、普通の方は何本も引いて要らないところは消して一本の線を引く。それができないから、物を見るときによく見るんですね。見て、もう一つは見つめるんです。そして最後に、あっ、これだと見極める。見て、見つめて、見極める。このプロセスを神から授かったんですね。
それで、あっ、この線だなと思うときにスッと引く。こういうスケッチがそれから始まったんです。そこまでいかないといけない。そうすると頭に入りますね。そういう環境にならなかったら、今の絵はなかったわけですよ。

小西麻美


青花 梅竹山水人物文 八角水滴: 青花とは、中国や朝鮮での染付の呼び方。酸化コバルトを発色の主成分とした呉須顔料で絵付けを施したやきもののこと。側壁に梅と竹、上面に山水文をあらわした、八角に面取りされた水滴です。水滴とは、硯に水を注ぐための容器。傾けることで、側面についた小さな注ぎ口から、少量の水を差すことができます。面をきっちりとった潔い器形ですが、手取りは重く、安定感があります。加えて、上面に厚く掛かった釉薬が、青花の青色と良く馴染み、柔らかい発色となっているのが特徴。シャープな器形ながらも、角のとれた上品さも兼ね備えている作品です。

Bianca Bromberger, Rebecca Sternschein, Page Widick, William Smith, II, Anjan Chatterjee

Historically, art and esthetics have been well ensconced in the humanities and have not been considered seriously within the sciences. Fechner (1876) began the field of empirical esthetics. More than a century later, neuroscience is playing catch-up, and is finally coming of age (Skov and Vartanian, 2009; Chatterjee, 2011). Theoretical positions and a few books linking neuroscience to art have appeared (Ramachandran and Hirstein, 1999; Zeki, 1999; Livingstone, 2002; Chatterjee, 2004a). Empirical studies using imaging techniques looking at our responses to beauty (Aharon et al., 2001; Ishai, 2007; Winston et al., 2007; Chatterjee et al., 2009) as well as to different kinds of artwork (Kawabata and Zeki, 2004; Vartanian and Goel, 2004; Jacobsen et al., 2005; Ishai et al., 2007; Cela-Conde et al., 2009) are being published. Recent conferences devoted to art and neuroscience (Nadal and Pearce, 2011) attest to the growing interest in the biology of esthetics. In this paper, we examine the state of one important aspect of neuroesthetics, the neuropsychology of art (Chatterjee, 2004b; Bogousslavsky and Boller, 2005; Zaidel, 2005). We outline reasons that this aspect of neuroesthetics has been relatively undeveloped and report our initial attempts to rectify this situation.

Fernando Pessoa

Art consists in making others feel what we feel, in freeing them from themselves by offering them our own personality. The true substance of whatever I feel is absolutely incommunicable, and the more profoundly I feel it, the more incommunicable it is. In order to convey to someone else what I feel, I must translate my feelings into his language – saying things, that is, as if they were what I feel, so that he, reading them, will feel exactly what I felt. And since this someone is presumed by art to be not this or that person but everyone (i.e. that person common to all persons), what I must finally do is convert my feelings into a typical human feeling, even if it means perverting the true nature of what I felt.

Ruben Östlund

So many directors kill people left and right. I have never experienced anything like that in my life. And I want my films to be true to my experience.

深澤直人

俳句は、いいものがあって詠むわけではなくて、特別ではない、ふつうの領域が、妙にアーティスティックに高まるということがすごい。きっとデザインと同じように、何らかのことを入力したり考えたりしていたことが、ある瞬間に、ふっとひとつの調和した線みたいなものが見えたときに、ポンとでるのかなあ。デザインと俳句はすごく似ているんじゃないかと思います。

France

1 % des sommes consacrées par l’État pour chaque construction d’établissement scolaire ou universitaire devra financer la réalisation d’une œuvre d’art contemporaine intégrée au projet architectural.

Les communes, les départements et les régions doivent consacrer 1 % du montant de l’investissement à l’insertion d’oeuvres d’art dans toutes les constructions qui faisaient l’objet, au 23 juillet 1983, date de publication de la loi n° 83-663 du 22 juillet 1983 complétant la loi n° 83-8 du 7 janvier 1983 relative à la répartition de compétences entre les communes, les départements, les régions et l’Etat, de la même obligation à la charge de l’Etat.

東信(あずま まこと)

AMKK(東信、花樹研究所)とは、フラワーアーティスト東信の花・植物を題材とした実験的なクリエイションを展開していく集団であり、その活動は、花・植物のみが有しているもっとも神秘的な形を見つけ、それを芸術的レベルに変換し表現する事で、植物の存在価値を高める事に一貫している。

篠山紀信


想像を超えた美の存在に遭遇したとき、僕は近未来の迷宮にいるような不安を感じる。この心の動揺こそが僕に写真を撮らせているようだ。

水野聡

経典に「善悪不二、邪正一如」とある。本来良い・悪いなど何をもって定めるのか。ただ時により用に足るものを良い、足りないものを悪いとするだけのこと。この芸の品々というものも、その時代の人々所々により最大多数の好みによって、受け入れられるものが用に足りるため、花となるのだ。ここではこれこれの芸がもてはやされ、あちらではまた別の芸が愛される。これぞ人それぞれの心に咲く花である。いずれがまことの花であろうか。ただ時が選ぶもの、これを花とすべきである。

中田勝康

禅宗で盛んになった水墨画では小さな紙一枚に宇宙を現した。庭園でも同様に方寸の地に宇宙を象徴した。坪庭は建物の間にある、暗くて狭い場所である。このような限られた場所に、禅の物語を盛り込む事は究極の抽象性が求められる。まさに現代抽象芸術だ。

隈研吾

金閣は義満の時代、幕府に力があり、高度成長の時代、権力者が造った。
それに対し数10年しか隔ててないにもかかわらず、すとんと時代(空気)が変る。
義政の時代はバブル崩壊後の日本のような時代。
悪条件の中、美学で反転するような生き方がデザインにあるのではないか。

銀閣の全体のレイアウトでおもしろいのは、例えば2階からの視点、その上にあったといわれる草庵からの視点とかいくつかの視点があり、それらの視点から感じられる世界が立体的に重ねあわされている。
胎蔵界曼荼羅、母胎の胎、母なる宇宙に抱え込まれるみたいな感じが全体の地形にある。
義政は地形の読み方や宇宙の読み方に関して長けたデザイナーだった。

Deyan Sudjic

Kawakubo talks of her admiration of Le Corbusier, and it is not too farfetched to see the influence of his purist Modernism in her own abstraction of fashion into the fundamentals of texture, form and colour.’ Through her examination of clothing as a cerebral and emotional construct, there is a direct line back to the works of the architect. In the strangeness that imbues her pieces, we find her highly personal take on how to live.