One thought on “原雅幸

  1. shinichi Post author

    光る海

    by 原雅幸

    写実絵画、リアリズム絵画、細密画など、こういう絵の呼び方はいろいろあるのだけれど、「生まれ育った故郷の風景を、記憶だけを頼りに描いた」絵をそんなカテゴリーに入れていいものか。風景画と呼ぶこともできない。

    今はもう失われてしまった風景、1976年頃の大阪南部の風景、田園が広がり、ある意味取り残されてしまった場所。

    今では「光る海」の代わりに関西国際空港が、「田園」の代わりに四角いビル群が視界を埋める。

    原雅幸は「この風景が、私の原風景になった」という。この風景が原雅幸を画家にしたのだろう。

    「風景画にとって一番大事なもの、それは思い出だった」という原雅幸は、今、イギリスで絵を描き続ける。

    今の日本で育っていたら、原雅幸という画家は生まれていなかった。

    今の日本には、原雅幸が描きたい風景はない。

    原雅幸はイギリスという場所を見つけ、絵を描き続ける。

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