akiravich

何の話かは忘れましたが、学生の一人が「頭が不自由な人」という言い方をしました。最初、どんな意味かわからなかったんですけど、「『バカ』と言うのは失礼なんじゃないでしょうか?」というのが彼女の説明。先週の授業で、「目が不自由な人」とか、「耳が不自由な人」という言い方を習ったんですよ。日本には差別用語というのがあって・・・という話をしたんですね。そこで、彼女が考え出したのが「頭が不自由な人」。どう思います? これだったら、「バカ」のほうがいいような気がしますが・・・
それにしても、日本人って、他人の言葉に対する免疫力、下がってる感じがするんですよね。ちょっとした言葉で傷ついたりするような気がするんですよ。僕が子どものときなんか先生にくそみそに言われても、自分が悪いとわかっているときなんかは、言われるようなことをした自分が悪い、と思ってましたけどね。今だったら「言葉の暴力」とか「人権侵害」とか言われちゃうんでしょうね。
違う言葉で言ったとしても、心の中にあるものが変わらなかったら、意味ないんじゃないでしょうか。確かに言葉を変えることで、意識が変わっていくことはあると思うんですよね。「みんなにやさしく」という感じだと思うんですね。でも、「みんなにやさしい社会」って、「みんなにやさしすぎる社会」「みんなを甘やかす社会」と紙一重だと思うんです。

3 thoughts on “akiravich

  1. shinichi Post author

    不自由な人

    by akiravich

    ベラルーシな時間 はぐれミーシャ純情派

    http://blog.livedoor.jp/akiravich/archives/50506170.html

    今日の写真は絵を描いているベロニカちゃんです。
    うちの奥さん、絵を描く勉強や服のデザインの勉強をしてきたんです。
    今はうちで注文を受けて服を作ったりしています。
    そのほかに、僕が働いている通信教育の会社で、新しく作るポーランド語の教科書のイラストを担当しているのです。
    いろいろ楽しい絵を描くんですよ。
    これから時々御紹介しますね。

    僕は絵は全くダメ。
    うちの父親も叔父さんも看板やなのに、僕は絵の成績はいつも3でした。
    中学校の美術の先生が「お前は絵が下手だ。すごく下手だ。でも、がんばってるから、3をやる」と言ったのを、今でもおぼえています。

    今日は朝から2年生の秘密の授業(何かこう書くと、いけないことをしている感じですが、ただ単に学生が秘密で通っているだけです)。
    何の話かは忘れましたが、学生の一人が「頭が不自由な人」という言い方をしました。
    最初、どんな意味かわからなかったんですけど、「『バカ』と言うのは失礼なんじゃないでしょうか?」というのが彼女の説明。
    先週の授業で、「目が不自由な人」とか、「耳が不自由な人」という言い方を習ったんですよ。
    日本には差別用語というのがあって・・・という話をしたんですね。
    そこで、彼女が考え出したのが「頭が不自由な人」。
    どう思います? 
    これだったら、「バカ」のほうがいいような気がしますが・・・

    それにしても、日本人って、他人の言葉に対する免疫力、下がってる感じがするんですよね。
    ちょっとした言葉で傷ついたりするような気がするんですよ。
    僕が子どものときなんか先生にくそみそに言われても、自分が悪いとわかっているときなんかは、言われるようなことをした自分が悪い、と思ってましたけどね。
    今だったら「言葉の暴力」とか「人権侵害」とか言われちゃうんでしょうね。

    聖書の中に確かこんなフレーズがあったと思うんですが・・・
    「姦淫を犯すなかれ」ってモーゼの十戒がありますよね。
    「もし姦淫を犯してなくても、心の中でそのことを考えたら、その罪は実際に姦淫を犯したのと同じぐらい重い」という感じの意味だったと思います。
    内容、間違ってたらごめんなさい。

    違う言葉で言ったとしても、心の中にあるものが変わらなかったら、意味ないんじゃないでしょうか。
    確かに言葉を変えることで、意識が変わっていくことはあると思うんですよね。
    「みんなにやさしく」という感じだと思うんですね。
    でも、「みんなにやさしい社会」って、「みんなにやさしすぎる社会」「みんなを甘やかす社会」と紙一重だと思うんです。

    ところで、看護婦って言葉、今使わないんですかね?
    以前、東京の病院で働いている女性がベラルーシに一人旅に来たことがあって、彼女に「お仕事は何をなさっているんですか?」と聞いたら、「看護士です」と答えたので、僕は「ああ、看護婦さんですね」と言ってしまったんですよ。
    まあ、その人、怒ったりはしませんでしたが、僕の中では「???」でした。
    「看護婦」という言葉、僕はむしろ親しみを持って使っていますけど。
    「看護士」と言われても、「士」なんて漢字を使ってると、どうしても男のイメージが・・・

    っていうか、男と女が違うのはそんなに悪いんでしょうか?
    そんなこと言ったら、ロシア語なんてどうなるんでしょう。
    ほとんど全ての職業名が男性・女性で違う名詞になってますよ。
    例えば、教師は・・・учитель(男)-учительница(女)
    作家は・・・писатель(男)-писательница(女)

    うーん、どうなんでしょう。
    ロシア語なんか、差別用語、死ぬほどありますけどね。
    汚い言葉もかなり多いです。
    今度、御紹介しますね。
    まあ、ロシア語知っている方しか楽しめないとは思いますが・・・

    今日は疲れすぎて、最後の授業では頭痛がしてました。
    これから、明日の授業の準備だ・・・

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  2. shinichi Post author

    akiravich

    http://blog.livedoor.jp/akiravich/

    山形県出身。
    2000年からベラルーシ共和国の首都、ミンスク在住。ベラルーシ国立大学国際関係学科・日本語教師。目指すのはベラルーシの金八(略してベラ金)。
    愛する妻ベロニカちゃんと愛する龍二くん(3歳)とのベラルーシ生活!
    日本の皆さまにベラルーシ一般国民目線のベラルーシを御紹介!

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  3. shinichi Post author

    ベラルーシ美人について

    http://blog.livedoor.jp/akiravich/archives/50484677.html

    よくベラルーシ人の女性は美しいということを言われますが、それは本当にそうだと思います。
    写真は去年の9月、ミンスクのゴーリキー公園というところで町のお祭りがあったときに、折り紙コーナーを作らせてもらったときの写真です。
    写っているのは近くにある言語大学の学生(日本語を勉強している学生ではありません)。
    ごく普通の大学生です。
    僕の目から見ると、すごくかわいい子たちに見えるのですが(うちのベロニカちゃんもそう言ってますし)。
    まあ、僕はベラルーシにずっと住んでいて、目が美人になれているのですが、それでもかわいく見えます。
    客観的には判断できなくなっているのかもしれませんが・・・

    町で歩いている女性を見ていても、全体的なレベルが高いです。
    日本のテレビ番組で美人が多い国として紹介されたようですね。
    普通に町を歩いていても驚くほどの美人が多いです。
    ベラルーシ人の男性が外国などに行くと、あまりにも美人が少ないことに驚き、ベラルーシに帰ってくると、美人が多いことにほっとするそうです。
    僕はほとんど外国に出ることがないので、テレビなどでモスクワの町の中の映像などを見ると、ベラルーシのほうが上かなと正直思います。

    ベラルーシの女の子達は自分が美しいことに誇りを持っています。
    ある女の子は「美しさは私の最大の武器だから、安売りはしない」などと言っていました。
    まあ、それは極端な例ですが、(いろんな意味で)自分の美しさを利用している子も多いですね。
    その美しさにやられちゃってる日本人男性も見かけます。
    中には大変高齢な日本人男性と20代の美しいベラルーシ人女性という組み合わせも見受けられます。
    明らかにだまされちゃってる場合もありますよね。
    ベラルーシ人女性は「富」を求め、日本人男性は「美」を求める。
    ある意味、需要と供給が一致している感じなので、一概に悪いとは言えないと思いますが・・・

    インターネットで検索すると、ベラルーシの美人についての意見などを読むことができます。
    中には「ベラルーシ人はミス・ユニバースなど、世界のミスコンで優勝したことがない」ということが書いてありましたが、それはちょっと・・・(まあ、それはベラルーシ人が美人であることを否定しようとしていたのではないと思いますが)
    だって、ミス・ユニバースで日本人が優勝したことがあるからといって、日本人みんなが美人ということにはなりませんよね。
    モデルとしての美しさと人としての美しさって違うものだと思うんですけど。
    ベラルーシにもすごくきれいなモデルさんとか、いますよ。
    でも、それって、ベラルーシ全体の美人度を計る基準にはならないと思います。

    そもそも、美しさって基準がないものだと思いません?
    「誰が美しいかどうかを決めるのか」と言ったら、それは人が決めるのですから、すでに客観的ではありません。
    人が見て、「きれいだな」と思ったら、それは「きれいな人」なのです。
    美人かどうかっていうのは、多数決の論理ですよ。
    その人を「美人だ」と言う人が多かったら、美人になってしまうんでしょうね。
    「美」の基準って民族によっても違うし。

    あんまり、難しく考えなくてもいいんじゃないでしょうかね。
    とにかく、ベラルーシ人の女性はきれいなんです!

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