柴田直治

「東洋の真珠」と呼ばれたマニラは45年2月、日米の激しい戦闘で焼け野原となり10万人とされる市民らが犠牲になった。妻と子ども3人を日本兵に殺されたキリノ氏。撃たれた母のそばで泣く2歳の娘は銃剣でとどめを刺されたという。
第二次大戦中に海外で戦没した日本人は240万人。フィリピンでは中国大陸の71万人に次ぐ52万人が死んだ。一方的に戦場にされたフィリピン人は国民の16分の1にあたる111万人が亡くなった。反日感情が渦巻く60年前、キリノ大統領は元日本兵戦犯100人余りの釈放に踏み切る。
大統領は談話で、家族が殺された体験に触れた上で、日本との友好が国益にかない、そのためには憎しみの連鎖を断ち切る必要がある、と国民に説明した。「国内はもちろん家族のなかにも反対はあった。それでもカトリックの赦しの文化に従ったのです」と甥のキリノ・ジュニアさん。
対日好感度高く「もう戦争の歴史を克服した」(産経)は本当か?反日感情の沈静には、フィリピン歴代政権の姿勢が影響している。歴史問題批判は控え、記録保存にも執着しなかった。先月安倍首相が訪問した際、地元の元従軍慰安婦らが謝罪と補償を求め集会を開いたが、アキノ政権は話題にもしなかった。
しかし個々の傷が癒えたわけではない。「赦しの前提は悔恨だが、過去の真実に向き合おうとしない日本人、政治家は多い」とロチャ氏。現地の人が日本人に戦争の話を持ち出すことはまずない。それでも水を向ければ「実は祖父が」「母は当時を語りたがらない」と関わりを語る人は少なくない。

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