高島米峰

今や、国際連盟は、極東方面における、婦女売買の状態を、極めて仔細に調査研究するために、調査委員を派遣することに決し、そのために、ロックフエラー財団より十二万ドルの寄附を受け、既に、三名の調査委員は、支那までやって来て居る。日本に来るのは、五月下旬か六月上旬かというのであるが、彼等が、事実上の人身売買であり、事実上の奴隷制度であって、五万有余の女性が、牢獄にもひとしい座敷に押し込められ、動物にもひとしい醜悪なる非人道なる所行を、強要せられて居る実状を調査した時、自ら称して日東君子国といって居る日本にも、また、かかる残忍非道の世界あるかに、驚き且つおそれることであろう。
否、それよりもむしろ、彼等は、婦女禁売の国際条約に、加盟調印したる世界の一等国たる日本が、全然その条約を履行せざるのみならず、かえって、これを蹂躪して、いささかもはづるところなき、厚顔と不信と不義とに憤るであろう、あきれるであろう、そうして、従来、日本を買いかぶって居たことを後悔するであろう。そうした後悔は、ついに、彼等をして、日本に対する軽侮の風を、世界にみなぎらしめるにも至るであろう。

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  1. shinichi Post author

    神戸大学附属図書館デジタルアーカイブ

    データ作成: 神戸大学附属図書館

    http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?LANG=JA&METAID=10063224&POS=1&TYPE=IMAGE_FILE

    公娼廃止とは、国家が、女性の貞操を売買することを、公許して居る悪制度を、廃止しようというのである。その論拠は、(1)人道上、(2)国法上、(3)風紀上、(4)衛生上、(5)性道徳上、(6)国際条約上、その他の点にあるのであるが、今ここには、特に、国際条約の上から、日本の公娼制度は、一日も早く、撤廃せざるべからざるものなるゆえんを、明にしたいと思う。

    国際連盟成立以前における、婦人児童売買禁遏に関する国際条約には、一九〇四年五月、欧洲十二ヶ国間で締結せられた、「醜業を行わしむるための婦女売買取締に関する国際恊定」というものと、一九一〇年五月に、十三ヶ国間で締結せられた、「醜業を行わしむるための婦女売買禁止に関する国際条約」というものとの、二種がある。

    然るに、国際連盟成立後、その規約第二十三条に基づき、国際連盟は、これ等の取極めの実行について、一般監視をするという責任を負うこととなった。そこで、一九二一年九月、第二回国際連盟総会において、右二種の条約の不備の点を補い、且、全世界に、その適用を拡張しようというので、二十八ヶ国間で、「婦人児童の売買禁止に関する条約」というものを作った。そうして、日本も、勿論、これに加盟しない訳にはいかなかったのである。その条約の第一条には何人ニ拘ラズ他人ノ情慾ヲ満足セシムルタメ売淫セシムル意思ニテ未成年(二十一歳未満)ノ婦娘ヲ傭入レ誘引若クハ誘惑シタルモノハ仮令本人ノ承諾アルモ又犯罪構成ノ要素タル各種ノ行為ガ他国ニ於テ遂行セラレタルトキト雖モ処罰セラルベキモノトスとあり、その第二条には何人に拘ラズ他人ノ情慾ヲ満足セシムル意思ニテ詐欺暴行脅迫権勢其ノ他強制的手段ヲ以テ未成年(二十一歳未満)ノ婦娘ヲ傭入レ誘引若クハ誘惑シタルモノハ仮令犯罪構成ノ要求タル各種ノ行為ガ他国ニ於て遂行セラレタルトキト雖モ処罰セラルベキモノトスとあるので、日本帝国は、最初、この条約に加盟しながら、しかも、二十一歳という年齢の制限について、留保を求めて調印したのであった。それは今でも現に行われて居る、「娼妓取締規則」には、娼妓の年齢が、十八歳以上と規定してあるがためであったことはいうまでもない。しかし、その年齢留保を、文明国としての汚辱であるとして、当時、官民有志の間に、速にこれを撤廃すべしという主張横溢し、ついに、今日では、日本もまた、この国際条約の、完全なる加盟者となったのである。

    完全なる加盟者とはなったのであるが、それはただ、単に条約に調印したというだけであって、毫も条約を実行してはいないのである。即ち、条約に調印して以来数年を経たる今日、依然として、「娼妓取締規則」の、十八歳以上の婦娘は、売淫してもよいという条項に対して、何等の改正も撤廃も行われず、十八歳以上二十一歳以下の婦娘が、彼等の中の大多数であるという事実をそのままに放置して、何等、国際信義を重んずるという国家的正義が、現れて居ないことを慨かざるを得ないのである。

    今や、国際連盟は、極東方面における、婦女売買の状態を、極めて仔細に調査研究するために、調査委員を派遣することに決し、そのために、ロックフエラー財団より十二万ドルの寄附を受け、既に、三名の調査委員は、支那までやって来て居る。日本に来るのは、五月下旬か六月上旬かというのであるが、彼等が、事実上の人身売買であり、事実上の奴隷制度であって、五万有余の女性が、牢獄にもひとしい座敷に押し込められ、動物にもひとしい醜悪なる非人道なる所行を、強要せられて居る実状を調査した時、自ら称して日東君子国といって居る日本にも、また、かかる残忍非道の世界あるかに、驚き且つおそれることであろう。
    否、それよりもむしろ、彼等は、婦女禁売の国際条約に、加盟調印したる世界の一等国たる日本が、全然その条約を履行せざるのみならず、かえって、これを蹂躪して、いささかもはづるところなき、厚顔と不信と不義とに憤るであろう、あきれるであろう、そうして、従来、日本を買いかぶって居たことを後悔するであろう。そうした後悔は、ついに、彼等をして、日本に対する軽侮の風を、世界にみなぎらしめるにも至るであろう。

    そこで、日本国家としてのこの際における急務は、まず、三年もしくは五年の後を期して、公娼制度を撤廃するという意思を表示することである。そうして、即今直ちに、「娼妓取締規則」の年齢を、国際条約に従って、二十一歳以上と改正するか、あるいは、娼妓の新規登録を禁止することである。少くとも、これ位の用意なしに、国際連盟の調査委員を迎えるということは、国際信義の上から考えて、吾々国民の、到底堪え忍び能わざる苦痛である。
    今や、公娼廃止は、世界の通念であるばかりでなく、日本国内においても、既に一般の与論となっている。現に、県会で廃娼を決議したものは九県に上り、また、廃娼を断行したものは二県となった。そうして、中央社会事業恊会の如き、中央教化団体連合会の如き、大日本宗教大会の如き、大阪社会事業連盟の如き、関東々北医師大会の如き、岩手県医師会の如き、最も有力なる団体が、それぞれの立場々々からして、公娼制度の撤廃を決議して居る。今はただ、内務大臣が、明治三十三年に公布した「娼妓取締規則」を撤廃しさえすれば、それでよいというだけになって居るのである。

    あるいはいわく、従来、兎も角も正業として認めて来たものを、廃業せしめるという場合、全然、無償というのは気の毒ではないかと。否々、少しも気の毒なことではない、今後三年五年の猶予を与えて、徐々に、その正業につかしめるというだけでも恩典である。試みに思う、電灯が出来た時、ランプ屋に賠償してやったか、電車の出来た時、人力車夫に賠償してやったか、箱根のトンネルを汽車が通った時、籠屋に賠償してやったか。それは、文明の進歩が職業の転換を要求するのであって、国家にも社会にも、賠償の責任は断じてない。人権思想の発達しなかった時代の公娼制度、純潔思想の発達しなかった時代の公娼制度、貞操観念の幼稚であった時代の公娼制度、要するにこれ、過去の時代の産物であって、現代に存在せしむべき制度ではない。真の正業でさえ賠償を要しないのに、公娼制度の如き、道徳上の不正業に対して、何の賠償を必要とするか。現に、群馬県の如きは、一銭の賠償をも為さずしてこれを断行し、爾来栄誉ある三十年の歴史を保って居るではないか。

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