唐木順三

hatuhanakatatuki京都に思文閣という古書肆がある。そこから度々目録を送ってくる。去年の春であったか、目録のうちに梅園高橋龍雄著の『茶道』をみいだして手に入れた。昭和十年に大岡山書店から発行されたものである。この書の巻頭に初花肩衝の実物大の写真が載っている。原色版である。とにかく美しい。掌の中へ入れて撫でてみたい思いが湧いてくる。玩物喪志という言葉があるが、初花の色合い、肌、形をみていると、うなずかれる思いがする。新井白石の『紳書』には、初花の由来を楊貴妃の油壷と誌しているそうだが、私にはそういうなまめかしさは感じられない。やさしいなかにもなにか毅然としたものがある。
高さ二寸七分五厘、ロ怪一寸五分五厘、胴幅二寸二分、底怪一寸五分強というこの小さい名器が日本の歴史の百五十年に互って相当の波紋を残している。
記録上の最初の所持者は足利義政である。いずれ入宋の禅僧によって持ち来されたものか、或いは堺の商人によって天龍寺船で舶載されたものであろう。義政から奈良の鳥居引拙の手にわたり、さらに京の大文字屋疋田宗観の手にあったのを信長が召上げた。信長はこれを安土城主の信忠に与えた。安土の城は本能寺変後、光秀によって火をかけられている。初花はなんびとかの手によって火難を脱れ、三河の住人松平親宅のところにあったが、本能寺の変の翌年、これを家康に献じた。家康は大いに悦んで所望のもの何でもかなえる由を伝えた。親宅は領地の拝領よりも、酒役蔵役その外一切の諸役御免の御朱印を戴きたいと申し出て、いとやすいこととかなえられた。無税で酒造りと蔵敷料との権利を得たわけで、この方が実益ははるかに多かったに違いない。念誓という坊主臭い名前までもったこの親宅はなかなかぬけめのない男だったとみえる。元来浪士の身分で初花をどうやって手に入れたかも不審であるが、これに関する記録はない。

2 thoughts on “唐木順三

  1. shinichi Post author

    (sk)

    初花肩衝だけではない。日本的と言われているものや日本的と言われていることをたどっていくと、なぜか足利義政にたどり着く。

    それでも人は、足利義政のことを、どうしようもない将軍と呼ぶ。

    Reply

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *