雪舟

Sesshu1468年に遣明船で明へ渡航。各地を廻り、約2年間本格的な水墨画に触れ、研究した。天童山景徳禅寺では「四明天童山第一座」の称号を得る。北京では、政府の建物に壁画を書いて、大いに評判になったという。弟子に送った「破墨山水図」にある文面に、「明の画壇に見るべきものはなく、日本の詩集文や叙説を再認識した」と書かれている様に、明の時代の画家よりも夏珪や李唐等の宋・元時代の画家に興味を持ち、模写して勉強した。大陸の自然は、雪舟に深く影響した。「風景こそ最大の師」と悟った様に、彼は帰路、揚子江を下りつつ貪欲に各地の風景を写生した。雪舟の書いた風景画の景観は、現在、中国の各地に今も残っている。1469年に帰国し、1506年(1502年とする説もある)に87歳で没するまで、周防のほか豊後や石見で創作活動を行った。

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