小村智宏

人々の暮らしが豊かさを増すにつれて、芸術産業の市場は拡大を続けてきた。今日でも、一般の人々に評価されず経済的な見返りを得られない芸術活動もあるし、人々の嗜好や価値観とはまったく関係なく生み出される芸術作品もある。しかし、芸術が産業化した現在では、芸術活動の多くの部分が、社会を構成する一般の人々との関係のなかで行われている。純粋な芸術作品としての成否はともかく、芸術家とその作品の経済的な成功は、それが一般の消費者に受け入れられるかどうかにかかってくる。
映画であれ音楽であれ、どういう芸術が受け入れられるかは、人々の嗜好や価値観に左右される。それは、その社会の文化の根幹にあたるものだ。どういう芸術が成功を収めているかは、人々がどういう食事をしているか、どういう服を着ているか、どういう家に住んでいるかといったことと同様に、その社会の文化の表れということになる。芸術は、経済の枠組みに組み込まれ産業化したことで、文化の一部に組み込まれることにもなったのである。
文化と経済の接点は、芸術産業だけにはとどまらない。経済が未成熟で物資が不足している時代には、価格に見合うだけの機能さえ持っていれば、商品は人々に受け入れられた。しかし、経済が成熟し、市場が飽和に近づいたことで、商品のコンセプトやデザイン、さらには広告の手法やキャッチコピーといった要素が重要になってきた。それらが社会の文化を背景とした人々の嗜好や価値観にどの程度適合しているかで、商品の売れ行きは大きく違ってくる。
また、デザインや広告においては、卓越した創造性が求められ、その意味では芸術の領域との関係も一段と濃密になる。成熟期の経済においては、あらゆる商品、あらゆる経済活動が、芸術と文化の影響下に入るということだ。

2 thoughts on “小村智宏

  1. shinichi Post author

    芸術と文化と経済と

    ー 経済の発展がもたらした濃密な関係 ー

    by 小村智宏

    http://adv.yomiuri.co.jp/ojo/02number/200703/03keizai.html

    人々が豊かになり、多くの商品やサービスの市場が飽和した現代では、単に機能が優れているとか値段が安いというだけでは、消費者を引き付けることは難しい。そうした時代の経済においては、それぞれの国や地域、民族が保持している文化が大きな意味を持つことになる。

    [1]経済の発展と芸術の産業化

     一般に文化というと、それぞれの社会で共有される行動様式や思考様式、あるいは精神活動の総体といった意味合いになる。また、現代の文化は、少数の傑出した才能の働きによって形成される芸術や思想の領域と、一般の人々が日々の暮らしのなかで醸成してきた、食事や服装、住宅の様式など、いわゆる生活文化の部分とから成り立っているということもできる。

     経済が未発達で、人々の暮らしが豊かではなかった時代には、芸術や思想と生活文化とは、濃厚な交わりを持ってはいなかった。芸術家や思想家の活動は、多くの場合、一握りの豊かな人々の後援の下で行われ、その成果を享受するのも、そうした特権的な人々に限られていた。

     しかし、経済が発展し人々の暮らしが豊かになってくると、芸術と生活文化は、経済の枠組みを通じて、きわめて密接な関係を築いていく。かつては一握りの特権的な人々に占有されていた芸術活動の成果を、時間的にも経済的にも余裕を持てるようになった多くの人々が、お金を出して享受するようになってきたのである。その対象は、量産が可能な各種の工芸作品から、音楽や演劇の公演、出版物や音楽レコードへと広がっていった。経済の発展の結果、芸術は、一種の産業として経済の枠組みに組み込まれていったのである。

     そうした流れのなか、初期の段階から産業と芸術の両方の性格を持って発展していったのが、映画である。19世紀末に生まれた映画は、当初は単に写真が動くというだけの見せ物に過ぎなかった。しかし、そこに映像の美しさや物語としての構成、俳優の演技、トーキーの時代になると音楽まで、それぞれに芸術と呼べる多彩な要素が盛り込まれていくことで、映画は芸術の一ジャンルとしての位置づけを固めるとともに、庶民の娯楽として多くの観衆を引き付け、産業としても発展していった。

    [2] 重なり合う芸術、文化、そして経済

     人々の暮らしが豊かさを増すにつれて、芸術産業の市場は拡大を続けてきた。今日でも、一般の人々に評価されず経済的な見返りを得られない芸術活動もあるし、人々の嗜好や価値観とはまったく関係なく生み出される芸術作品もある。しかし、芸術が産業化した現在では、芸術活動の多くの部分が、社会を構成する一般の人々との関係のなかで行われている。純粋な芸術作品としての成否はともかく、芸術家とその作品の経済的な成功は、それが一般の消費者に受け入れられるかどうかにかかってくる。

     映画であれ音楽であれ、どういう芸術が受け入れられるかは、人々の嗜好や価値観に左右される。それは、その社会の文化の根幹にあたるものだ。どういう芸術が成功を収めているかは、人々がどういう食事をしているか、どういう服を着ているか、どういう家に住んでいるかといったことと同様に、その社会の文化の表れということになる。芸術は、経済の枠組みに組み込まれ産業化したことで、文化の一部に組み込まれることにもなったのである。

     文化と経済の接点は、芸術産業だけにはとどまらない。経済が未成熟で物資が不足している時代には、価格に見合うだけの機能さえ持っていれば、商品は人々に受け入れられた。しかし、経済が成熟し、市場が飽和に近づいたことで、商品のコンセプトやデザイン、さらには広告の手法やキャッチコピーといった要素が重要になってきた。それらが社会の文化を背景とした人々の嗜好や価値観にどの程度適合しているかで、商品の売れ行きは大きく違ってくる。

     また、デザインや広告においては、卓越した創造性が求められ、その意味では芸術の領域との関係も一段と濃密になる。成熟期の経済においては、あらゆる商品、あらゆる経済活動が、芸術と文化の影響下に入るということだ。

    [3] 文化と国際競争力

     経済と文化の関係は、経済のグローバル化によって、また新たな側面が見えてきている。国際競争力の視点である。

     商品が文化の影響下にあるということは、映画がそうであるように、それぞれの商品が設計された国や製造された国の文化を体現するということでもある。アメリカ製品にはアメリカらしさ、フランス製品にはフランスらしさ、もちろん日本製品には日本らしさを感じ取れるものだ。

     さまざまな商品が国境を超えて市場を奪い合う現代の経済においては、商品の背景にある各国の文化の力が大きくものを言う。その国に対する漠然とした憧れも含めて、それぞれの商品分野において世界規模での普遍的な訴求力のある文化を有する国の企業は、グローバル化した経済において大きなアドバンテージを持つことになる。ファッションならフランスやイタリア、自動車などの機械の類ならドイツや日本、といった具合だ。これは、それぞれの国の文化が、企業のブランド力と競争力の重要なファクターになっているということでもある。

     かつては、文化と経済というと、一方は上品で高尚、他方はギラギラとして生臭いといった対照的なイメージの、かけ離れた存在であった。しかし、経済が成熟化した現在では、文化と経済は、さまざまな次元で影響を与え合う、切り離せない存在となっている。この変化は、現代の経済の動きを読み解くうえで、重要なポイントの一つと言えるだろう。

    Reply
  2. shinichi Post author

    (sk)

    芸術というものは、もっとずっといいものだと思いたい。

    芸術は、個人的なもので、産業ではない。

    芸術産業などという言葉があること自体、嫌な気がする。

    芸術は、成功の道具ではないし、お金を生み出す魔法でもない。

    芸術は、真実を追い求めるのと同じように、決して辿り着くことのない、だからこそ、いつまでの憧れの対象になりうる、夢のようなものなのだと、思う。

    Reply

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *