佐藤卓己 3 Replies 戦後日本を変えたのは、 責任あるヨロンか? 付和雷同のセロンか? 「世論」はいま、ヨロンともセロンとも読むが、戦前は 「輿論=公的意見」 「世論=大衆感情」 と区別していた。日本戦後史は“輿論の世論化”に他ならない。 せろん【世論】世の中の人が国家又は軍隊の上に関して勝手気儘なる論説を試むること(原田政右衛門編『大日本兵語辞典』) 戦後日本では、輿論指導は消え、世論調査ばかりが栄えた。
shinichi Post author21/01/2014 at 9:10 pm 戦時下に内閣情報部—情報局の指導のもと思想戦に従軍したデザイナーたちが、「戦後」広告業界に「復員」し、消費社会のプランナーとして活躍した経緯については、難波功士が丹念に描いている。その中心となったのは一九四〇年十一月に内閣情報部などの資金援助で設立された国策宣伝の企画制作者集団「報道技術研究会」である。そこにはグラフィック・デザイナーの山名文夫、原弘、コピーライターの新井静一郎はじめ、戦後「広告」業界の指導者たちが結集していた。軍事用語としての「情報宣伝」を、産業用語に変換したプロフェッショナルたちである。 この報道技術研究会には宣伝実務家のみならず、輿論研究者として小山栄三や米山桂三などが参加していた。この二人はプロパガンダ研究とマス・コミュニケーション研究の連続性を体現した研究者と言っても過言ではない。 Reply ↓
shinichi Post author21/01/2014 at 9:12 pm 中立公正主義、新聞商品主義を掲げた朝日新聞や毎日新聞が株式会社化し、読売新聞が警察官僚出身の正力松太郎によって買収された1920年代に「輿論の世論化」の流れが決定的になったと見ることも可能だろう。 Reply ↓
輿論と世論―日本的民意の系譜学
by 佐藤卓己
戦時下に内閣情報部—情報局の指導のもと思想戦に従軍したデザイナーたちが、「戦後」広告業界に「復員」し、消費社会のプランナーとして活躍した経緯については、難波功士が丹念に描いている。その中心となったのは一九四〇年十一月に内閣情報部などの資金援助で設立された国策宣伝の企画制作者集団「報道技術研究会」である。そこにはグラフィック・デザイナーの山名文夫、原弘、コピーライターの新井静一郎はじめ、戦後「広告」業界の指導者たちが結集していた。軍事用語としての「情報宣伝」を、産業用語に変換したプロフェッショナルたちである。
この報道技術研究会には宣伝実務家のみならず、輿論研究者として小山栄三や米山桂三などが参加していた。この二人はプロパガンダ研究とマス・コミュニケーション研究の連続性を体現した研究者と言っても過言ではない。
中立公正主義、新聞商品主義を掲げた朝日新聞や毎日新聞が株式会社化し、読売新聞が警察官僚出身の正力松太郎によって買収された1920年代に「輿論の世論化」の流れが決定的になったと見ることも可能だろう。