中尾佐助

類型分類の出発点はイメージであると見てよい。イメージであるからには、それは実在する事実であっても、歴史の過程であっても、頭脳の中の理念であっても、それらがある程度のタクソンとして認識できれば、イメージにはなはだしく異ならないように、何であれ類型分類ができる。その結果あらゆる局面で類型分類は常用されていて、それは実に分類の王様というのにふさわしい。
類型分類の欠点は、いかなる事象にでも自由にクライテリオンを選んで分類できるが、一つのタクソンと近接したタクソンとの境界が本質的に不明瞭な部分が残されることである。
規格分類になると、境界は明確化できるが、そこで成立したタクソンはイメージとの関係に問題が生じてくることが起こる。特に系譜分類と規格分類はほとんど全く無関係に成立できるので、この二者を結合させることは、多くの危険があり、配慮が必要となる。
系譜分類は系譜のある事象でなければ適用できない方式である。しかし系譜とは歴史の集積の上に成立しているのであるから、いかなる事象にも過去の歴史のないものはない。そのような前提に立つと、歴史は網の糸のような複雑なものでも、何かよい工夫によって、その糸をたぐり出し、系譜を解き明かす可能性があると見てよい。とにもかくにも、歴史は時間の流れであり、それは一つだけに限定されているのだから、最終的には有効な系譜は存在しているはずと考えてよいだろう。
動的分類は類型分類、規格分類、系譜分類などの諸分類方式の成果が総合された、二次展開の分類方式と受けとってよい。それは今のところ複合分類として実例があるわけだが、将来はさらに内容豊富な動的分類へと発展できると考えてよい。動的分類は未来にかかっている。

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